選挙・女性差別・教皇名〜普遍的なイシューをキリスト教に絡めて描く『教皇選挙』(ネタバレ感想)
(映画HPより)
話題沸騰の『教皇選挙』を先日観ました。とても面白かったし、現実への問題提起になっていたので、おすすめです!しかも映画公開中に、現実の教皇フランシスコが亡くなり、コンクラーヴェが行われたという驚きの事態に。枢機卿や関係聖職者もこの映画を観たそうで、二重にびっくり。
https://news.livedoor.com/article/detail/28717190/
色々な面で、今観るべき映画のひとつでありましょう。
ただ、サスペンスとか陰謀渦巻く政治劇として面白い、という評判については、個人的にはその方向性ではそれほど…という感じでした。次々に「新事実」が発覚して状況が変わっていく筋立てではありますが、ストーリーラインは基本的に一本道。その「新事実」も瞠目するようなものではなく、ある程度予測できたり、予測できずとも、ああ現実でもこういうことあるよね…と思わせるものがありました(最後の最後で明かされる「新事実」を除いて)。私としては、この作品は、サスペンス的な語り口の巧妙さを楽しむものというよりも、むしろ人が人を選んで代表とする選挙というものの難しさであるとか、既存の権威が当たり前のように人間に序列を作り搾取することの愚かしさー特に女性ーであるとか、そういう現実にある普遍的なイシューをストレートに訴えかけている作品である…と感じました。
またその一方で、「キリスト教映画」らしい、寓意的なといいますか、宗教的な世界観をもしっかり描かれていたと感じました。終盤あたりのある瞬間、それまでの現実の泥臭い世界を描くモードから、一気に宗教画のようなモードに切り替わったことを感じさせる出来事があるのです。映画の結末については「理想的すぎて非現実的だ」という批判もありますが、私としては、宗教的な世界にモードが切り替わった時から、そのような結末を迎える準備がなされていたと思います。また歴代教皇についての知識を踏まえると、その「結末」は本当に「理想的」か…?となるとも感じました。
以下にネタバレの感想を詳しく述べたいと思います。
- 1)打ち捨てられるタバコの吸い殻の山〜軽視されるケア労働とその従事者の修道女たち
- 2)物語を動かす修道女たち
- 3)弱者に寄り添う男性でもあり女性でもあるベニテス
- 4)選挙というもののむずかしさ
- 5)神の息吹〜精霊によって導かれる枢機卿たち
- 6)教皇名からの考察
1)打ち捨てられるタバコの吸い殻の山〜軽視されるケア労働とその従事者の修道女たち
映画のはじめの方で、世界中からバチカンに集まった枢機卿たちが、何人かづつで群れて交流する様子が描写されます。その中で印象的なのが、タバコを吸ってコミュニケーションしてるグループが去ったあと、大量の吸い殻が放置されているさまが、アップで写るシーンです。この吸い殻を片付けるのは誰なのか?観る人は自ずとその疑問を持つと思います。そしてこれが映るまでに、枢機卿たちやその助手がオフィシャルな活動をしてる間に、修道女たちだけが食事の用意やアメニティのパッケージングなどの細々とした作業をしてる様子がなん度もさし挟まれており、自ずとその吸い殻の片付けも彼女たちがやるのだろう、ということが導き出されます。「生活を維持していくための地味なケア労働」に枢機卿たちがまるで頓着してない様子、そういうことについての始末は修道女が召使のようにやらざるを得ないことが、タバコの吸い殻の山で象徴されてると言えるのです。
実際、この映画で描かれたような、修道女が男性聖職者の雑用をさせられていることをずばり批判した声が、2018年にすでに上がっているのです。
https://www.afpbb.com/articles/-/3165960
カトリック教会の修道女3人がバチカンの月刊誌で、修道女たちが男性の聖職者のために無償でさせられることが多い雑用について非難していることが2日、明らかになった。カトリック教会における男性聖職位階制が公然と批判されるのはまれ。
(…) アフリカ出身で20年前にイタリア・ローマにやって来たマリーさんは同誌で、「聖職者に雇われている修道女の中には、夜明けとともに起床して朝食を準備し、夕食を出して、住居を掃除し、洗濯してアイロンがけをしてからやっと眠れるという人々もいる」と語り、「そうした修道女たちは義務を感じて沈黙を守っている」と話している。
映画での修道女たちの雑用・下支え労働の描写、この告発を踏まえてから見ると、グッと重みと深刻さが増します。
そして日常のケア労働を女性に押し付けて、男性が何か立派な日の当たる仕事を成し遂げるという構図は、何もカトリックだけの問題であるのは言うまでもありません。
2)物語を動かす修道女たち
一見この映画は、枢機卿たちが主人公として物語を動かしているように見えます。個々に名前の与えられた、一癖も二癖もある枢機卿たちの政治駆け引きが描かれるのに比べて、修道女は名前のある人物は2人くらい、あとは名もなきモブ。しかも上記のように軽視されるケア労働を黙々と行う存在として描かれます。しかし最後まで観ると、本当に重要な局面で物語を駆動させるのは修道女だということがわかります。
優勢だったアデイエミが倫理的に問題ある人物だったことがわかって教皇レースから脱落するのは、過去に彼に捨てられた修道女が現れたためであり、また次の枢機卿有力候補のトランブレが失脚したのも、修道女の告発でした。アデイエミは、単にカトリックの枢機卿として妻帯したということを隠していたというのではなく、あれは若気の至りだった的な発言をしており、関係を持ち子まで成した修道女に対する温かな愛情は感じられません。関係を持ったのも、果たして対等な関係性だったのか疑われます。彼は制度を守らなかっただけではなく、倫理観や人道観の点でも問題であり、その意味でも教皇に相応しくなかったと言えるでしょう。権力闘争に明け暮れる枢機卿たちには見えていなかった重要なその人の「本質」を、軽視されてきた修道女たちのみが明るみにしていったところに、男性のみが活躍し女性が黒子である世界の歪みが告発されていれるように思われます。
3)弱者に寄り添う男性でもあり女性でもあるベニテス
コンクラーヴェに遅れてやってきたベニテスは、何重にも「マイノリティ」であることが描かれます。まず非白人であること。そしてアフガニスタンのカブールが教区であり、他宗教地域&紛争地域という大変厳しい場所で活動していること。前教皇に特別に枢機卿に任命されたばかりいで、枢機卿同士の繋がりやコネもなさそうということ。枢機卿の中でもかなり弱い立場であることがこれだけでもわかります。さらに彼はそのような外的な要因だけでなく、内面的にも他の枢機卿たちと異なるところがあり、その意味でもマイノリティであると描写されます。食前の祈りを任された時、ベニテスが普通の祈りをあげて他の枢機卿がさっさと食事しようとした時、それに続けて、食事に困っている人や食事を用意してくれた修道女たちのことも思おうと口にするのです。自分自身が「弱者」であるだけではなく、自分以外の弱者にも目を向けようとする人であるのがわかると同時に(もちろん紛争地域での活動とリンクしているのでしょう)、他の枢機卿はそれが念頭に浮かばないタイプであるのも表現されます。またここでは、食べることに困る人々と修道女を並置することで、修道女の置かれている立場が明確になった場面であるとも言えるでしょう。
そのような弱者に寄り添うベニテスが、最終的に選ばれて新教皇に選出されます。彼は選ばれた後、女性の器官が内臓にあることを告白しますが、それは彼が、マジョリティである男性とマイノリティである女性の両方のカテゴリーに位置するという象徴的な意味あいがあるのでしょう。これまでの男性中心のカトリックを変えていくかもしれないということも示唆していると思われます。
4)選挙というもののむずかしさ
またこの映画では、普通の選挙でも我々が直面する、「モヤッとすること」が、わかりやすく描かれていたと思います。
思想的には賛成できるから投票したいけど、人気がないので当選しなさそうとか、この人はかなり賛成できるけど、でもそこだけは譲れない不賛成イシューがあるので投票が躊躇われるとか、あの人が当選すると色々めちゃくちゃになりそうなのでなんとしても阻止したいが、さりとて有力な対抗馬はいない…とか。あるいは有力な対抗馬はいるにはいるけど、かなり色々問題ある人で、だがなんせ集票力がすごいのでグッとこらえてその対抗馬に一本化して共闘しないといけない、とか。けども、せっかく悩みに悩んで一本化の決意をしたのが、意外なスキャンダル発覚で台無しになるとか。どうでしょう、『教皇選挙』で描かれた選挙をめぐるあれこれ、思い当たる節がある人は多いのではないでしょうか。
『コンクラーヴェ』という映画タイトルが、カトリックに馴染みのない人にも分かりやすいようにという配慮からか『教皇選挙』という邦題になっていますが、選挙一般の問題も描いた内容に(おそらく)図らずもマッチしたタイトルになっていたと思います。
5)神の息吹〜精霊によって導かれる枢機卿たち
そのように一般の選挙にも通じるドロドロとした生々しい人々の打算や陰謀が描かれていくと、観客としては、こういうゴタゴタって、別に教皇の選挙で描かなくてもいいんじゃ…?と思ってしまいたくもなります。教皇をめぐる様々についてはスパイス程度、観光映画的な「普段見られないものを見せる」的な意味合い以上のものはないのではないかと。
しかし終盤で、やはりこれは教皇の、というかカトリックの物語なのだと思い出させるシーンが出てきます。それは、次々と教皇候補が脱落する中、自分自身への投票が増えてきたローレンス枢機卿が自分の名前を書いて投票しようとした瞬間に爆破テロが起きて、会場の天井に穴が空き、ローレンスが吹き飛ばされて倒れてしまう…というシーンです。
これは映画の題材といい撮られ方といい、偶然の出来事というよりも、明らかに天の啓示であると読み取れましょう。意外にも得票数が伸びてきて野心が芽生えはじめたローレンスに、神が再考するよう戒めたというわけです。人の傲慢さを物理的に打ち倒す、というシーンは聖書でよく見られます。ここでは煌々とした光が天から差し込み、人々が倒れ、中心となる人物が行いを神から嗜められる、というシチュエーションから、パウロの回心を私は想起しました。パウロは元々ユダヤ教徒でキリスト教徒を迫害する立場でしたが、シリアのダマスコに向かう途中、突然天からの光があたりを照らしてパウロは倒れ、そこでイエスの声を聴くのです(使徒行伝第9章)。
(カラヴァッジョ「聖パウロの回心」Wikipedia commonsより)
また、システィーナ礼拝堂にあいた穴から風が吹いてきて、枢機卿たちの投票用紙を揺らして枢機卿たちがハっと顔をあげるシーンがありますが、これも一般的な意味で「新風が吹いてきた、という意味の他に、キリスト教的な意味合いを見出すことができます。
キリスト教で風は「神の息吹」、精霊の力や精霊の裁きと結びつけられることが多く、聖書の中でもしばしばそのような描写があります。出エジプトの前に神は東風を吹かせていなごの災いをもたらしますし、紅海の奇跡では、神はやはり東風で海を押し返して道を作ります。一方でエレミヤが語ったように、人々が律法に従わなければ、神の怒りが嵐となって吹くこともあります。
創世記で光が生まれる前の状態の記述では
地は混沌であり、間が深淵の上にあり、神の霊が水の上を漂っていた。
とあり、神の霊が風のようなイメージで語られています。そもそもその「霊」はヘブライ語でルーアハ、風。息、霊などの意味を合わせ持つもので、英語の翻訳でも「風」と訳されているケースもあります。
それは現代でもキリスト教徒ならば直ちに了解しうるほどよく知られた比喩であり、例えば『インディ・ジョーンズ 最後の聖戦』(1989年)でも重要なモチーフとして出てきます。映画は聖杯探求が中心テーマになっているのですが、その中で聖杯が守られている場所に人間が辿り着くためにパスする必要のある「3つの試練」のうち、第一の試練が「神の息吹」なのです。その試練では、聖杯への道を進むと風がふーっと吹いてきて、試練の意味を理解できなかった者はそこで首を切られてしまう…という仕組みになっています。これは、神の息吹が風そのものであること、そして風が神の裁きを行うものであるという、キリスト教の観念を巧みに物語に取り込んだものであるといえます。
ですから手元の紙を揺らされた枢機卿たちも、何か神の霊の顕現的なものを感じたでしょうし、観客もまたそう感じることを期待されているといえます。
そしてそれはこの作品を、選挙をめぐるリアリティを追求する世界から寓意的な世界に転換するキーになっていると言えます。なんの後ろ盾も基盤もないぽっと出ではありながら、ある種理想的な考えの持ち主のベニテスの選出という「あり得ない」結末に向けて。
6)教皇名からの考察
この映画では、「教皇名」が大変重要なキーワードとして描かれています。枢機卿になったら皆一度は自分の教皇名を考える、という、一度聞いたら忘れられないインパクトのあるセリフをはじめ、ローレンスに対しあなたが教皇になったら何と名乗る?という問いかけとその答えのシーンや、新教皇が教皇名を力強く名乗るシーンも、とても印象深いものでした。私はこれは、観客に対して、教皇名からもなにがしか読み取って欲しい…という制作者のメッセージと捉えました。
ただ注意しておきたいのが、歴代教皇名はかなり重複しており、たとえばヨハネ(ヨハネス)を名乗った教皇は23代にものぼります。それらの同名教皇は性格や事績に統一した傾向があるわけではなく、誰をイメージするのかは必ずしも明確に特定できないと言えます。しかしこの映画は、全ての教皇について通暁していることを観客に要求しているようなマニアックな映画ではありません。一般的に有名、あるいは現代のカトリック信者なら知っている、そういう教皇の中からイメージを被せている可能性が高いと言えます。
それを踏まえて、映画で出てくる教皇名と歴史上の著名な教皇名を比較すると、確かに色々考えさせられるものがあります。
◼️ローレンスの考えた教皇名「ヨハネ」〜リベラルな改革派教皇・伝説の女教皇・イエスの愛弟子
・ヨハネ23世」(在位1958〜1963)〜カトリック近代化大改革の立役者
教皇ヨハネというと、カトリック信者の多くは、まず20世紀半ばに在位したヨハネ23世を想起すると思います。この人こそ、カトリック教会の大改革である「第二バチカン公会議」を開いた人物で、20世紀における最も重要な教皇だからです。
彼は76歳という高齢で教皇の座につきましたが、即位3ヶ月で五百年ぶりの公会議、しかも初めて世界中から投票権を持つ教父を招集したという偉業を成し遂げたのです。
この公会議の目的は、教会の信仰の遺産を現代の状況に適合したかたちで表現し、信徒の一致・キリスト者の一致・世界と教会の一致を図ることであるとされています。具体的には「典礼憲章」と「広報機関に関する教令」の二つが成立しました。「典礼憲草」とはミサ関連の規定であり、その後のミサのやり方に多大な影響を及ぼしました。公会議以前は原則ラテン語でのミサが義務付けられ、やり方には厳しい規定があったのが、各国の言語の使用を正式に許可し、その方法も一部簡略化するなどの刷新が図られました。
