Topaztan’s blog

映画やドラマの感想や考察をつづっています

2/3『オデッサ』感想(ネタバレ・やや辛口)

 2/3(土)森ノ宮ピロティホールで上演された『Odessa』(三谷幸喜脚本)を観に行った。客席は大盛況で、よく笑いも起こっていた。

 私は最後列で観ていてオペラグラスも忘れてしまったため表情がほとんどわからなかったが、セリフまわしや演出で充分理解できたし笑えるところもたくさんあった。だが正直なところ、思ったほどはのれなかったな…という感想を一方で持った。

 ちなみに自分は舞台版『笑の大学』(1996年初演)や『巌流島』(1996年)などの放映を観てから三谷脚本が好きになり、映画も『12人の優しい日本人』(1991年)『ラヂオの時間』(1997年)などを面白く見た人間で、一昨年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(2022年)も大変楽しく拝見したクチである。柿澤さん出演の『愛と哀しみのシャーロック・ホームズ』もテレビで拝見し、映像の使い方含めてよくできているなあと思った。なので逆に期待値高めにしすぎたかなという側面があるとも思うが、取り急ぎ感想を述べてみる。一番気になったのは「差別」の扱い方で、それ以外にも色々思うところがあった。

 

ネタバレ注意!!!!

 

<良かった点>

 

◼️役者さんたちの頑張り

 

 英語・日本語標準語・鹿児島弁が飛び交う中で、皆さんとても頑張っておられたと思う。その厳しい条件下において自然なケミストリーがあったのは素晴らしい。とりわけ、2つの言葉が「ネイティブ」である宮澤さん、迫田さんに比べて、1つの言葉しか「ネイティブ」ではない柿澤さんの苦労はいかばかりか。そのような中で膨大なセリフ量で休憩なしハケることなしの1時間45分間、絶妙な掛け合いで魅せていてすごかった。

 

◼️古畑任三郎のような鮮やかな推理劇

 

 この部分はほんと、往年の古畑任三郎を思わせる巧みな展開で、脚本家はやはりミステリーを描くのがとても好きで得意なのだなと思わされた。名探偵すじおくんがどんどんのめり込んで推理していく興奮ぶりもおもしろかわいく、一緒に興奮してしまった。柿澤さんはシャーロックの時といい、探偵役が似合う。そこ、普通は警察が気づかないかな?というところは、田舎の警察が連続殺人事件でてんやわんやであるというエクスキューズで納得。

 もっとも迫田さんが連続殺人の犯人だろうというのは、自分はその話題が出てすぐ気がついてしまった。田舎の警察がてんやわんやの原因が、ある連続殺人、ということだけが提示されており、どうにもそこだけ目立ってしまっている。もう何個か事件や事故を混ぜた方がミスリードが効いたと思う。

 でもヨーグルトの消費期限切れでハッとさせるのは見事だった。これはボヘミアの醜聞』の「火事だ!」のオマージュ、あるいはそこからヒントを得たものじゃないかと思う。全く同じにしてしまうと捻りがないし、そもそもファイア!でびっくりするのは英語ができなくても起きる反応だし、じゃあ現代人がドキッとして素に戻ってしまうのは…と考えた場合、食べ物の消費期限はうまいと思う。

 

<うーむだった点>

 

◼️ 「犬と中国人入るべからず」

 

 一番問題に感じたのは「犬と中国人入るべからず」のシーン。これはこれは上海租界のパブリックガーデンに貼られたという逸話で有名なフレーズ

Dogs and Chinese Not Admitted

からヒントを得たのだと思う。(これ自体は史実ではないことが判明しているが、人口に膾炙している)

 だがこの表現では中国、陶器を示すChinaという言葉は出てこない。英語で身を立てようというすじおがそのあたりを見誤ることは考えられず、不自然さを感じた。またいくら90年代でも、露骨に〜人お断りという言葉を掲げたらその〜人から抗議されてるだろう。中国人に間違えられないように日本語の歌を歌っていた、というのも、まずアメリカでアジア人差別するような人々が中国語と日本語を聞き分けられるとは思えないので全く効果があると思えず、警官側はそれを指摘するのが普通だと思う。

 

 そしてこれは、植民地支配下での差別と切っても切れないフレーズであるのが問題だ。日本も西欧と同じく、いやそれ以上に苛烈な植民地支配をしたわけで、中国人を差別した側だった過去を考えれば無邪気に使えるフレーズではないはずである。