ローレンスと対立するテデスコが、昔はラテン語でのミサだったしその方がよかったという発言をしますが、これは単に懐古を語ってる保守ぶりを表すシーンであるだけでなく、第二バチカン公会議の近代化方針に真っ向から反対する彼の立場も示すものであります。当然そこからヨハネ23世が想起され、ローレンスがどこか断固とした口調で教皇名「ヨハネ」を選ぶ布石とも言えましょう。改革派ローレンスに大変ふさわしい「教皇ヨハネ」の名は、もし彼が選出されたなら、ヨハネ23世に倣って公会議を召集するほど大改革をする覚悟があるのかもしれない、とも思わせるものがあるのです。
・伝説の女教皇ヨハンナ
カトリックに詳しくなくヨハネ23世を知らない人でも、世界史に親しむ人には「女教皇ヨハンナ」の名前が想起されるかもしれません(ヨハンナはヨハネの女性名)。女でありながら男装して教皇になったヨハンあるいはヨハネスという人物が9世紀に存在したと、中世〜ルネサンス期のヨーロッパでは信じられていました。タロットカードの「女教皇」の元になったとも言われています。ちなみに現代の史家の間では実在しなかったことが定説となっています。
マルセイユ版タロットの女教皇(Wikipedia commonsより)
ローレンスが教皇名としてヨハンナの名前を出したことは、男性であるが女性の器官も持つベニテスが教皇になることの予兆だったともいえます。映画を見終わって改めて振り返ると、ハッとさせられる符号です。
最後に、ヨハネ23世や女教皇ヨハンナを知らなくても、キリスト教に多少なりとも馴染んでれば想起されるのが、使徒ヨハネの名でしょう。「ヨハネによる福音書」や「ヨハネの手紙」、「ヨハネの黙示録」の著者として、伝統的なキリスト教信仰の中では信じられている人物です。彼はイエスに愛された弟子と伝統的に解釈されることが多く、ヨハネの福音書でも最後の晩餐でイエスの胸元に寄りかかっていたと書かれています。イエスの死後初期教会でペトロに次ぐ重要な地位を占めたと目されており、しばしばペトロと対になる存在として聖書で描かれます。
そういう意味でも、前教皇に信頼され、彼の死後コンクラーヴェの運営を任されたローレンスにそぐわしい名だと言えるでしょう。ちなみに前教皇は聖職者を「羊飼い」と「農場管理者」に分け、ローレンスを後者に位置付けたのですが、使徒ペトロがイエスに「私の羊飼いになりなさい」と言われたことを考えるなら、羊飼いであるペトロと対になる存在としてのヨハネが、ローレンスと重ね合わせられているともいえましょう。またヨハネはイエスの母マリアを引き取り、マグダラのマリアと共に登場することもある、女性と共に行動する使徒という特徴があります。女性の活躍を望むリベラルなローレンスにぴったりであると言えます。
◼️ベニテスの選んだ「インノケンティウス」〜異端排斥する教皇たち
さて、コンクラーヴェは二転三転しつつも、結局無名だったベニテスが教皇に選出され、インノケンティウスと名乗ることになりました。インノケンティウスは英語でいうところの「イノセント」に相当するため、いかにも清廉なベニテスに一見相応しく見えます。
近現代の教皇でこの名を名乗った人はいないのですが、それ以前の同名教皇で世界史的に特に有名な人物が2人います。しかしその有名な「インノケンティウス」たちは、どう見てもベニテスにふさわしいとは思えない人物たちなのです。
しかし逆にここまで真逆のイメージの教皇名を名乗らせたということは、制作側はかなり色々含むものがあるのではと考えてしまいます。
・インノケンティウス3世(在位1198〜1216)〜強大な教皇権を確立・異端排斥派・アルビジョワ十字軍
宗教戦争だ!と叫んだテデスコを実際の戦場を知ってるのかと嗜め、また修道女に対する配慮を忘れず多様性を尊重しそうなベニテスが、十字軍をおこし異端を厳しく排斥したインノケンティウス3世と同じ名前をなのは、なんとも皮肉なことです。インノケンティウス3世は大変有能な教皇で、強大な教皇権を確立しましたが、1199年、教令において異端がローマ法の大逆罪に等しいものであると認め、また当時台頭してきたカタリ派への対策として1209年〜29年にかけてのアルビジョワ十字軍を起こしました。アルビジョワ十字軍ではベジエの虐殺など凄惨なものもあり、人道的にもなかなか看過し難いものがあります。
・インノケンティウス8世(在位1484〜1492)〜魔女狩りのお墨付き・堕落した教皇の典型
また今一人著名なインノケンティウスとしては、15世紀のインノケンティウス8世が挙げられます。彼はインノケンティウス3世とはまた違った意味でキリスト教社会での異分子を排斥する動きに加担したこととして有名です。悪名高き魔女迫害の手引書『魔女の鉄槌』開巻劈頭に、インノケンティウス8世が魔術師・魔女を糾弾した勅書「余ノ衷心カラナル願イニヨリテ」が掲載され、結果的に教皇が魔女狩りにお墨付きを与えたような形になったのです。
実際は『魔女の鉄槌』と勅書は直接関係がなく、教皇が本書を公認した訳ではないのですが、本書の著者で非人道的魔女狩を推進したハインリヒ・クラーマーの働きかけに応じて勅書を交付してしまったことは確かです。さらにクラーマーに三通の認定書を交付して彼に魔女狩のスタートを切らせてしまいました。
また彼の在位期間中に、教皇庁の風紀は大変乱れて評判は急速に下落しました。教皇自身が庶子を認知し、親族や支持者を登用しまくり、賄賂や役職の売買が稀ではなくなり、勅書や特権の為造が盛んになりました。
どうでしょう。ベニテスとは正反対とも言える教皇たちではないでしょうか。これについては様々な捉え方があると思います。ひとつの考え方として、ベニテスが抑圧者的なイメージのあったインノケンティウスをあえて名乗ることで、今までのその名のイメージを一新する意気込みを示している…と受け取れないこともありません。しかし私としては、今のところ理想を持ち清廉なベニテスがこの先「変わってしまう」可能性があることを示唆しているように感じました。彼が将来、インノケンティウス3世やインノケンティウス8世のようにならないとは、誰も断言できません。彼の「理想の教皇」ぶりができすぎなくらい強調されていることも考え合わせると、理想の人が選ばれてめでたしめでたし…でいいのか?と、制作側が問いかけているようにも見えます。
「選挙」とは、誰かを選んだ時点で終わるのではなく、その人が選ばれた時の志を続けていけるか、変節しないか、きちんと見守っていくことが大事だ…という、当たり前ではあるけども実施は大変困難なことを、皆さんはしていますかと、最後に教皇の歴史を振り返させながら語りかけているのかもしれません。
了
<参考文献>
・マックス・ケルナー、クラウス・ヘルバース『女教皇ヨハンナ : 伝説の伝記』(三元社, 2015)
・上智大学中世思想研究所 編訳・監修『キリスト教史 4』(平凡社、1996)
・甚野尚志・踊共二 編著『キリスト教から読み解くヨーロッパ史』(ミネルヴァ書房、2025)
・ライナー・デッカー『教皇と魔女: 宗教裁判の機密文書より』(法政大学出版局、2007)
・バリー・J・バイツェル監修『地図と絵画で読む 聖書大百科【普及版】』(創元社、2013)
・柊曉生「原初史と救済史におけるルーアハ(ruah)「風・息・霊」の用法」紀要 [藤女子大学キリスト教文化研究所] [編]. (9) 2008.7,p.17~48
消された才女/才人、消された物語たち〜『光る君へ』レビュー〜
2024年大河ドラマ『光る君へ』が佳境ですね。31回以降まひろ(紫式部)は熱心に『源氏物語』を執筆し、宮中で人気になっていく様子が描かれました。その『源氏物語』執筆のきっかけであり対象読者として念頭に置かれている…とドラマ内で描写された一条天皇も、先週亡くなってしまいました。
『源氏物語』執筆とその影響をドラマなりのアレンジで色々と尺を取って描いおり、王朝人が楽しそうに源氏物語を読んでる姿が実写化されたのはなかなか胸熱です。このドラマのキモと言ってもいいでしょう。でも私は実は、一方で、色々と違和感を持っていました。
まず、『源氏物語』執筆に向けての助走期間が妙に短かったのが気になります。習作的な『カササギ語り』は源氏物語とはかけ離れていますし、しかもそれは結婚後書き始められたわけで、それ以前に物語を創作してる様子はありません。彼女があの大伽藍のような源氏物語を書くための腕慣らしをしていた時期がほとんどないのです。脚本として、物語を創るスキルを磨く大変さをあまりに低く見積もっている感を受けます。
上記とも関係しますが、ドラマ世界は、まひろの書く物語以外ほとんど「物語」が存在していません。ドラマの描写ではまひろが突然、宮廷を舞台にした長編小説をゼロから創出したかのような印象を視聴者に与えてしまっています。しかし実際は当時様々な物語が流布し読まれており、それらの影響が『源氏物語』に大きく認められるのです。たとえば源氏物語のインスピレーション元のひとつとなった、宮中の権力闘争舞に関わる作品としては、『うつほ物語』が存在しました。プロットから文章レベルまで、広く影響が指摘されています。
ドラマはその様々な物語の不在の代わりに、まひろの身に現実に起こった出来事か、道長から聞いたことが物語のネタ元であるとして繰り返し描写しています。一条天皇が興味を持つような物語を書くように道長から要請されたということで、道長から聞いた一条天皇と定子の様子を桐壺帝と桐壺更衣の物語にする…とかがそうですね。しかしそれらの多くは創作で、従来の研究で指摘されてきたような式部の実体験や見聞の反映はほとんど使われていません。
また紫式部以外の当時の文化的な才女たち、才人たちがほとんど登場していないのも、あまりにも不自然です。才女に関しては、まひろ以外の才女は数えるほどで、しかもみんなまひろに指南されたりまひろより感性が劣っているような描写です(道綱母は除く)。しかし実際は学があったり創作をしたりした女性たちが多く存在し、紫式部は彼女らから有形無形の影響を受けながら『源氏物語』を書いていきました。
ドラマでは、あたかも一条天皇のキサキ二人のサロンだけしか存在しないように描かれていますが、当時は式部が強い対抗意識を持った大斎院選子内親王のサロン、式部と繋がりがあり道長がそれを利用しようとした具平親王のサロンという、当時の文壇を語る上で欠かせない強大なサロンが存在しました。『源氏物語』への影響もあって、具平親王は光源氏の有力なモデルのひとりであり、選子内親王は朝顔の斎院などのモデルとされています。
そしてドラマのまひろは、身分社会に物申す存在として何度も描写されていますが、『源氏物語』やその他の作品や歌などからは、そのような考え方は見受けられません。ドラマ上でも、その考え方をどのようにインストールするに至ったか定かではありませんでした。ところが実際は、当時ある女性だけがはっきりとそのような主張を書き記しているのです。その女性とは賀茂保憲女(むすめ)といい、陰陽道で有名な賀茂氏の女性で、大変ユニークな考えの持ち主でした。現存する限り、この時代に身分社会を否定する考えを表明した女性としては唯一の存在です。身分社会を声高に批判する貴族女性をドラマで描きたければ、彼女を登場させるべきだったでしょう。
全体に、まひろが突然変異的な天才的存在であり、まひろ一人で偉大なる『源氏物語』を作り上げた…としたいという制作意図が見えるドラマであり、そのため当時存在した豊かな文化や才女・才人たちが消されてないものとなっているという現象が起きてしまっています。文学作品の創作者・享受者の範囲が、あまりにも狭いのです。平安時代の文化について、源氏物語と枕草子くらいしかイメージのない人が多い中、ドラマでの描きようによっては当時の平安文化の厚みと担い手の多様さを広く知らしめる機会になり得たはずなのに、大変残念に思っています。
以下に詳しく述べていきます。
1.習作期間の短かさと源氏物語との繋がりの薄さ
『源氏物語』への助走期間の話ですが、まひろは若い頃からほとんど創作らしい創作をしていません。せいぜい散楽への台本提供が2回、和歌の代筆業。そして結婚後書いたのが『カササギ語り』。これはカササギが人間世界を観察して、男になりたい女、女になりたい男の心情を語ったもののようで、『とりかへばや物語』と、まひろが散楽メンバーのために作った動物説話を合体させたような感じです。これが大評判というのですが、それまでの執筆状況からすると随分飛躍してるなあという印象です。「物語」形式のものの初書きでそんな完成度とは…。さらにそれからまた、いきなり源氏物語執筆へ。しかも桐壺から書き始められた設定です(桐壺から書かれたというのは現在の研究では否定的に捉えられています)。ドラマ中で語られるカササギ語りの素朴な説話風の作風と、宮廷での権力闘争を絡めた男女の恋愛の機微や闇を描いた源氏物語の作風は掛け離れており、こちらも相当な距離を感じます。
ちなみに『とりかへばや物語』のような男女逆転というか、女も男のように政などに参加したい的な発想は、紫式部の著作には一切出てきません。しいて探すなら、女のような男君、ということで、「紅葉賀」で兵部卿宮(藤壺の兄)と光源氏がお互いを色っぽく思い「女にしてみたら面白いだろうな」と思って眺める、というシーンと通じるものがある…かもしれませんが、男女の役割を取り替えるという発想では全くありません。
全体に、『源氏物語』を書くような作家としてはあまりにも物語を書いてないし読んでいない、という印象なのです。私ごとで恐縮ですが、自分は幼い頃から本を読むのが大好きで、いつしか自分でも物語もどきを書くようになりました。チラシの裏とかノートとか、いろんなところに書きまくり、10歳くらいの時は長編小説も書いてました。まあ結局作家にはなってない訳ですし、物書きになる人がみんなそうだとは言いませんが、それに類する、物語を読むこと・書くことへのパッションがまひろからは感じられません。
『紫式部日記』では、出仕前に友人と物語について色々と語り合ったことが書かれています。それが心慰められることであり、出仕してからはそのような友人とも疎遠になってしまったことを嘆いています。友人や語り合った内容がどのようなものかは分かりませんが、『源氏物語』の原型になったものである可能性はありますし、彼女らとの語らいが物語執筆の原動力になったことは想像に難くありません。まひろの友人枠で出てきた「さわ」とはついぞそのような話をしてる様子はありませんでした。
自分は今回の大河で、時代的に珍しいという期待もありましたが、女流作家が主人公ということで、その作家性がいかに形作られるのかもとても楽しみにしていました。それが蓋を開けてみると、作家活動らしきことをほとんどせず、いきなり大評判の作家になっているという設定で、いささかがっかりした次第です。
2.実在した豊かな物語のない世界
(1) 「物語山脈」の一角としての源氏物語
まひろは幼い頃から漢籍に親しんでる様子が描かれ、また日記文学である蜻蛉物語は読み、和歌を代筆できるほどには歌集など読んでいそうという推測は成り立ちますが、仮名物語を読んでるところは描かれません。倫子サロンで『竹取物語』の話題が出て、かぐや姫は誰も好きではなかったという意見を出しますが、それくらいのものです。『竹取物語』が、この大河ドラマで取り上げられる、まひろが書くもの以外の唯一の物語です。
また中国まで広げても、宣孝の土産の『志怪録』が登場しますが、それは土産の化粧品よりも大喜びするという一瞬のシーンのことで、解説もつきません。とにかく、まひろと物語の接点は驚くほど少ないと言えます。
源氏物語以前の「物語」は、現在まで残っているものは、作り物語は『竹取物語』『落窪物語』『うつほ物語』、歌物語は『伊勢物語』『大和物語』『平中物語』『伊勢集』などくらいです。しかし今は題名や断片的な内容しかわからない「散逸物語」を含めた「物語」は、源氏物語以前に13編、源氏物語前後では26編存在したという研究もあり(神野、2006)、かなりの物語が流通していたことがわかります。それ以外にも、花山院の永観二年に成立した源為憲の『三宝絵詞』に「物語と云て女の御心をやる物也、大荒木の森の草よりもしげく、有磯海の浜の真砂よりも多かれど」とあるように、今名前が残っているものからは想像もできないほど多量に物語が出回っていたことがわかります。そして紫式部もそれらを確実に読んでいました。
『源氏物語』の中には、様々な物語について言及があります。たとえば「蓬生」で末摘花が年代物の物語を絵に描いたものを取り出して無聊を慰めているシーンがありますが、そこでは『竹取物語』と、『唐守(からもり)』『灘姑射の刀自(はこやのとじ)』の題名が挙げられています。両方とも今では散逸した物語ですが、『はこやのとじ』は、「ふとだまの帝」と「てりみち姫」の悲恋物語であることがわかっています。帝の悲しい恋愛譚が描かれているということでも、源氏物語の祖のひとつと言えそうです。また言及はなくとも、継母から疎まれる〜貴公子に連れ出されて寵愛を得る、という若紫の構図や、賀茂祭での車争いというモチーフは『落窪物語』と共通するものがあるという指摘もあります(長谷川、1901など)。
そして次に述べる『うつほ物語』に至っては、具体的な題名や内容の言及や、文章の引用、さらには物語の構造に至るまで、直接間接的影響が強く認められるのです。
(2)源氏物語に大きな影響を与えた「うつほ物語」
<図: 京都大学附属図書館所蔵 奈良絵本宇津保物語より>
◼️概要
『うつほ物語』は10世紀後半に成立した、作者不詳の現存する日本最古の長編小説です(男性という説が有力)。『源氏物語』や『枕草子』に言及があり、両作品より以前に書かれたことが確定しています。あらすじは、遣唐使でペルシャに漂着した清原俊蔭が天人・仙人から秘琴の技を伝えられ、その秘技を伝えられた娘は太政大臣の子息との間に子をもうけたものの貧しさをかこち、北山の森の木の空洞 (うつほ)で子供の仲忠を育てながら、父譲りの秘琴の技を教えます。後に父と再会した仲忠は都で評判の源氏の姫君「あて宮」に恋し…という波瀾万丈なものです。
天人が出てきたりして源氏物語とは毛色の違うファンタジックな話に見えますが、しかし本作は源氏物語の成立に大きな影響を与えたことが昔から指摘されていました。
◼️源氏物語への影響
『源氏物語』で『うつほ物語』に直接言及したものは「絵合」で竹取物語と競わせて論評したシーンや、「蛍」であて宮を評したシーンがあります。「若菜 下」の霊琴の奇瑞についての解説や、「末摘花」などの零落した女性の侘び住まいの描写も、うつほの影響があるとされますし、本文自体にもあちこちに引用があることが指摘されています(中野、1981)
そして個々の登場人物のキャラクター設定や、物語の構図にも、如実に影響が見られるのです。
うつほのヒロイン「あて宮」は住まいが「藤壺」ですが、『源氏物語』桐壺帝鍾愛の「藤壺女御」の原型とも言える存在です。あて宮自身は、村上天皇の中宮安子をモデルにしているのではと見られています(中野、1981)。
住まいの視点から見てみましょう。今でこそ源氏物語や彰子以降のキサキの影響で、藤壺(飛香舎)は華やかなキサキの住まいの代表のように思われていますが、そもそも有力なキサキは一条帝以前は、藤壺に住むことはほとんどありませんでした。内裏には「〜殿」と「〜舎」と呼ばれる建物があり、舎は藤壺のようにそこに植えられた花に因んだ優雅な名前が付けられていましたが、狭くて殿より格下と見なされていました。
<図: 平安京内裏図>
高橋文二 編『紫式部日記』(桜楓社,1979.)より (国立国会図書館デジタルコレクション)
その中で安子は例外的に藤壺を長らく住まいにしていましたが、それは村上天皇が東宮時代に住んでいた梅壺に近いからと思われます。藤壺のイメージは、安子によって作り出されて『うつほ物語』に投影され、さらに『源氏物語』にそのイメージが受け継がれていると言えるでしょう(栗本、2024)。
あて宮が藤壺女御と似ているのは他にもあります。両者ともに皇統の血を引く一族出身(皇族・源氏)であり、夫帝の寵愛だけではなく後に東
東宮母としての権威も獲得していたこと、キサキでありながら臣下の男性である物語の男主人公との恋愛ーあて宮は仲忠と、藤壺の女御は光源氏とーとのロマンスが描かれることです。そして所生の皇子が立坊を果たした後、彼女達はかつての想い人の政治的協力を得て、ともに我が子を守り立てていくのです。
またもうひとり、類似の主要登場人物を挙げてみましょう。桐壺帝のキサキであり主人公サイドの敵役である弘徽殿の女御は、『うつほ物語』の「后宮」が相当します(栗本、2024)。東宮を産んだ弘徽殿の女御(藤原氏の娘)は後宮で権勢を誇るものの、帝の寵愛は桐壺更衣とその息子光源氏、また藤壺女御にあるため、彼らを憎み様々な陰謀を画策します。『うつほ物語』では、やはり藤原氏出身の「后宮」が朱雀帝に入内して東宮を産み権勢を誇りますが、朱雀帝が寵愛するのは源氏出身の仁寿殿女御(ヒロイン「あて宮」の姉)であるため、彼女を憎みます。そして新帝の御代に、あて宮が産んだ第一皇子ではなく自分の姪で藤原氏出身の梨壺が産んだ皇子を帝位につけようと画策するのです。
『源氏物語』は天皇の血筋の「源氏」と「藤原氏」の権力闘争と読むことができますが、「源氏」「藤原氏」の権力闘争の構図は『うつほ物語』にすでにはっきり現れているわけです。
さらに『源氏物語』では「母系家父長による摂関政治よりも父院による院政を理想とする物語の論理が読み取れる」(高橋、2016)という見解は何人もの研究者によって指摘されています。桐壺朝において、左大臣は一人娘である葵の上を東宮や帝に入内させず光源氏と結婚させたことが功を奏し、東宮の外戚である藤原氏の右大臣家を凌駕します。入内した娘に皇子を産ませ、外孫である皇子に皇位継承させることで帝と「ミウチ」関係を結ぶという、当時の常識的な政策を展開している藤原氏が実を結ばないという、非現実的な展開なのです。そしてその藤原氏に対する源氏の勝利という結果は、『うつほ物語』も同様なのです(中野、1981)。
そのような、源氏と藤原氏を対照的に描くばかりか、源氏に勝利させ摂関政治を否定し批判するような作品を、まさに藤原氏に庇護されながら紫式部が描いたというのはすごいことです。ですが『うつほ物語』が先行していることを考えると、読んだ人が、この展開はあのうつほのトレースか…と受け取る可能性があり、現実の藤原氏批判という解釈を回避する効果があったのではないでしょうか。
◼️源氏物語の画期性
もっとも『うつほ物語』と『源氏物語』には、大きな違いもあります。源氏はうつほと違い、女性の心情が極めてリアルに細やかに描かれていることがあげられるのです。『うつほ物語』の女性描写の生硬さについてはつとに指摘されており、そこが作者が男性ではないかとされている一因ですが、紫式部自身「蛍」の段でこのように述べています。
「宇津保の藤原の君の女こそ、いとおもりかに、はかばかしき人にて、あやまちなかめれど、すくよかに言ひ出でたるしわざも、女しき所なかめるぞ、一様なめる」
そして最大の違いは、あて宮と仲忠はプラトニックな関係であり続けたのに対し、藤壺と光源氏は密通してしまったところです。そしてそれは主人公たちが深く思い悩むところに大きな特色があります。
「…光源氏は帝の後見役、権力者として、藤壺の宮は母后として隆盛を極めることとなる。その上で、犯した罪の重さに苦しむ彼らを、物語はあえて描写したのである。単純に表向きの栄華だけを描くのでなく、裏に隠された登場人物たちの心奥に潜む深い闇を主題としたことが、「源氏物語』の一つの達成といえよう」(栗本、2024)
そしてそのような現実を鋭く描く眼差しは、『蜻蛉日記』から受け継いだものであると言えます。
「世の中におほかる古るものがたりのはしなどをみればよにおほかる空ごとだにあり」
と、「古物語」を「空ごと」と断じた道綱母は、それまでの女性の家集のように、歌に断片的な詞書を添えるのではなく、自らの内面や男性の身勝手な振る舞いを容赦なく見据えたものを歌を交えて細やかに描き出す「日記文学」を生み出したのでした。ドラマ内では道綱母は出てきて、まひろがよく『蜻蛉日記』を読んでいたと話すシーンがあるものの、まひろの書くものにどのような影響を与えたのか描かれませんでした。
「源氏物語に対して、直接あるいは間接に多大の影響を与えた平安時代の文芸作品に、道網の母の蜻蛉日記がある。蜻蛉日記が王朝文芸精神史上で果たした最も大きな功績の一つは、この日記の作者の精神によっていわゆる古物語が克服されたことであった。(中略) 平安女流文学は、この蜻蛉日記において自照的客観精神の確立を見るのである」(藤村、1966)
大河ドラマで制作者は、うつほに言及してしまうと、まひろの独自性がなくなってしまい優位性がなくなると考えたのでしょうか。私としては避けてしまわず、あえて取り上げて比較し、どこがインスパイアされて、どこが違っていて画期的かを見せれば、より紫式部の素晴らしさがわかったと思います。『うつほ物語』から、過去〜現在までの宮廷の生々しい権力闘争を描く視点(男性筆者が持っていた視点)を取り入れ、同時に『うつほ物語』までの人物描写に飽き足らず、『蜻蛉日記』で描かれたような細やかかつリアルな女性の心理や男性の振る舞い織り込んで、浪漫的世界と現実世界の深みを融合させた式部の功績を視聴者に伝えるドラマであってほしかった…と思わずにいられません。
3.ドラマで描かれなかった才女・才人たち
このドラマでは、紫式部と清少納言、あとは赤染衛門くらいが突出して教養があり、彼女たちが突然変異のように出現したような印象を受けます。基本的にドラマに出てくる姫君や女房は賢くない女性が多く、倫子サロンの姫君たち、藤原公任の嫡妻(ドラマでは敏子)サロンの姫君たち、はいずれも教養がない描写です。彰子のサロンはもとより、定子のサロンの女房たちもぱっとしない感じでした。高階貴子も漢文の会を提案したりしますが、栄花物語で描かれたような漢文の才については全く触れられていません。それによって、その少数の才女たち、とりわけまひろを輝かせる対比効果を狙っているのでしょう。
しかし実際は多くの教養ある女性、漢籍に通じた女性存在し、宮廷で活躍してもいました。その中に清少納言や紫式部も位置付けることができます。ただし当時の貴族社会での女性の漢籍学習の状況は複雑なものがありました。為時が嘆いたように、いくら高度な漢才を身に付けても女性はそれを十分に発揮する機会がなく学びがいが無いとみなされていました。『源氏物語』の「雨夜の品定め」で語られる「博士の娘」は、夫に漢文を教えるほど漢籍に長けていますが堅苦しい漢語を不自然に多用する奇妙な女として描かれており、文人家庭における女子の漢籍学習環境の特殊性や世間からの批判を自虐的に綴ったものと思われます。しかし漢才を漢字や漢詩文の形で直接表現することは女性は憚られたものの、漢詩名旬を和文化して和歌に詠み込み、漢文学の語彙や題材を仮名文学に引用することが盛んに試みられていました(服藤
東海林、2023)。
また上記の定子サロン以外には、ドラマ内の文化的な集まりとしては道隆主催や道長主催の漢文の会などがあった程度の感じですが、実は非常に重要な文芸サロン、大斎院選子内親王サロン、具平親王サロンが存在し、当時の文壇に大きな存在感を持っていました。
(1)藤原定子サロン
有名な「香炉峰の雪やいかに」のシーンがドラマでも出てきましたが、隆家がどういうこと?とサロンの女房に訊くと首を傾げていて、清少納言だけがわかった、という描写でした。しかし実際には他の女房たちも香炉峰が「わかっていた」ことが『枕草子』に描かれています。
その段の結びは、「さる言(注・白楽天の詩)は知り、歌などにさへうた」うという言葉で、気の利いた女房ならば当然「知る」だけでなく「歌にまでうたう」ほど馴染んでいると書いてあります。つまりその場の女房たちも自然と白楽天の詩を思い浮かべたわけで、清少納言の場合はそれを聞いて理解しただけでなく、機転を効かせて実際に行動してみせたところに特色があるわけです(今井、2016)。
また、定子サロンにば清少納言以外にも漢籍に詳しく当意即妙な受け答えをする代表的な女房がいました。宰相の君と呼ばれる女房です(彰子サロンの宰相の君とは別人です)。八七段「かへるとしの二月廿五日」では、白氏文集の句をふまえて、藤原斉信とやりとりをしたので人々に感心されました。彼女は藤原顕忠の孫娘で上臈でしたが、能書家で定子の代筆を務めたりもしており、定子サロンの中で特に歌才ある女房として認められていたようです。彼女は定子が零落後も最後まで残った女房の一人でした(山内、1969)。
ドラマだけを観ると清少納言だけが学識や機智に富み、彼女だけが定子を支えていたようですが、多くの教養あり男性貴族にも当意即妙な返しをする女房たちがいて、そこが彰子サロンと著しく違うところでした。サロンの魅力は一人か二人の女房が担うのでなく、女房全体の対応力にかかっており、紫式部自身、彰子サロン全体でそのような力量がないことを嘆いていました。ドラマではそのあたりの、知識と機智で男性貴族を惹きつける女性集団としての定子サロンがあまり描かれず、兄の伊周が定子サロンに男性貴族を呼び集めて様々な遊びをしているのが特徴のように描かれていたのが残念でした。
(2)大斎院選子内親王サロン
選子内親王(946〜1035年)については、ドラマで名前だけ出てきました。まひろの弟惟則がそこの女房、中将の君に懸想して侵入し怪しまれたものの、和歌を詠んで斎院に許された…というエピソードです。これは12世紀成立の『俊頼髄脳』に収められた逸話を元にしていると思われます。しかしドラマの中では、斎院とは何か、選子内親王とは誰か、当時どういう位置付けだったのか全く説明されていませんでした。
◼️略歴
選子内親王は村上天皇(円融天皇の父)の第十皇女で、中宮の藤原安子を母として産まれました。安子は権勢を持ったキサキでしたが選子を産んでまもなく亡くなり、選子は12歳で賀茂斎院に卜選されました。以来、円融、花山、一条、三条、後一条と五代57年にわたって斎院であり続け、大斎院と呼ばれ尊崇を受けました。賀茂斎院とは、上賀茂・下鴨の両賀茂神社に奉仕した皇女です。