 そしてプールでの中国人差別表現(と見えたもの)に抗議せず自分が日本人であれば大丈夫だろうとする振る舞いも、あまり褒められたものではない。先にも述べたことと関係するが、中国人排斥にはピンポイントで中国人ではなくアジア人全体への排斥が潜んでいることが多い。アジア人といえば中国人という認識は欧米でよく見るし、ニイハオと話しかけられたという経験をした人も多い。それに対して自分は中国人「なんぞに」間違えられたと怒ったり、自分は日本人だと返したり、では日本人なら素晴らしいと言われたと喜ぶなどのSNSでの投稿もよく見かける。内なる中国人差別心が炙り出されている光景だ。『オデッサ』では中国人差別に胸を痛めてるのでそのようなあからさまさはないが、どこか「世界から見るとアジアの中でも日本は違う扱いだろう」という、日本人によく見られる心性と近しいものを感じる。

 

 ちなみに一般的に、欧米でのアジア人差別に対しては、日本以外のアジア人、中国や韓国の人は連帯して戦おうという姿勢を見せることが、日本人に比べて多い気がする。たとえば日本人女性をバカにしたCMを作ったドイツの企業に対していち早く抗議したのは韓国人男性だった。アジア人として連帯しなければ、強烈なアジア人蔑視に対抗できないと多くの人が気づいているためだろう。  

 この舞台の年代は90年代だが、近年は暴力的なアジア人へのヘイトクライムが多発しており、その意味でも「細かい差別はあるが、露骨でひどいアジア人差別はない、すぐそう思ってしまうのは考えすぎ」というメッセージを発するこのエピソードは適切ではないと思った。

 

◼️よく見聞きする差別の事例が羅列されるが…

 

 「〜へ入るな」的な露骨な差別はないにしろ、名前を呼びやすい英語の名前に変えられる、アメリカで生まれ育ってもアジア系の見た目だと結局どこ出身?と執拗に訊かれる…などのアジア人に対するマイクロアグレッションが劇中で語られる。

 しかしそれらは、残念ながら正直よく見聞きする話ではある。非白人が欧米圏で「本当の出身国はどこだ」「自分の国に帰ったら」と言われやすいのもよくあることだ。たとえばプエルトリコ系のオカシオ・コルテス議員が「国に帰れ」と罵倒されたと告発した事件も記憶に新しい。

 だがそのようなアメリカにおける差別、は特に何かに繋がることなく、外国で差別を受けていて自分のルーツに自信を持てない日系人が日本人とのやり取りを通して日本への愛に目覚める、というストーリーのフックになっているだけである。

 

 個人的には、上記のマイクロアグレッションは日本でも外国的ルーツの人、あるいは外国的な見た目の人が受けやすいものだと思うが、例えばそのようなことへ観客の思いを致させるような広がりはない。差別について受ける側にしろする側にしろ、自分ごととして考えるヒントとしての情報が質量共に弱いのだ。

 三谷氏は常々、自分の作品について芸術性や政治性を求めない的なことを繰り返し語っていて、深くは求めないでくださいよというエクスキューズを発してる。ファンも少しそれっぽいスパイスがあれば充分で、それ以上のメッセージ性は野暮だという感じのことを言ってる人たちが多い気がする。だが否応なしに社会性、政治性を帯びるテーマを扱っているならば、もっと掘り下げて欲しいと思う観客が出てくるのは当たり前であると思う。

 

◼️外国で中途半端な生き方をしている日本人について

 

 君は何も成し遂げていない、と犯人に言われて少しへこむすじお君だが、そのように何をしたいのか自分でも決めきれずとりあえず外国で働いてみるか、という若い日本人は、911以前にはよくいたと思う。今も結構いるのかもしれない。だがそのような若者の生き方を現代において批判するというのは、どういう意味があるのかよくわからない。

 そもそも英語力を活かして働きたいが自分よりうまいやつはたくさんいるし先行きが見えない、というのは、4年もたてば否応なしに本人が一番わかるはずである。言われてハッとするというのがなんとも不自然な感じがした。

 外国で10年以上中途半端な感じで働いている、ならまだ逆にその言葉に反応するリアリティがある。自分自身よくわかっていて、他人から言われることへの苛立ちだ。外国にはしばしば、語学力に自信満々でそこらの観光客や駐在的な日本人を見下しつつ、特に何者にもなれていない鬱屈を抱える、なんて日本人が結構いる。それは外国にいても日本にいても、その人自身の在り方の問題であってそのような描写をするなら問題提起にも意味はあると思うが、やり直しききそうな若者にああいう言い方をするのは、自分自身が中途半端であった恨みをぶつけたようにしか見えない(実際、なんであいつに言われなきゃならないんだ的なセリフがあるが)