女房たちの歌を含んだサロン全体の家集ともいうべき『大斎院前御集』(984〜986年(選子21〜−3歳))『大斎院御集』(1014〜1018年(選子51〜55歳))などが遺されています。
◼️紫式部の対抗心と影響
『紫式部日記』を読むと、式部が斎院サロンに対して大変対抗心を持っていたことが読み取れます。
式部はたまたま目にした、斎院の女房の「中将の君」の手紙(おそらく惟則宛と思われる)に、斎院こそが和歌などの趣きのわかる随一の人だ、と自慢げに書いてあるのを読んで、紫式部日記中で猛然と反論しています。すなわち斎院がたの歌がすぐれてよいとは思えないし、仕えている女房たちだって、中宮の女房より個々人で優れているとは思えない。斎院という神聖な場所が情趣に富んでいて、そこで風流な生活を送っているのに比べ、こちらは世俗的なことで忙しいので風流に浸っている暇はないのだ…などなど。また色めかしいことを彰子が嫌う風潮があり、女房たちも引っ込み思案なのだとも。
式部がこれだけ厳しい口調で長々と批判するということは、それだけ大斎院のサロンが文化的にも女房の質的にも非常に存在感があって、彰子サロンを霞ませかねない魅力があったということでしょう。御集を見ましても、斎院と女房が深い教養を持って冗談を言い合うような自由な空気があったことを感じさせます。どちらかと言うと、彰子サロンより定子サロン的な雰囲気があったのかもしれません。
紫式部は大斎院サロンが浮世離れした情趣に浸れる場のように描いていましたが、実際は『小右記』に斎院殿舎の破損が著しいが修理の費用がない(1014年)という記事があったり、冬の夜に炭の備えが切れて代わりに板を燃やそうとするなどの記述が『前御集』にあったりするので、必ずしも安定して豊かだった訳ではなさそうです。しかしそのような中でも選子の才覚によって人里離れた斎院の地が、男性貴族が風流を求めて出入りする地になったことは、御集に多くの女房が男性貴族と交わした贈答歌が含まれていることや小右記にある記事などでも伺われます(目加田、1978)。
そもそも式部がライバル視しているものの、選子と道長、彰子の関係は良好で、選子は盗賊侵入などの問題が起きれば道長を頼っていました。選子が賀茂祭などでも当意即妙に道長と交流したことが歴史物語の『大鏡』でも描かれています(岡崎、1965)。
式部も色々書いてはいても、結局様々な局面で『源氏物語』の中で大斎院をモデルにしにています。六条御息所が斎宮と暮らす野宮の「をかしういまめきたること多くしなして」、風流好みの殿上人たちが出入りしている、とある描写もそうですし、また光源氏が恋慕するも、彼の色好みや彼が愛した女性たちの様子を見て拒み続け、友人関係になる朝顔斎宮もそうです。『源氏物語』が現実の事象からインスパイアされていることを強調するドラマならば、選子サロンのことも取り上げて然るべきではなかったでしょうか。
◼️物語の蒐集・写本センターとしての大斎院サロン
源氏物語の製本を彰子サロンで行ったのは『紫式部日記』に出ていますし様子がドラマで出てきましたが、『大斎院前御集』では選子内親王のサロンで「歌司」「物語司」などの役職が設けられ、女房たちの手で組織的な盛んに歌集や物語の蒐集・書写が行われていた様子が読み取れます。古くなった物語は里下りした女房に下賜されたりもしていました。
そのように多くの物語を集めていたことや、「司」や役職まで設けて図書作りをしていたことは、紫式部が出仕した前後の時代にも継続されていたかは定かではありません。ただ鎌倉時代初期成立の『無名草子』には、大斎院が何かつれづれを慰める物語はないかと彰子に尋ねたことがきっかけで紫式部の『源氏物語』が作られた、という逸話が残っています。それ自体を史実と認められるような証拠は存在しませんが、大斎院がに彰子サロンに物語を求めても不思議ではないと後世理解されていたというのは興味深い逸話です。
「物語」の享受のされ方、流通の仕方として、大斎院の図書センターぶりを描くとよりわかりやすかったと思われます。
(3)具平親王サロン
<図: 菊池容斎 『前賢故実』巻第5,雲水無尽庵,1868)国立国会図書館デジタルコレクション>
◼️略歴
具平親王(964〜1008年)は村上天皇第七皇子で、醍醐天皇の孫にあたる荘子女王を母として生まれました。選子内親王の異母弟にあたります。
政治的立場は強くなかったものの、当代随一の文化人で、漢詩や和歌はもちろん、陰陽道、医師・書道、管弦にも大変通じていました。親王の六条の邸宅では同好の士が多数集まって詩を詠みかわしたりする酒宴などが催され、文壇の中心的存在でありました。親王の師である慶滋保胤が中心となる念仏結社の歓学会では、仏道を学ぶとともに漢詩も詠まれるようになりました。
◼️「心よせある人」具平親王
紫式部の書いたもので、具平親王との関わりを示すものが一箇所だけあります。『紫式部日記』の中の、道長が生まれたばかりの敦成親王のおしっこをかけられても喜んでる描写の次に唐突に挟まれている、以下の記述です(寛弘五年、1008年)。
「中務が宮わたりの御ことを、御心に入れて、そなたの心よせある人とおぼして、かたらはせたまふも、まことに心のうちは思ひゐたる事おほかり。」
中務宮とは具平親王のことで、道長が式部が親王の「心よせある人」であると思って自分に語らってくる態度に、複雑な思いをしている…という文章です。道長は当時、頼通と具平親王の娘の隆姫との結婚を切望していました。道長はその前から、具平親王が心服していた師である慶滋保胤の四十九日を大々的に行って大江匡衡に諷誦文を作らせた(長保四年、1002年)りしており、親王との関係を深めようとしていました(天野、2023)。道長は式部と親王家との関係性を利用して、縁談を押し進めようとしていたと思われます。
『紫式部日記』にはその後の展開の記述がありませんが、実際に頼通と隆姫は結婚し、子供はできなかったものの親王の息子を養子に迎えています。
道長は何を根拠に「心よせある者」と思ったのかは史料に出てきませんが、たとえば『紫家七論』(江戸時代の国学者である安藤為章の注釈書)では式部の従兄(おじ為頼の子供)である伊祐の子頼成が、実は具平親王の落胤であったことをを指摘しています。ご落胤の話は『権記』伏見本の書込での記述を元にしており、後世の加筆の可能性もありますが、もし真実であれば、式部にとって大きな影響をもたらしたと考えられます。
そもそも紫式部の一族は、ドラマ内では皇族とは縁のない中流貴族のような描写でしたが、実際は具平親王と遠縁にあたりました。親王の母の荘子女王と父為時とおじ為頼の祖母が姉妹という関係もあり、またもちろん秀でた文化人同士ということもあり、二人は親王と公私共に親しく交流していました。為時は自らを「藩邸の旧僕」と名乗っていて、親王の家司を務めていたのではという研究もあります。為頼は妻の死にあたり荘子女王から見舞いの歌を受け取っており、また親王は為頼が亡くなったことについて哀悼歌を作っています。
その為頼は、越前に赴く式部にあたたかい歌を贈り、式部を案じる式部の祖母の歌も代わりに歌いました(『為頼集』より)(伊藤、1980)。ドラマと違い、紫式部は父母と弟だけでなく、おじを含む親戚にも囲まれて育っていました(服藤 東海林、2023、上原、2023など)。そのような中、上にも挙げたように為頼は式部をかわいがり、式部もまた為頼の影響を強く受けました。式部は為頼の歌を「源氏物語』の各巻で印象深く用いています。
そのように父・おじが深く関わっていた具平親王に、紫式部も少女時代に女童として出仕していたのではないかという説があります(福家、1987など)。たとえば『紫式部日記』には、式部が若い頃から箏の琴の名手であったことが書かれていますが、箏の琴は皇族伝来の由緒ある楽器と奏法で、為時のような身分では本来関わらないはずです(伊井、2024)。『源氏物語』では明石の姫君が箏の琴の名手として描かれていますが、それは「延喜の御手(醍醐天皇)」から相伝されたためであるとしています。そのため、その他各種楽器や有職故実の知識と共に、具平親王の教えがあったのではという指摘があります(伊井、2024)。『源氏物語』を書く上で必要な大量の紙の支援者問題についても、倉本氏は道長説を推していますが、少なくとも初期源氏物語は具平親王がパトロンとなった可能性があります。
◼️源氏物語のエピソードとの関連性
光源氏のモデルは、源融、源高明(明子の父)、藤原伊周など様々な人物が挙げられていますが、その中に具平親王の名前もあります。光源氏は学問にも様々な文芸、芸術に卓越していますが、具平親王もまさしくそれら諸芸に卓越した存在でした。また彼は六条にあった広壮な屋敷に住み、六条の宮とも呼ばれていました。『源氏物語』の四季折々の草花が咲く六条院は、古註ではうつほ物語の長者たねまつや、源順の河原の院がモデルではないかと言われていきましたが、当時の読者には四季の種々の花の咲き乱れる千種殿とも、桃花園とも言われた六条の具平親王邸がまず想起されたのではという指摘があります。親王が源氏であり、生まれてまもなく生母を亡くしているのも共通しています。
具体的なエピソードでもモデルになったらしきものがあります。夕顔頓死の物語が、『古今著聞集』「後中書王具平親王雑仕を最愛の事」で紹介されている具平親王のエピソードとの関連が認められているのです。ある月明かりの夜に具平親王が遍照寺に連れ出した寵愛する雑仕女は、物の怪に襲われて急死し、それを嘆き悲しんだ親王は、遺児と共に親子三人の姿を「大顔」の車と呼ばれた牛車の窓の裏に描いて偲んだというのです。
夕顔が「なにがしの院」の廃屋で物怪に取り憑かれてなくなるエピソードのモデルは、旧来宇多上皇と京極御息所の逸話が元であると言われてきました。上皇が御息所を連れて元源融の邸宅であった「河原院」で一夜を明かした時、その院の元の主の源融の霊が現れて御息所を求め、御息所が気絶したという話(『江談抄』)です。しかし女性が身分高い御息所な上に、現れたのが男の霊で女を求める、女は気絶しただけで蘇生した、という宇多上皇の話より、身分低い相手が死んでしまった具平親王の逸話の方がはるかに「夕顔」と似ているといえます。あるいは式部は、あえてその両方の逸話を取り混ぜたのかもしれません。
また親王の母の荘子女王は1008年まで存命でしたが、その逸話も『源氏物語』に取り入れられた可能性があります。村上天皇の女御時代、姉の恵子女王と春秋の優劣を競う歌合をしたことがあり(応和三年 宰相中将伊尹君達春秋歌合)、秋好中宮と紫の上の和歌を交えた春秋優劣論と様々な点で似ているのです(野本、2013)。
具平親王と紫式部については、親王経由で彰子への出仕を斡旋されたとか、いや彰子への出仕は道長サイドにつくということなので親王側から裏切りとみなされたとか、そもそも親王は式部が密かに憧れ慕っていた相手だった…など、様々な憶測がなされています。
個人的には、抜きん出た教養人の具平親王と、幼い頃から学問好きだった式部は共鳴するものがあり、式部は様々なことを親王から吸収して、ある種の憧憬を持っていた可能性はあると考えています。『源氏物語』に流れる「反摂関家・親源氏」の政治的な枠組みも、具平親王やそのサロンの影響を受けている可能性も指摘されていることを考え合わせると、ますますそのように感じられます。
しかしそのような間柄が想像されるからこそ、道長と紫式部がソウルメイトである設定が中心のこのドラマでは、親王は邪魔な存在だったのかもしれません。脚本家があまり知らなかった可能性もありますが…
(4)賀茂保憲女〜身分社会への痛烈な批判
◼️略歴
賀茂保憲は名高い陰陽師で、ドラマにも出てくる安倍晴明の師です。息子には、晴明と並び称され父から暦道を伝授された光栄、権天文博士にも任じられた光国、筑紫守や豊前守を歴任した光輔がいます。しかし娘は兄たちと違い宮中に出仕することなく、家居の女として生涯を過ごしました。生没年もわからず、生きた時代は10世紀後半だろうとされています。
ですが彼女は、創作に対して非常にエネルギーを持っていました。方丈記にも匹敵する長い仮名散文を序に持つ特異な家集『賀茂保憲女集』を著し、孤独な生活の中で培った様々な思索や感情を綴ったのです。佐佐木信綱は序文について「比喩が豊富で、象徴的ともいふべき文体である。もしこの保憲の娘が、物語か随筆に筆を染めていたらば、或は清紫以外にわが国の文学史を飾ったであらうと思はれる程である」と、清少納言・紫式部と並べて絶賛しています(佐佐木、1927)。明治書院の和歌文学体系の賀茂保憲女歌集の解説では、さらに思想面に踏み込んで「『保憲女集』内部に見える自閉性、閉塞性は否むべくもないが、一方で、彼女の視野の広さは当時にあって、かなり革新的なものといえる。特に序文には(中略) 自然界に向けたまなざしや彼女の思想の根底にある平等感は、現代にも通じる不変性を提示している。視野の広さと自己認識の確かさは、平安時代を代表する女性達、藤原道綱母、清少納言、紫式部、和泉式部らにもけっしてひけをとらない」とまで書かれています(武田、2000)。
◼️「人間は皆平等」観を打ち出す
出仕もしない家居の女性ながら「漢文や暦に関する知識は並々でないことが、家集中から窺われる」(天野、2023)ことももちろん驚くべきことですが、特に注目されるのは、その「彼女の思想の根底にある平等感」でしょう。
「…泥の中に生ふるを、遥かにその蓮いやしからず。谷の底に包ふからにその蓮いやしからず、宮の内の花といへども、咲くことは隔てなし。
東の山に秋の紅葉照らず、西の山に春の花開けずはこそあらめ、空にすむ月の影、はかなき水に映らずはこそあらめ。大きなる川、小さき川も、波のさま隔てなしと思へど、より劣れる人の、優れたる才あらはるること難しといへど、人にまさりたる人の、劣りする才は劣りたる言の葉のおもしろきにはあらず。」
現代語訳: 泥の中に生えていても、蓮が下賤ということはない。蓮の花は、谷の底に咲いていても宮廷に咲く花にも遜色はないのだ。文芸も、身分の貴賤によって優劣をつけるのはおかしい。身分が劣った人に優れた才能があっても、それが現れることは難しく、身分高ければ劣った才能で、おもしろくも何ともない言葉でも持ち上げられる。」(本文・現代語訳ともに天野、2023)
「身分階層によって定まる社会の不合理を、こうまではっきり言った文章は類を見ない。先に見た曽称好忠らによって始められた不遇を訴える「百首歌」に影響されたとはいうものの、彼らが比喩をもって身分社会の現状をいい、沈淪の身を哀嘆するのに対して、保憲女はもっと直截に、劣った才能も、身分あるゆえにもて囃される社会をおかしいと言っている。これは、男性歌人たちの「百首歌」が、多くは訴える先方のある奏状の意味合いで作られていることとの違いなのだ。」
と天野氏は述べています。
◼️ドラマのまひろの主張との比較
ドラマでは、まひろが一条天皇の前で白居易『白氏文集』第四巻『新楽府』の「澗底松 」の一節「高者未だ必ずしも賢ならず、下者未だ必ずしも愚ならず」を引用して、身分によって賢愚は決まらない、という主張を述べています。これを天皇に向かって紫式部のような立場の女房が直言することは不自然ですが、その主張自体は、紫式部以前から日本でも不遇をかこつ文人に親しまれているものでした。
「澗底松」全文を読むとわかりますが、繰り返し主張されるのは、素晴らしい人材がその低い生まれのために見過ごされていることがあるし、凡庸な者も高貴な生まれにいる、というもので、賀茂保憲女のように「どの身分でも人間は同じだ」とまで言い切っていないのです。
ドラマで貴族ではない庶民にも教育を施したり、身分など関係ないとたびたび主張するまひろですが、そのような発想は賀茂保憲女のような人物にこそふさわしいと感じられます。
◼️紫式部への影響
このようなある種激烈な内容を持つ『賀茂保憲女家集』ですが、『源氏物語』に影響を与えていたことが判明しています。
賀茂保憲女家集の中の「まれの細道」「霧迷う」という個性的な表現が、宇治十帖の中で印象深く使われていることが指摘されているのです(天野、2023)。
紫式部と賀茂保憲女は直接の接触は記録にありませんが、先に述べた具平親王の師でありその供養を道長が行った慶滋保胤が保憲女のおじであることから、具平親王サロンを介した歌集の入手の可能性はあります。保胤が姪の歌集を為時に紹介し、それを為時が娘に見せた…ということも想像してしまいます。
もっとも宇治十帖が書かれたのは源氏物語の中でも後の方と思われるので、紫式部の若い頃の交友圏であった具平親王サロン経由であるとすると、その影響の発現が遅い気がします。ですが従来直接の交流がなかったとされる紫式部と清少納言を親しい友達にしたドラマ脚本ならば、二人を結びつけることも容易にできたのではないでしょうか。
4.考察
ではなぜ、そのように、紫式部を作りあげた先人の物語や、同時代の才女才人の存在を無視したドラマ作りになってしまったのでしょうか。またなぜ、『源氏物語』がまひろの体験や道長からきいた「現実」(創作が含まれる)のパッチワーク的なものとして描かれるようになってしまったのでしょうか。
私の見るところ、脚本家大石氏の「小説」への意識が大いに関係していると思われます。そしてさらに、今回の考証を務めておられる先生方の「物語」軽視の姿勢も見逃せません。
(1) 大石氏の小説観
そもそも脚本家の大石氏は「小説」というジャンルにあまりいい印象を持っていない感じのことを言っています。
「光る君へ」脚本家・大石静に聞く物語の力 | Vogue Japan
私は脚本家で、小説家になりたいんじゃないということも、そのときしみじみわかりました。台詞を書きたいんです。小説だと「にっこりしたけど、心の中では違うこと考えてた」と文章で説明ができるんですけど、脚本の台詞でそこまで書くと説明的になりすぎてしまう。人間って思っていることの2割ぐらいしか表に出さなくて、8割ぐらいを隠して生きてる。だから、脚本はこの表層の2割を描きながら、裏の8割を感じさせるように書かなきゃならない。テクニック的には断然脚本のほうが難しいものだとも気づきました。それなのに脚本家のほうが格下に見られてるのは悔しいなと思ったりもします。
小説を書くことへの苦手感は他のインタビューでも言っており、かなりなもののようです。【受賞インタビュー】脚本家・大石静氏が語る『大恋愛』「見る人をこんなに幸せにするコンビはいない」 3ページ目 | ORICON NEWS
また大石氏はこうも言っています。
作家の私小説みたいなコンセプトの物語が好みで、島崎藤村の姪っ子に手を出してしまった自分を書いた『新生』、林芙美子の『浮雲』も好きですね。絶対的な自己否定がしみじみと伝わってくるところが好きです。
つまり、実体験に基づく私小説が好きであると言っているわけです。虚構よりも現実に沿ったものが良い、という大石氏の価値観が透けて見えます。
上記のことを総合しますと、大石氏の考えによれば、紫式部は主に実体験や見聞に基づいて『源氏物語』を書いたのであり、またそれこそが『源氏物語』の素晴らしさであって、それまでの物語文化は重要ではないという判断なのでしょう。小説は脚本よりも「簡単」なのだから、その念入りな習作的なものも特に必要でないという考えかもしれません。
「光る君へ」脚本家・大石静さんに聞く、紫式部はどんな人?|私の源氏物語【巻の二】
男女のあらゆる恋を並べつつ、その行間には政権批判や文学論、人生哲学までも込められています。ゼロから物語を構築しつつ、奥が非常に深いのです。
この「ゼロから」という表現にも、紫式部が乗っかっていた「巨人の肩」の透明化がはっきり伺えます。
そして本ドラマが、そういう文化的な蓄積や交友関係ではなく、道長とまひろが「ソウルメイト」であるという設定を中心に据えれば、道長とまひろのドラマ内の経験、道長がまひろに語ったことが源氏物語のインスピレーションの全てになってしまうのもやむなしといったところなのでしょう。
(2) 仮名文学をネガティブに扱う考証
また物語の軽視について、考証の倉本一宏氏の考えもかなり影響しているのではと感じます。
倉本氏は繰り返し『源氏物語』をはじめとする女性の文学が、平安時代の理解を歪めてきたと主張しています。
「まれに平安時代の愛好者がいても、ほとんどは『源氏物語』や『大鏡』『今昔物語集』などの文学作品からイメージする平安貴族像を、実際の彼らの姿だと考える人がほとんどでした(小説や映画の陰陽師の姿を史実だと考える人すらいました)。
平安貴族は遊宴と恋愛にうつつを抜かし、毎日ぶらぶらと暮らしている連中で、しかも物忌や怨霊をじて加持祈禱に頼っている非科学的な人間であると信じられてきたのです」
(倉本一宏『平安貴族とは何か : 三つの日記で読む実像』 はじめに より)
倉本一宏さん 「光る君へ」の時代考証を担当する歴史学者は語る……古記録を読み解けば貴族の真実が浮かび上がる(読売新聞オンライン) - Yahoo!ニュース
「文学作品だけでは、平安貴族が恋愛と遊宴にばかり熱中していると誤解される。古記録を読み解くことで、政務や儀式にいそしんだ貴族の真実の姿が浮かび上がる」
平安時代の文学作品は平安貴族への悪しきイメージ作りを助長するというネガティブなことを繰り返し述べている学者さんが、平安時代の文学の最高峰である『源氏物語』の作者を主人公にしたドラマの考証をするというのはなんとも皮肉なものを感じます。
ドラマ全体を見ますと、倉本氏が広めたいと思っている、政務に勤しんでいた貴族像を描こうとしているは大いに読み取れます。平安時代に全く興味も知識もなかった脚本家氏に、その領域で適切なアドバイスをし、それが反映されていたのだとわかりますし、大変素晴らしいことです。しかし一方で、政治パートに比して物語関連の描写の貧弱さも否応なしに感じ取れるものであり、その分野についての提案がどの程度あったのか少々疑問にも感じます。ドラマ作りで考証のアドバイスが活かされないケースが多々あり、実際倉本氏もこれこれこういう知見が活かされなかった…ということをよく発信しておられるので、一概に全く提案がなかったとは言えませんが、考証のそちらの領域への関心の薄さや低い扱いが反映されているようにも見えます。そもそも倉本氏は古記録を中心とした分野の専門家であり、倉本氏ひとりをメインの考証に据えた時点から、物語方面にチカラを入れない方向性は定まっていたとも言えます。
(3) ドラマ全般で女性文化・女性一般への蔑視
それだけでなく、このドラマは全体的に女性文化を下に見る意識を非常に感じるドラマです。
ドラマでは『源氏物語』の「雀の子」などのよく知られたエピソードを、ドラマ内でまひろの身に起きたこととリンクさせたりしますが、『源氏物語』の中の美意識については頓着していません。たとえば紫式部は衣装について非常に細やかな意識を持っており、形状や色彩でその人の社会的立場や人となりなどを表していますが、残念ながらその意識はあまりドラマの衣装には反映されていないようです。
また漢文の素養も和歌の素養もなく、勉強嫌いで、政治などの難しい話は人任せ、噂話は大好き…などの「愚かな女」がたくさん登場してまひろの引き立て役になりますが、「女は一般にそういうものだ」という意識を非常に強く感じます。脚本を読みましても、そういう「一般の女」の描き方の悪意があるのが読み取れます。
実資が内侍所に調査に行った時の女房たちのヒソヒソ話は
「ぶれー」「ぶれー」「ぶれー」
「イヤな奴う〜」
と、平仮名などで幼稚な感じに描かれ、倫子サロンで赤染衛門び真面目に学ぶように嗜められた姫君たちは
姫達「は~い(キャッキャツやホホホホ~と、
それぞれ意味不明に笑う)」
箸が転んでもおかしい年頃の女の子達。
と、いかにも頭の軽い若い娘たちといった塩梅に描かれます(いずれも 月刊「ドラマ」3月号(映人社、2024)より)。映像よりむしろ脚本の文章の方が悪意を感じさせるものです。
またドラマで物語がほとんど登場しなかったのに対して、漢文は大変多く登場するのが非常に不均衡です。頻繁に描かれる男性貴族の漢籍の学びや作文会、まひろの手紙における漢文からの引用、また先にも挙げた、白氏文集の引用で一条天皇を感心させるというくだりなど、漢籍関係は山ほど出てきます。和歌は男性も作るものとして物語に比べれば多少出てきますが、解説なしのものも多く、漢文には劣ります。漢文文化>仮名文化(和歌>物語)という価値観を感じさせるのです。
漢文は男の世界のものであるという前提がある中で、漢文ばかりが描かれ、その漢文を会得したごく少数の才女が称揚されるというのは、あからさまな男性文化優位の世界観なわけです。いわば名誉男性化した、ごく一部の優秀な女性だけが素晴らしく、女性ならではの人生の困難や、女性としての観察や考え、文化などは、全く描くに足りぬという態度が透けて見えます。第3話で、先ほど挙げた倫子サロンでのろくに学ばない姫君たちのシーンの後、道長や公任らが漢籍を学ぶシーンを接続して「姫達のどかなあそびと対照的に、関白の屋敷では休日であっても上級貴族の子息たちが国家を率いていく者としての研鑽を積んでいた」というナレーションがあります。その前段階と思われる脚本では、「姫達のどかなあそびと対照的に、こちらは上級貴族たる藤原氏の子息たちの学びの場である。彼らは、深夜まで内裏で働き、休日はこのような場所で、国家を率いてゆく者としての研鑽を積んでいた」(月刊「ドラマ」3月号(映人社、2024))と、より露骨に「怠惰で愚かな女と賢く勤勉な男」という対比が強いです。このドラマを貫く「漢籍🟰男性貴族&男性貴族社会の文化🟰賢い・真面目で重要なものである」「女性貴族&女性貴族社会の文化🟰愚か・しょせん遊びであり取るに足らぬものである」という思想が如実に表れたプロットと言えましょう。
女性ならではの悩みは、全く描かれなかった訳ではありません。たとえばドラマの最初の方で、女性が嫡妻でなく「妾(しょう)」になることについて、藤原道綱母のセリフなどでいくつかのシーンで描かれていました。しかし今までの経緯を見ると、正直きちんと描けているとは言えない状態です。そのあたりの苦しみを描いたはずの道綱母の『蜻蛉日記』がろくに紹介されず、倫子サロンでは同書について、夫がなかなかきてくれない悲しみよりもむしろ高位の男性に愛された自分を誇っているという解釈をまひろが述べます。しかしまひろの「妾」状態の女性への思いは、ドラマ中で二転三転しよくわからない感じなので(道長の妾になることを拒むも、結局妾状態になり、でも彼からの愛は自信満々に信じてる)、いずれにせよ当時の不安定な立場の女性の苦しみがまるで見えてこないのです。
『源氏物語』は、漢籍の素養が散りばめられている「から」すごい的な描写がドラマではなされています。しかし正直漢文の素養が物語に読み取れることは、それまでの男が書き手だった『うつほ物語』などでも見受けられることであり、女の作者が「女なのに」知識があるからスゴイ、というのは、一面的な評価にとどまると言えます。現実の人間の悩み、あるいはずるさ、などの細やかな考察や描写が織り込まれていることの意義が描かれなかったこと自体、所詮、物語はくだらないものという当時の意識をトレースした作劇になってしまっていると思います。
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『源氏物語』は、従来の物語にあった宮廷絵巻や貴公子の恋愛譚に、『蜻蛉日記』で開拓されたような現実的な人間の悩み苦しみの深い描写を結合したところに画期性があります。そして式部の血脈にはドラマで描かれなかった高貴な身分の人々との繋がりがあり、そこから得られた教養や様々な逸話の情報も大いなる血肉となりました。また紫式部や清少納言などの有名なごく一部の女性が教養深かったわけではなく、様々なサロンで教養ある女房が活躍していて、その文化が源氏物語にも照射しているのです。
そういったことをドラマでは全くないこととして、まひろひとりの考えで同時代の(自分を含めた)モデル小説のように『源氏物語』が成立したと描いているため、文学的な厚みや奥行きのないものになっている感はあります。またここでのテーマと直接関わらないので割愛しましたが、そもそも『源氏物語』は醍醐天皇や村上天皇などの昔の天皇の御代をイメージさせるものが横溢しており、書かれた当時からいわば時代小説として享受されていたという側面がありますが、それも全く描かれていません。書かれた当時の文化の厚み、それ以前の歴史の厚み…それらをほんの少しでも描いていれば、ドラマ自体もぐっと深みをましたと思われます。また「光る君へ」を「フェミニズム大河」と評する意見も散見しましたが、仮名文化の深みをしっかりと描き出していれば、描かれなかった多くの才女たちがきちんと登場し、まひろの引き立て役でなく正当に描かれていれば、その称号にふさわしいものになったのにと、思わずにいられません。
<了>
参考文献
◼️紫式部
・上原作和『紫式部伝 : 平安王朝百年を見つめた生涯』(勉誠社、2023)
・斎藤正昭『紫式部伝 : 源氏物語はいつ、いかにして書かれたか』(笠間書院、2005)
◼️源氏物語
・栗本賀世子『源氏物語の舞台装置 : 平安朝文学と後宮』(吉川弘文館、2024)
・高橋麻織『源氏物語の政治学 : 史実・准拠・歴史物語』(笠間書院、2016)
・藤村潔『源氏物語の構造』[第1](桜楓社、1966)
◼️王朝物語
・神野藤昭夫『知られざる王朝物語の発見 : 物語山脈を眺望する』(笠間書院、2008)
・中野幸一『うつほ物語の研究』(武蔵野書院、1981)
・長谷川福平「源氏物語に於ける落産物語の重なる影響」『國學院雜誌』7(6)(80)(國學院大學、1901)
・三谷栄一『物語史の研究』(有精堂出版、1967)
◼️藤原定子
・今井久代「 『枕草子』「雪のいと高う降りたるを」段を読む」『日本文学 / 日本文学協会 編』 65(1)、2016
・目加田さくを, 百田みち子 共著『東西女流文芸サロン : 中宮定子とランブイエ侯爵夫人』(笠間書院、1978)
・山内 益次郎.「宰相の君について--枕草子人物考」『国文学研究 / 早稲田大学国文学会 [編]』(通号 39) 、1969
◼️選子内親王
・岡崎和子「大斎院選子の研究」(古代学協会 編『摂関時代史の研究』,(吉川弘文館、1965)
・服藤早苗、東海林亜矢子 編著『紫式部を創った王朝人たち : 家族、主・同僚、ライバル』(明石書店、2023)
◼️具平親王
・藍美喜子「紫式部と六条の宮・具平親王」『甲子園短期大学紀要』16巻、1997
・川口久雄 『平安朝日本漢文学史の研究』中 (王朝漢文学の中興)(明治書院、1982)
・竹鼻績「藤原公任の研究 : 公任集作歌年次考」『山梨県立女子短期大学紀要』4、1970
・野本あや「『源氏物語』少女巻の春秋優劣歌と『宰相中将伊尹君達春秋歌合』 : 「岩根の松」「つくりごと」の先例をめぐって」『物語研究』13,、2013
・福家俊幸「紫式部の具平親王家出仕考」学術文献刊行会 編『国文学年次別論文集中古3』(朋文出版、1987)
◼️賀茂保憲女
・天野紀代子『賀茂保憲女 : 紫式部の先達』(新典社、2021)
・小塩豊美「『賀茂保憲女集」の和歌―『紫式部集』との関連について」『筑紫語文 』(5), 筑紫女学園大学日本語日本文学科、1996
・佐佐木信綱 『和歌に志す婦人の爲に』,(實業之日本社、1927)
・武田早苗、佐藤雅代、中周子校註『賀茂保憲女集 . 赤染衛門集 . 清少納言集 . 紫式部集 . 藤三位集』(明治書院、2000)
社会が存在しない真空地帯での個人の物語〜『クルエラ』(ネタバレ感想)
ディズニー+で『クルエラ』(2021)を観ました。とんがったファッションセンスの持ち主で反逆児のエステラが、いかにしてあの101匹わんちゃんの悪役クルエラになったか…という物語という前知識のみで鑑賞。
感想としては、描きたいことは一体なんだったんだろう…という、結構モヤモヤした印象でした。まず101匹わんちゃんのクルエラの前日譚としては機能してません。ダルメシアンを殺して皮をとるどころか救ってあげるんですから。それでもお話として面白ければいいのですが、これがなんともスッキリしない作りでした。クルエラは「反逆児」的に描かれているにも関わらず、じゃあ何に反逆しているのか…という輪郭がいまいちくっきりしていないのです。また対人間的には数人の身近な人物たちへの反抗や嫌がらせのみで、絵面の派手さに比してかなり個人的な展開に。まるでクルエラとその周囲の人たち以外に人が存在しないかのような、社会というものがない真空の中で演じられているような違和感を持ちました。
他にも色々気になる点がありましたので、以下にあげていきます。
■デザイナーとしてのクルエラのやりたいことが見えない
彼女はデザイナーになりたいはずなのですが、あんまりデザインする喜びが伝わってきません。一つ一つぼドレスはおしゃれなのですが、なんか統一感がないですし、クルエラとの関係を見た場合、こういうファッションを作りたい!という情熱より、人々を驚かせたり怒らせたりしたいという欲望の方が強いように見えます。
またそのせいか、この作品ではファッションショーが何回も出てきて、バロネスの屋敷のパーティーで事件を起こすシーンが繰り返されますが、それが意外にも単調に感じました。そういうのはふつう、華やかで見飽きない作りになるかと思いきや、後の方になると、またかという感じです。時代と場所は60年代後半から70年代くらいのイギリスに設定されているようですが、当時の文化があんまりくっきり描かれず、抽象的ないつかどこかで的な描写になっていることとも関係していそうです。
◼️設定詰め込みすぎなバロネス
この映画の第二の主人公ともいうべきバロネスは、横柄に目下の者に接するパワハラ気質であるものの、才能あるものは見抜く、ファッション界のバリキャリ女帝。全体に『プラダを着た悪魔』(2006年)のミランダを意識してるようなキャラです。
しかしミランダが、あくまでも主人公に対してビジネス上の指導者でありたちはだかる敵でもある、という属性がメインであり、ある意味様々な人が経験する「キツイ上司」の寓意であるのに対し、バロネスはどんどんエステラの個人的な敵としての存在に変貌して行き、視聴者の感情は置いてけぼりに。
バロネスはエステラの才能も見抜いて抜擢してくれるのですが、純然たる上司部下の関係は長く続かず、実はバロネスがクルエラの育ての親を殺したということが判明。彼女の「悪」はパワハラ上司であるということではなく、殺人者、主人公の仇であることに移行します。さらにバロネスが実はクルエラの実母で赤ん坊のクルエラを殺そうとしたということも判明。さらには復讐しようとするエステラをバロネスが殺そうとするのでそのディフェンスへ、と、エステラとの関係は二転三転。エステラは育ての母がそうされたように、崖に突き落とされて殺されかけたものの危機一髪助かり、バロネスが逮捕される…という結末にも関わらず、なんだか釈然としない感じなのもむべなるかなの詰め込み具合です。
■クルエラとエステラの対比不足
主人公はエステラという、外面というか社会に期待される人格と、クルエラという攻撃的ながらありのままの自分、の二面性があります。この二面性こそがこの映画の大きな特色で、象徴的に白と黒のコントラストの効いた髪にもそれが反映されてると言えます。そこまで激しくなくても、表向きの自分と内なる自分の人格が違うという人は多いのではないでしょうか。しかしその割には、その対比はあんまりくっきりと出ていないのが残念でした。両者の差をもっと強調したり、そのはざまで悩んだり怒ったりする姿が描かれれば面白かったと思うのですがそうではなく、エステラの姿でもかなりクルエラ成分が滲み出ており。またクルエラは、自分は白黒つけるとかなんとか、強くて自立心旺盛な人格の自分を強調する割には、母への復讐に描写が割かれてしまって、それ以外の面の主義主張が描写されていなかった感じです。
■クルエラを抑圧する社会の不在
この作品には、意図的かどうかわかりませんが女性に対し抑圧的な男性が全く出てきません。序盤で、クルエラが百貨店男性マネージャー?から、お前は言われた掃除だけしてりゃいいんだと言われ続ける描写ありますが、彼はクルエラが女性だからいびってるのではなく、立場の弱い者をいびるというだけです。クルエラが男性でも同じようなイビリをしたかもしれません。一方でバロネスにはへいこらしていて、女性上司に威張られることについての反発や葛藤は見られません。この作品での男性は、とても優しく理解ある協力者か、権力にへいこらする小物かくらいで、現実社会の男性のように女性を蔑みもしなければ、意志の強い女性に対して敵意や憎しみを持ちもしません(意志の強い女性はいまだに男性たちから憎まれやすいというのは言うまでもないでしょう)。
またラスボスたるバロネスも、その価値観を作り上げた社会というのものが描写されていません。バロネスは産んだばかりの我が子を「始末」するよう指示しましたが、彼女が「ナルシスト」で妊娠を喜ばなかったため、ということになっています。ナルシストで子供嫌いなので自分の子供を始末する、というのはあんまりむすびつきませんが、言い換えると他者をケアするのが嫌だということの極端な現れなのでしょう。
しかしそう考えると、女性にだけ育児などのケアが押し付けられる社会通念への反抗ということで、掘り下げて描写すれば何か問題提起になったかもしれません。バロネスの夫の男爵は優しくて子供ができたことを喜んでいましたが、果たして育児にどれだけ協力的になるつもりだったでしょうか…?しかしこの映画でそのような掘り下げはなく、あくまでもバロネス個人が異常な悪い人格だからということになっており、社会通念への疑問を視聴者に持たせないようになっています。
女性を蔑み抑圧する男性、育児のようなケア労働が当然のように女性側の役割だとされる社会通念…このような様々な「社会」がことごとく描かれず、視聴者に考えさせる糸口を与えないこの映画は、ある意味かなり保守的な映画と言えるかもしれません。「反逆児」が主人公でありながら、なんとも皮肉な結果だなあ…と感じいった次第です。
<了>
近代日本画の中の実朝③
これまで安田鞆彦、松岡映丘の実朝絵について述べてきましたが、彼ら以外にも実朝絵を残した近代日本画家がいます。安田鞆彦や松岡映丘の弟子や関係者が多いですが、その系統以外の人も描いていました。以下にご紹介していきます。
<安田鞆彦関係>
◼️磯田長秋(1880〜1947)
小堀鞆音に師事。明治31年鞆音同門の安田靫彦らと紫紅会を結成、33年今村紫江の参加に際して紅児会と改称し、歴史画の研究を進める
●革丙会第9回絵画展覧会 「鎌倉右大臣」(昭和5年(1930)6月18〜23日 三越)
(絵葉書、筆者所蔵)
上方に鹿の家族。子を慈しむような両親の様子です。下にはやや物悲しげな表情の実朝が描かれています。顔立ちは神護寺の伝頼朝像を参考にしてるように見えます。立烏帽子をかぶり、座っている歌仙絵的姿ですが、衣装が菊綴が付いた水干姿は実朝の絵としては大変珍しいものです。吾妻鏡でも水干を身につけたという描写はなかったような。
上に描いてある鹿の家族の絵から判断すると、「ものいはぬ四方の獣すらだにもあはれなるかなや親の子を思ふ」の歌を画題にしているように見えます。
◼️棚田暁山(1878〜1959)
小堀鞆音に師事し土佐派に学ぶ。歴史人物画を得意とする。安田鞆彦と同門で安田らが結成した「紅児会」や鞆音の「歴史風俗画会」などでも研鑽を積んだ。
●革丙会第十六回展(1937年)「鎌倉右大臣」
『塔影』13(4),塔影社,1937-04. 国立国会図書館デジタルコレクション
衣冠束帯の歌仙絵風の実朝を真ん中におき、左に「世の中は 常にもがもな〜」か「大海の とどろに寄する〜」の歌意を描いたもの、右のはおそらくやはり金槐和歌集の歌意を描いたものを配する珍しい形式。ただ批評家からはその試みはあまり評価されず。
「棚田暁山氏の『鎌倉右大臣』も可なり努力したものであるが割に酬いられぬのは気の毒な感がした」
『白日』第11年(3)(85)(白日荘,1937-09)
「棚田暁山氏の力作『鎌倉右大臣』も金槐集の作者としての感とは離れた表現で、そこに作者の創意があつたのかも知れないがこれまた描き過ぎて余韻に乏しき憾みがあつた。」三輪鄰 評
『塔影』13(4)(塔影社,1937-04)
<松岡映丘関係>
◼️吉村忠夫(1898〜1952)
東京美術学校卒、松岡映丘に師事。昭和13年の松岡映丘死後、国画院を指導。歴史人物画を得意とする。
●「鎌倉右大臣」(制作や出展年不明)
『藝術』14(18)(大日本藝術協會,1936-07)国立国会図書館デジタルコレクション
屏風の前に座る冠と直衣?姿の歌仙絵風実朝。
左側に硯と紙が見えます。師の松岡映丘の実朝絵によく似た構図です。
◼️岩田正巳(1918〜1988)
東京美術学校卒、松岡映丘に師事。1921年(大正10年)新興大和絵会を結成。1938年(昭和13年)日本画院を結成。歴史画を得意とする。
● 新興大和絵会第5回展出展(大正14年4月17〜22日)「箱根路の実朝」
・「岩田正己氏は『武蔵野の秋」『箱根路の実朝』で大和絵本然のものに立帰つて居る」
『藝術』3(8),大日本藝術協會,1925-04
・「岩田正己氏は「武蔵野の秋」や「箱根路の実朝」で、やまと領の人物の憧景と、風景との調和をよく保つたものを見せた。」
(『芸天』(17)(芸天社,1925-04))
◼️服部有恒(1890〜1957)
東京美術学校卒、松岡映丘に師事。1938年(昭和13年)日本画院を結成。歴史画を得意とする。
●名古屋松坂屋東都大家紙本画展(1936年12月11〜15日)「鎌倉右大臣」
「有倒氏の「鎌倉右大臣」はいつも氏が描く絹本への堅さが無く反って好結果を示していた。」
『塔影』13(2),塔影社,1937-02
<それ以外の日本画家>
◼️奥村土牛(1889〜1990)
小林古径に師事。自然や生き物の絵を得意とする。
●「源実朝」(『名月先人集』(草木屋出版部、1944年)に掲載)
山崎斌 編『月明先人集』,草木屋出版部,昭和19. 国立国会図書館デジタルコレクション
草木染めの命名者で染色家、歌人でもあった山崎斌が、戦時下に作った日本の歴史的文化人を紹介した絵入りの本。小林古径、前田青邨、川合玉堂、上村松園ら錚々たる日本画家が絵を担当しています。土牛の実朝絵は黒い衣冠束帯姿の百人一首歌仙絵風。ちょっと中年ぽい感じの風貌です。
● 講談倶樂部 昭和19年5月号 表紙画(1944年)
衣冠束帯姿の実朝のバストアップ図。顔立ちは名月先人集の実朝と似ています。
◼️守屋多々志(1912〜2003)
前田青邨に師事。青東京美術学校卒。歴史画を得意とする。安田鞆彦、前田青邨らと法隆寺金堂壁画再現模写に携わる。
●源実朝
http://tadashimoriya.jp/wp-content/uploads/2017/01/鎌倉右大臣-.jpg
昭和の歴史画での実朝は束帯姿、狩衣姿が多いが、こちらは狩衣に鎧という大変珍しいいでたち。奇しくも鎌倉殿の13人の和田合戦時の実朝を彷彿とさせます。武家の棟梁でありつつ公家文化を愛した実朝の性格を描写したものでしょうか。
また波が寄せる岩の上に腰掛けている姿で、「大海の 磯もとどろに〜」の歌意も含んでいるのかもしれません。
●源実朝
http://tadashimoriya.jp/wp-content/uploads/2017/01/右大臣実朝.jpg
夕闇の八幡宮の階段で烏帽子狩衣姿で笛を吹く実朝という大変珍しい構図。大銀杏の黄色い葉っぱがハラハラと。
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以上、近代大和絵の中で調べられた限りの実朝絵をご紹介しました。もっと調べれば他にも色々あるかもしれません。「金槐和歌集」が近代日本文化の中でかなり存在感があり、教養層に一定のプレゼンスがあったこと、「画題としての実朝」というエッセイが教科書に採用されたこと、安田鞆彦や松岡映丘といった大家に愛されたことなどから、現代の我々が思うよりも画題として愛好されてきたようです。
<了>
第17回世界バレエフェスティバル Bプロ 感想
8/10(土) 14:00〜、第17回世界バレエフェスティバルBプロを観てきた。全体にAプロよりも踊り手とマッチしている演目が多かったように思う。以下に簡単な感想。
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― 第1部 ―
ライモンダ
振付:マリウス・プティパ
音楽:アレクサンドル・グラズノフ
マリーヤ・アレクサンドロワ
ヴラディスラフ・ラントラートフ
安心安定の美麗なライモンダで、会場を温めるにぴったりだった。ラントラートフのマント捌きも華やかな騎士ぶりが麗しく、アレクサンドロワの落ち着いた気品のある、また適度にケレン味ある動きに魅了される。ただ二人ともレヴェランスを引っ張る理由がよくわからず…そんなもんだっけ?それともなんか舞台裏の理由があったのだろうか?
アミ
振付:マルセロ・ゴメス
音楽:フレデリック・ショパン
マルセロ・ゴメス
アレクサンドル・リアブコ
男二人のコンテ、意外な面白さがあって良きだった。考えると男女の愛をテーマにしたのは多けれど、また、たまーに男同士の愛を描いたのはあれど、「友情」をテーマにした作品は少ないなと。肩に手を置く仕草は「プルースト」の「天使と悪魔」を思わせるが(サン・ルー侯爵とモレル)、「プルースト」と違って恋人関係ではない。肩に置かれた手がなん度も静かに振り払われ、ものすごく敵対してる訳じゃないが好敵手と認めあって切磋琢磨する感じ。
リアブコとゴメスの踊りに異なる個性が観てとれて面白い。特にゴメスの安定したアラベスクや、腕の動きのうねるようなしなやかさに目を見張った。白鳥か何か、大きく優雅な鳥の翼がうち広がっていくような…。かと思うと二人のジュテが、自然な上体と美しい足の広がりまでぴったりシンクロしてたりして、違いと同質の変化のめまぐるしい万華鏡のようでもあった。確かに「友人」は自分と全く同じでも全く違うわけでもなく、時にはライバルにもなるよなあと、友情とは何か…まで考えさせられてしまった。
ア・ダイアローグ
振付:ロマン・ノヴィツキー
音楽:ニニーナ・シモン
マッケンジー・ブラウン
ガブリエル・フィゲレド
こちらはアミと全く違う毛色の振付でまた面白かった。アミがベテランの優雅さで貫かれていたのに対し、こちらは若者にしかできないような、独特のリズム感と瞬発力とおかしみのある動き。ダイアローグという名にふさわしく、二人がダンスで対話してる感じが良い。よくあるコンテの動きとはちょっと違う振付だが、2人ともそれをよく体現していたと思う。ブラウンの身体能力を堪能。
ジュエルズより"ダイヤモンド"
振付:ジョージ・バランシン
音楽:ピョートル・チャイコフスキー
永久メイ
キム・キミン
永久さんの踊りとても綺麗でした。が、うーむ…Aプロにもまして、この二人が組んでこの演目を踊る理由は?となった。
ジュエルズはバレエフェスでもよく踊られる演目だと思うが、バランシン風かどうかはそれぞれながら、各々のペアはパートナーリングが素晴らしかった。宝石の世界で、その女王たるダイヤモンドと、彼女を輝かせる台座にして騎士とか、そういう世界観を感じさせるものが多かったと思う。キミンは確かに一生懸命ささえはしてるけれども、そのような何かの関係性が見えず。永久氏も彼女をもっと伸びやかに、ゴージャスに魅せるパートナーリングがあったらよかったなあと思った。二人とも技術はとてもあるのだから、それぞれが輝く演目を見たかった。
バクチⅢ
振付:モーリス・ベジャール
音楽:インドの伝統音楽
大橋真理
アレッサンドロ・カヴァッロ
大橋氏とカヴァッロの踊りはキレがあって良かった。東バメンバーも加えた構成で、見る側としても演目の流れの雰囲気が変わるのもいい。ジュエルズ→海賊ではよくあるガラになってしまいそう。ただインドの伝統音楽をインド以外の人、しかも白人の振付家が使って作るなんちゃって感を振付に感じてしまい、ちょっと没入感が妨げられた。
海賊
振付:マリウス・プティパ
音楽:リッカルド・ドリゴ
マリアネラ・ヌニュス
ワディム・ムンタギロフ
こちら安心安定のペアによる海賊。両者ともここぞというところで期待するワザをしっかりと披露しつつ、全体に品よくまとめている。ヌニュスのピケターンが美しい。ムンタギロフのアリは、以前どっかで見た王子系のダンサーの優雅なアリを彷彿とさせる動きで、王子系の人はそっちに全振りしたアリという造形でもいいよなと思ったり。あまりはではでしい動きではないのがかえって好印象という珍しい「海賊」だった。
― 第2部 ―
ソナチネ
振付:ジョージ・バランシン
音楽:モーリス・ラヴェル
オニール八菜
ジェルマン・ルーヴェ
二人ともAプロよりずっと良かった。お互いケミストリーがあり、軽やかにパをこなしており、ルーヴェが特にいきいきしてた。バランシン風かというとよくわからないが、ル・パルクの時よりは題材を自分たちのものにしていたと思う。
ロミオとジュリエットより第1幕のパ・ド・ドゥ
サラ・ラム
ウィリアム・ブレイスウェル
同じ演目を擦り切れるほどたくさん観てるというのは、時として不幸なのではないかな…と時折自分をかえりみて思う。たとえばこの演目の場合、自分はめちゃくちゃ素晴らしい上演でない限り響かなくなっていて、バルコニーPdD不感症とも言うべき状態になってしまっている。フレッシュな気持ちで鑑賞できる人が羨ましいと思った(もちろん数多く観てても楽しく新鮮に観られる人もたくさんいると思うが)。今回は、サラ・ラムのジュリエットはいかにも恋する14歳的で素敵!だったが、またしてもブレイスウェルが…だった。
ブレイスウェルはAプロのマノンよりは技術的には全然よくできていた。だが「恋するロミオ」の演技がないのが大変気になった。ベテランとか若くてもうまいロミオは、技術的に疾走感持ってこなしつつ、あふれる情熱を様々な動きに込める余裕があるが、彼は自分の見せ場が終わるとプツッと電源が切れる。たとえばジュリエットが後ろで踊ってる時に体の向きを変えず、ただ首だけ無理やり後ろ振り返って見てたりして、あー…という感じだった。あたかも「ジュリエットの踊りをロミオは見つめる」というト書きがあって、それに従ったかのようだ。マノンの時も思ってたけど、こういう指示があるんでそうします感がすごい。最後バルコニーに駆け寄る時とかも名残惜しい!感がなく。
確か彼が出たロミジュリ映画では、そのあたりがあんま気にならなかったというかまあ普通に演技してたと思うので、それはパートナーが違うからなのか、それとも編集された環境だからなのか、よくわからんかった。
マーラー交響曲第3番
振付:ジョン・ノイマイヤー
音楽:グスタフ・マーラー
菅井円加
アサクサンドル・トルーシュ
菅井氏の良さがAプロの時よりさらに活かされていたと思う。彼女の力強さとキープの姿勢や力、リフトされながらの動きも安定感となめらかさがあって安心して見られた。トルーシュのサポートも安心。
マノンより第1幕の寝室のパ・ド・ドゥ
ヤスミン・ナグディ
リース・クラーク
ナグディの溌剌としてお茶目でコケットな感じがいい感じに原作マノンっぽい。手紙を書いてるデ・グリューに近づくところもたっぷり演技を入れる。他のダンサーがもう少し優雅な感じで踊ってるのを観てきたが、これはこれで良き。クラークの屈託のない踊りとも合う。技術的には言う事なしだったと思う。まあほんとはこれから先破滅に向かって進んでいく二人の束の間の幸せな時であるというのを踏まえた感じにした方がいい気もするが(だから違和感感じる人もいるだろうなとは思う)、ガラだしね。
振付:モーリス・ベジャール
音楽:リヒャルト・ワーグナー
ディアナ・ヴィシニョーワ
ジル・ロマン
自分はワーグナー好きなんだが、それだけに、うーんその歌詞が流れる中でその動き?というのが気になって仕方なかった。父親の思惑やジークフリートやグンター一族やハーゲンらに人生を振り回されてきたブリュンヒルデが、全てを悟って人々に語りかけ、場を支配して、地上も天も焼き尽くす火を放つ、そういうシーンであるのに、なんか火の神ローゲに魅入られたようにダンスするのみ。なんか全幕観ればわかるものがあるのかもだが、これだけでは何ぞ??という。
ヴィシニョーワはブリュンヒルデとしての威厳や存在感あったが、それだけにこの踊りだけではもったいないな…と思った。
― 第3部 ―
ル・パルク
振付:アンジュラン・プレルジョカージュ
音楽:ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
アレッサンドラ・フェリ
ロベルト・ボッレ
Aプロよりずっと演目的に二人に似合っていた。フェリは恋する少女…というと語弊があるが、慕わしい気持ちを自然に、器からさらさらと水がこぼれるように溢れさせる様子は、流石の境地。
ボッレはやや慎重ながらよくサポートしており、慈しむ気持ちが随所に溢れていて、充分インタラクティブであった。キスしながら回転のところが、ボッレにしては大変珍しく少しよろけ気味のところがあったが、それだけ今のフェリをきちっと支えて魅せる踊りにするには大変なんだろうなとは思う。
うたかたの恋より第2幕のパ・ド・ドゥ
振付:ケネス・マクミラン
音楽:フランツ・リスト
編曲:ジョン・ランチベリー
エリサ・バデネス
フリーデマン・フォーゲル
バネデスのおきゃんな役作りは椿姫の時と変わらなかったが、それは今回の演目にはちょうどいい感じに合ってた。フォーゲルも、彼自身の内面にうごめくものや、逆に彼女の不穏なほどあふれるパワーに圧倒され惑う感じがよく出ていて、全幕でこそ観たいと思わせる。アクロバティックな動きも二人で息ぴったりによくこなしていた。
大変気になったのが、マリーの下着をばっと下ろして胸を見る演出の演目なんだけど、お子さんも結構観にきてる方々いて、これいいのか…?と思った。以前観に行ったマノン全幕も、お子さん連れてきた人たちいたけど、うーんなんかなあ…人様の教育に口出すのも野暮だけど、性暴力的なのやそれを連想させる演出含んだ演目を見せるのは結注意が必要ではないかなと。
欲望
振付:ジョン・ノイマイヤー
音楽:アレクサンドル・スクリャービン
シルヴィア・アッツォーニ
アレクサンドル・リアブコ
Aプロに引き続き安心安定この上ないペア。音楽と共に織りなす動きも素晴らしい。とても良かったのだが、次のオネーギンでびっくりして細かな印象が上書きされてしまった…すまんアッツォーニ&リアブコ。でも考えると「このペアなら盤石で言う事なし」という看板が長年全く揺るがないのはすごいことだ。
オネーギンより第3幕のパ・ド・ドゥ
振付:ジョン・クランコ
音楽:ピョートル・チャイコフスキー
編曲:クルト=ハインツ・シュトルツェ
ドロテ・ジルベール
ユーゴ・マルシャン
マルシャンのオネーギンは、後悔したり慕わしい気持ちよりも、隙あらばモノにしたい感の方が出てて、クズみが強い(そういう役作りもありだと思うし原作オネーギンはクズいと思う)。それだけにジルベールのタチヤーナの、そんな男でも初恋の男への想いを忘れられない自分への葛藤が際立った。そういう、しょうもない男だと大人になればなるほどわかるのに、それでも若い頃好きだった人が心に引っかかり続けるという経験は割とよくあるのではないだろうか。自分も身につまされた。
ジルベールのタチヤーナには本当に驚かされた。失礼ながらこんな演技派だとは知らなかった。一挙手一投足に揺れる気持ちが描き出され、首をかすかに振りながらオネーギンから逃れようと引きずられながら一歩づつ歩んだり。リフトされながらまっすぐ上げた腕を下ろす時も指先の動きに慕う気持ちが溢れ。様々にリフトされたりなんかりする時にはっきりする体幹がしっかりした踊りも素晴らしい。オネーギンが囲い込むように頭上から両腕を回して足元まで下ろす時も思わず激しく身震いしたり。そして手紙をオネーギンに見せる時は見てる私までたじろぐほどの迫力で、紙をほら!と突き出す時のびしっという音まで聞こえた。その演技がやりすぎと思う人もいるかな…とも思うが、私は彼女の解釈での全幕を観てみたいと思った。この演目だけ拍手が長く、観衆がカーテンコール2回したそうな感じだったのもむべなるかな。
ドン・キホーテ
振付:マリウス・プティパ
音楽:レオン・ミンクス
菅井円加
ダニール・シムキン
なにしろ菅井氏の強靭極まりない下半身が印象づけられた。各姿勢のキープ力(りょく)もハンパないし、サポートがさほど必要ないんじゃないかと思わせる強さが随所に。「ドン・キホーテ」のキトリらしいかと言われるとよくわからないが、でもガラ公演のトリらしさは充分。フェッテのところでは後半移動していったりしたけど、ダブル入れまくって魅せる。今回のバレエフェスは日本人女性ダンサーの力量をそこかしこで感じ、その意味でも感無量であった。
シムキンは、バレエフェス盛り上げ役をしっかりと。往年の感じではないけれども、540度のマネージュをちゃんと入れ込んだり、ターンをかっこよくこなしたり(確かABTの人たちこういうのしたよな…と思い出した)、みんなこういうのが観たいんでしょ?というのを全部乗せ。途中プリエっぽいしゃがんだ姿勢のターンも披露して会場を沸かせてた。
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建築を探偵する楽しみ〜『ミステリな建築 建築なミステリ』レビュー
篠田真由美『ミステリな建築 建築なミステリ』(エクスナレッジ、2024)を読んだ。
日本の近代建築や、ミステリに出てくる建築を論じるものだ。とても楽しく読みながら、私の脳裏に流れていたのは、
ボ、ボ、ボクらは少年探偵団…
の歌だった。江戸川乱歩の少年探偵団シリーズのこと?さにあらず…というか直接そうではない。「建築探偵」こと、藤森照信さんの著作『建築探偵の冒険 東京篇』(筑摩書房、1989)に書かれていた一節だ。
『建築探偵の冒険』では、「建築」を探偵する楽しみが充分に語られている。自分の目でじっくり建築物を観察し、様式でも材質でもなんでも、とにかく何か発見し、それについて考えるーつまり読者に、目玉で建築とがっぷり四つに組んで勝負することが提案されているのだ。その流れで上記の歌が書かれていたのだが、本書はまさしくその呼びかけへのアンサーの一つのように思われる。
本書には藤森さんの著作に横溢する、近代建築って楽しい!!という気持ちと同じ風が吹き渡っている。そもそも日本の近代建築は、西洋の歴史的建築のように分厚い研究の蓄積があるわけではなく、また残されている資料も少ない。しかし開国で一気に流入してきた、従来の日本建築とは全く異質な理論や意匠は、日本の建築に非常に面白い化学反応をおこし、だからこそ現代人が「探偵」する余地・余白をもたらした。その重要な紹介者のひとりは、間違いなく藤森さんだと私は思う。実際に本書では、『日本の近代建築 』((上下巻)(岩波書店)や週刊朝日で連載されていた『建築探偵』シリーズなどが少し紹介されているが、筆者さんは私と同じく、きっと藤森さんの著作のファンに違いない、と勝手に睨んでいる。筆者さんが「建築探偵」なる称号の大学教授を主人公にした作品を書いてらっしゃるのも、何だかその符号を感じるのだ。
『ミステリな建築〜』は、対象の建築についてわかっていることを「解説」しているのではない。どこに謎があるかを探し出し、その謎を解くための様々な情報や、それに基づく推理を述べるのが主眼だ。たとえば、築地ホテル館にはなぜレセプションや食堂らしきところが見取図にないのか。鹿鳴館を謎の意匠で飾ったコンドルさんの真意は?筆者は様々な資料を駆使し、残っている建築があれば足を運んで、鋭い考察を展開する。実在の建築だけではなく、ミステリの中の建築も後半は「謎解き」するので、その「推理」の難しさは格段に増すが、そこは作家ならではの感性がさらに冴え渡る。
それらには明確な答えが出される訳ではない。名探偵たる「全てお見通し」の筆者が解説し、「犯人」という真相がついに明かされて、スカッとする、わけではない。むしろ残された手がかりを元に、じっくりあるいは大胆に推理していくという、そのもどかしいような過程を読者も一緒にたどる楽しみこそが、本書のキモだ。いわば、読者は最後に食堂に集められた関係者一同ではなく、名探偵が情報を集め試行錯誤する様子をかたわらで目撃する、助手のような立場に近い。助手は名探偵のそばでその手腕に感心したり、時にはそれに刺激されて自分もできるんではないかと、拙いながらも自身の推理を展開してみたりする。だから本書を読んだ後は、読者はよし、自分もひとつ近代建築の謎解きをしてみるか!という気概が充満してしまう。実際私は、本書の読後に築地ホテル館について、国会図書館デジタルコレクションで夢中になって調べまくってしまった。
もちろん本書の「謎解き」や解説自体も大変面白い。たとえばクリスティーの『ねじれた家』について視覚化され、作中の描写の意図するところがよりくっきり浮かび上がるように解説されてるのは、とてもありがたかった。クリスティーと建築といえば、『スリーピング・マーダー』のように家の記憶が大きなヒントになる作品もあるし、『復讐の女神』はお屋敷巡りツアーで話が展開する。自分もいつか独自の視点でそれらの建築を読み込んでみたいと思った。
また私は中学生くらいの頃ミステリ好きだったのだが、結局イギリスの一部の作家を主に読んだにすぎず、作者が解説してくれるヴァン・ダインやディクスン・カーなどの古典について新鮮になるほど〜と色々と勉強させてもらった。日本の作家も然り。建築だけでなく探偵もの自体への理解も深まる寸法だ。
ほら、読み終わると、あなたも目に見えないB.D.バッヂが燦然と胸に輝いてるのを感じるはずだ。
ボ、ボ、ボクらは建築探偵団…
<了>
第17 回 世界バレエフェスティバル Aプロ 感想
8/4(日) 14:00〜第17回世界バレエフェスティバル Aプロ最終日を観に行った。かなり久々のバレエ鑑賞でバレエフェス自体も前回は欠席だったので、戴冠式行進曲を聴きながらあのバレエの絵の緞帳を見てるだけでうるっときてしまった。
以下簡単な覚書。
<第1部>
◼️「白鳥の湖」より 黒鳥のパ・ド・ドゥ(ジョン・クランコ振付)
マッケンジー・ブラウン
ガブリエル・フィゲレド
トップバッターの2人は会場を温めるにふさわしい華やかな踊り。ブラウンは堂々としてかつ狡猾な黒鳥を見事に演じており、指先の隅々まで羽根を思わせる動きが美しい。わざとらしというかケレン味ギリギリを攻めるオデットの真似とか、触れようとする王子を薄く笑みながらさっと牽制する動きなど、ガラでの白鳥ものとは思えぬほど役を作り込んでいて、見ていて楽しかった。フィゲレドもちょっと気弱なたぶらかされる王子を好演。
◼️「クオリア」(ウェイン・マクレガー振付)
ヤスミン・ナグディ
リース・クラーク
初めて観た演目だと思うが(多分)、我ながらアホみたいな感想だが「ヤスミンの股関節すげえええ」というのがまず浮かんだ。観ていて自分の股関節も痛いほど引き伸ばされる感覚を覚えるほどグイーンと180度以上に開く振付が多い。
コンテという言葉で思い浮かぶ振付全部乗せみたいな感じで、見応えはあった。
◼️「アウル・フォールズ」(セバスチャン・クロボーグ振付)
マリア・コチェトコワ
ダニール・シムキン
コチェトワとシムキンの組み合わせとスタイリッシュなコスチュームが、奇しくも(あるいは狙って?)、ユニセックスな双子のような雰囲気を醸し出した作品。コミカルな、時にはうねるようなクリーピーさのある動きが繰り出され、不思議なワールドに。シムキンのしなやかな身体能力が、はではでしい感じではなくて活かされており、かつてバレエフェスでは跳んだり跳ねたり系で会場を沸かせる役回りだった過日を思い出してしみじみしてしまった。
◼️「くるみ割り人形」(ジャン=クリストフ・マイヨー振付)
オリガ・スミルノワ
ヴィクター・カイシェタ
とにかくスミルノワが非常に素晴らしかった。クララなんで人間なのだろうけど、なんか人ならざる感じの精霊のようでもあり。シャープさと繊細さ・優雅さを併せ持つ動きとシルエットが、山岸凉子の若い時の作品の登場人物が、生を得て動き出したかのような驚きと感動があった。観てない人には大袈裟と思われるかもだが、マジでそうなのだから仕方ない。
カイシェタはいきいきとフレッシュなのはいいが、粗削りなのは気になった。何かと猫背気味に首を前に突き出して文字通り前のめりになり、ある時はバランス崩してでも勢いを出しており。少年っぽい乱暴なほどの熱意と天真爛漫さを出そうという意図はわかるのだが、もっと違う表現があるだろうと思った。スミルノワの踊りが針先のように細い線で描く絵だとしたら、彼の方はマジックインキみたいな太い線で描く絵で、もうちょっと合わせて欲しかった。
◼️「アン・ソル」(ジェローム・ロビンズ振付)
ドロテ・ジルベール
ユーゴ・マルシャン
静かな演目で、2人のケミストリーをしっとり楽しむべき作品だと思うのだが、あんまりそれが感じられなかった。ドロテ・ジルベールは過去にこの演目踊ってるし選ぶ気持ちはわかるのだが、別演目の方が良かったんじゃと。あとこれって海とか太陽のモチーフの背景あったらしいけどそういうのなかったよね?
全体に舞台転換の時間や予算の関係あったのかもだけど、背景なしでいいのかなと思うのが散見された。
<第2部>
◼️「ハロー」(ジョン・ノイマイヤー振付)
菅井円加
アレクサンドル・トルーシュ
この振り付けは途中までかなり面白いと思ったが、後半が自分的には尻すぼみに感じた。
前半は女性がとにかく強く、「ハロー」という題名から連想される明るい和やかな感じと違い、キスしそうなくらい近づいたところを、ふん!とかわす感じが菅井氏の踊りにもとても合ってたが、後半は全くそんな雰囲気がなくなってしまった。手に顔を埋めて体を丸めたりして、なんでこんな弱々しくなったんだと。まあ素直になれないカップルだけどやっぱり2人一緒だよね…みたいな落とし所は、この作品が作られた時代からすれば仕方ないところなのだろう。
◼️「マノン」より第1幕の出会いのパ・ド・ドゥ(ケネス・マクミラン振付)
サラ・ラム
ウィリアム・ブレイスウェル
サラ・ラムは可愛らしく軽やかな動きがいかにもマノンという感じで良きだった。対してブレイスウェルのデ・グリューは、ひとつひとつの振りの接続がぎこちなく、マノンに向ける笑顔とかも、そういう筋書きだからしてます!という感じ。全体に振付を頑張ってこなしてる感が目立ち、運命の恋に落ちたようには見えなかった。観ながらこの振付は難しいんだよな…という印象が強まり、もう少し踊り込んできて欲しいなと。
個人的に、物悲しいこの音楽を聴いて過去に観たマノンの記憶がぶわっと蘇り、つい涙ぐんでしまった。
◼️「ル・パルク」(アンジュラン・プレルジョカージュ振付)
オニール八菜
ジェルマン・ルーヴェ
この演目はガラ公演でよく観るが、誰でも彼でもル・パルクをやればいいというもんでもないな…と思った。
ルーヴェがあまりにも無関心無反応で、キスしたままくるくるというクライマックスの振付は、そこに至るまでに細やかな心情の結びつきが提示されなければ滑稽になってしまうのだなと実感させられた。しかもそのくるくるがよろけ気味で、しがみついてる八菜氏がますます独り相撲取ってるように見えてしまった。いや、あえてそういうコンセプトの演出なのかわからないが…
◼️「チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ」(ジョージ・バランシン振付)
永久メイ
キム・キミン
結構評価に迷った。それぞれに技術がとても高いのはよくわかるし素晴らしいんだが、チャイパドという演目としてみた場合、うん…?という感じ。
自分もそんな詳しい訳ではないのだが、きちっとバランシン風かというとそうでもなく。まあ個性を持ってやるのも悪くないと思うのだが、何より気になったのが、2人の踊りの方向性がすごくバラバラということ。それが共鳴し合わず、水と油という言葉すら浮かんだ。それぞれソロで踊る演目がいいのではないか。
キム・キミンはかつてのシムキンのような、高い技術で会場をわーっと沸かせるタイプ。着地音ない軽やかな高いジャンプが印象的だった。
<第3部>
◼️「3つのグノシエンヌ」(ハンス・ファン・マーネン振付)
オリガ・スミルノワ
ユーゴ・マルシャン
大変息のあった、驚くほど一糸乱れぬシンクロニティーが堪能できた。またマルシャンはジルベールの時よりもケミストリーを醸し出しており、カンパニー違うのにすごいなと。短期間でどうやって練習したんだろう。水面を滑るような滑らかな動きも美しい。コンテは正直長いな…と感じるのが多い中、結構あっという間に感じた。
拍手は少なめだったようだが、Aプロの今風コンテの中では一番好きだった。ぜひお二人でまた組んだ全幕ものとか観たい。
◼️「スペードの女王」(ローラン・プティ振付)
マリーヤ・アレクサンドロワ
ヴラディスラフ・ラントラートフ
アレクサンドロワの伯爵夫人がすごい存在感で釘付け!指先や上半身のしなやかな、時には人外じみた動きなどの隅々までまがまがしさが満ちていて、観ているこちらまでひどい運命に巻き込まれそうで胸騒ぎがした。ぜひとも全幕で観たいと思った。
ラントラートフも素晴らしく、シャープな動きで、恐れや惑いと野心が入り混じるゲルマンをよく表していた。
◼️「マーキュリアル・マヌーヴァーズ」(クリストファー・ウィールドン振付)
シルヴィア・アッツォーニ
アレクサンドル・リアブコ
アッツォーニとリアブコはバレエフェスでも鉄板のペアだが、今回も全くもって安心の踊り。だが個人的には、せっかくのお二人を活かしてもっと挑戦的な演目にしてほしかった。
◼️ 「空に浮かぶクジラの影」(ヨースト・フルーエンレイツ振付)
ジル・ロマン
小林十市
風船を使った面白い演出。舞台上で一生懸命膨らませる姿は、それ込みで演出してるのか判断に困るところではあった。2人で抱き合ってパーン!と割るのにはびっくり。近づきたいけど近づきすぎると破綻する関係性ということなのだろうか。割れた後の風船の破片で滑りはしないかとハラハラしてしまった。
腕の動きを活用するなど年齢を重ねても表現できるものを追求していて、常に挑戦し続けるジル・ロマンに、観客の拍手はひときわ大きかった。バレエフェスティバルのというかNBSファンの観客が求めるものの柱の一つなのだろうし、なくてはならぬものなのだろう。
<第4部>
◼️「アフター・ザ・レイン」(クリストファー・ウィールドン振付)
アレッサンドラ・フェリ
ロベルト・ボッレ
静かな情感に満ちた踊りで、現在のフェリによく合ってると思う。ふとした腕や手の動き、長い髪をそっとおさえる仕草などに若手にはないしっとりした情緒を感じた。
ただどうしてもピンと四肢を伸ばしてリフトされているところで体幹に不安な感じが見受けられるなどして年齢を感じるところはあり、ボッレが大変気遣わしげにサポートしてるのを含めて、介護っぽい感じが。ボッレは肉体美とキレは相変わらずで、単独で颯爽と踊るところが観たい。
◼️「シナトラ組曲」(トワイラ・サープ振付)
ディアナ・ヴィシニョーワ
マルセロ・ゴメス
都会の男女の織りなす恋模様を描いた、一編の映画を観た感があった。ラブラブカップルなのだが途中で彼氏が傲慢になってしまい、自分でもそれに気づいてもうだめだ…と落ち込むのを彼女が慰め、誠実に謝ることで許されて改めてしみじみと絆を深め合う…というストーリー(多分)が、字幕ないのに浮かび上がってきた。
ネットで上がってる動画を見る限り、ゴメスは10年以上前から踊っていて彼のレパートリーにあるらしく、大変こなれている。彼の持つスタイリッシュな雰囲気は黒タキシードの衣装がピッタリだし、洒脱で粋な振り付けも、まるで彼の内面から自ずと湧いてきた自然な動きに見える。対してヴィシニョーワは今まで踊った形跡が見当たらなかったので、今回が初か。そのためか以前観ていた彼女の動きに比べて、抑制的でややぎこちないところもあった。雰囲気は彼女に合ってると思うし、まだまだ踊れると思うので、もっとこなして彼との名コンビぶりを復活させてほしい。
カーテンコールでもラブラブぶりが続き、サポートされながら跳ぶように踊りながら去っていくのも世界観があって良かった。
◼️「椿姫」より第1幕のパ・ド・ドゥ(ジョン・ノイマイヤー振付)
エリサ・バデネス
フリーデマン・フォーゲル
バデネスの技術ではなく役作りで結構疑問に思った。何度も咳をする演技があるのだがかなりわざとらしくて、うーんもっとこう誰か演技指導した方が…と。あと、走り方とか、腕をわざと乱暴に投げ出したりする動きとか、全体におきゃんな町娘という感じで、少なくとも原作の、すいもあまいも噛み分けアルマンを教え導くクルチザンヌのマルグリットには見えない。原作から離れた役作りをあえてしてるのかもだが、ガラで単独のシーンで説得力もってやるには難しい気がする。海外の批評家が彼女のこの踊りを絶賛してるの読んだけど、全く共感できなかった。
フォーゲルのアルマンは足捌きなど技術的には申し分ないが、バネデスのマルグリットがそういう感じなので彼女につられてはしゃいだように見えた。それは確かに高嶺の花に相手してもらって舞い上がるアルマンとしては正しいのだが(これで落ち着いていたら物語が破綻してしまう)、相乗効果で若いカップル(片方が風邪気味)が大騒ぎ!といった感じのシーンになってしまい、あんまり椿姫っぽくはないと思った。
◼️「ドン・キホーテ」(マリウス・プティパ振付)
マリアネラ・ヌニュス
ワディム・ムンタギロフ
舞台左右の画面に写し出されたインタビューでヌニュスは15年ぶりの参加とわかった。初参加は14歳に驚く。
彼女のキトリは大変優雅で、要所要所のキメの動きも意識的にゆったりした動きにしており、ちゃきちゃき踊るのがデフォルトな感じのこの演目ではかなり異質というか挑戦的な感じだった。全体に、丁寧に折った折り紙のようにきちんとしており、連続ピルエットのところも、そういうシーンではだんだん軸が移動していく人も多い中で彼女は全く移動せず同じところでまっすぐに回っていた。それだけに、もっとわかりやすい派手な感じを求める人には物足りないかもしれないし、またその表現力はもっと演劇的な演目で活かして見せて欲しかったなあという気持ちも持った。
ムンタギロフは元気で幸せそうなバジルで全体にそつなくこなしており、サポートも適切だったと思う。
そういえばドンキといえばみんなワクワクの、片手リフトとかフィッシュダイブとかが一切なくて、それもなんか地味だな…という印象を強めた。それこそキミンと誰か若手ダンサーでやった方が盛り上がったのではと思った。
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この日も非常に蒸し暑くて、東京文化会館を一歩出るとむわーっとしてもう歩く気をなくすような感じであった。ダンサーのみなさん、真夏の日本という過酷な環境に来てくれてありがとうの気持ちと、他のスポーツやらイベントやらでも思ってるけどそろそろこの時期にやるのはやめてずらした方がいいんではないか…地球環境の変化考えると…という気持ちが交錯した日でもあった。
みなさん体調崩されずお元気で過ごされますよう。