 

 

◼️既視感のある笑いの取り方

 

 本作では、お互いの言葉を全く知らない人間同士の間を取り持つ通訳が、片方の窮地を救うためにわざと間違った訳を伝える。いわば意図的な「誤訳」の連続があり、それがいつばれるかスリルを生むわけだが、実はこの「誤訳(間違った解釈)で危機を乗り越えようとするおかしみとスリル」というパターンは、脚本家が好むシチュエーションでもある。

 『笑の大学』では、検閲官の指示をわざと「誤訳」して、コメディを書くなという圧力の危機を乗り越えようとした。お国のためにをお肉のためにと言い換えたり。観客はその思いつきの妙と、それが通るかどうかに手に汗握ったものだ。今回の、嘘の通訳はいつバレるか手に汗握るのに通じる。尋問する側が「誤訳」する方のペースにのまれて、自分の方が楽しんではしゃいでしまう…というのも『笑の大学』で見た光景だ。

 『ザ・マジックアワー』(2008年)では、殺し屋の芝居を役者仲間としてると思い込んで、本物のマフィアの前で奇天烈な言動をする村田の行動を、備後が巧みに「誤訳」してマフィアに伝える。たとえば「カット」という言葉を映画用語ではなく村田の渾名であると「誤訳」したが、やはりそれがどこまで通じるのか手に汗握らせた。

 なので、あ…この笑い、三谷作品でよく見たなあ…という既視感が常に付き纏った。私は買ってないのだが、パンフレットによると『笑の大学』を意識した作品だという。だから意識的に今までのパターンを踏襲した作劇なのだが、バージョンアップしたという感じを受けなかったのが残念だった。確かに蕎麦作りの真似にのめり込んではしゃいでしまうシーンは、日系という自分のアイデンティティを肯定するきっかけの一つであり物語の重要な要素だが、ちょっと無理がないか…とも思った。

 

◼️雨に濡れた犬

 

 あと結構気になったのが「雨の日に捨てられた仔犬のような」を、けなげで庇護したい欲を駆り立てられる若い男性の表現として使ってることだ。

 この表現は果たして英語ネイティブが使う表現なのだろうか?というのが疑問だった。雨に濡れた犬、という表現では英語圏ではまずにおいがイメージされると思う。独特のにおい、場合によってはくさい感じの。そこがと引っかかって入り込めなかった。

 日本語で言うところの、「雨の日に捨てられた仔犬のような」感じを柿澤さんが時折醸し出すのは確かだと思うけど。

 

◼️下ネタが多い

 

 アルマジロのおしっことか、犬のおしっこのポーズとか、痔の手術とか、シモ系で笑いを取るのが目立ってた。まあこれは気にならない人もいると思うけど、私は苦手だった。

 たとえば床に這いつくばってることを正当化するために、苦し紛れに「コンタクトを落としたんです」とか言うとか、色々やりようがあったかと。メガネかけてるじゃない!と指摘されて更に慌てて…とか。

 

 

 

…以上である。とにかく役者さんたちはとても素敵でケミストリーがあったのは繰り返し述べたい。別の演劇でもこの座組で観たいものだと思った。

 

<了>

光る君へ 第二話感想 〜 親世代と子世代の葛藤

(『意匠図案の栞』6(秋田県内務部、明治36.)国立国会図書館デジタルコレクションより )

 

 第二話も引き続き面白かったです!

 平安時代のイントロダクションも引き続き行いつつ、登場人物のキャラ立てを行っていきそれを今後の展開に結びつけるという、隙のない作り。

 そして今回のテーマは「未熟な子供世代と成熟した親世代の葛藤」だったかと思います。それがどう変化するのか楽しみ。

 一方でどうかなあと思う点も色々。前回に引き続きの点もあれば、今回問題点が浮かび上がったものも。

 以下に述べていきます。

 

 

1.平安時代イントロダクションの続き

◼️国母という概念の登場

 円融天皇の口から「国母」(天皇の母)という言葉が出ました。

 再び愛を受けたい詮子をたしなめ斥けるための冷たい言葉「女としてではなく母として生きよ」の文脈でしたが、後に詮子はその国母としての力を強力に行使していき、それは彰子にも受け継がれます(『小右記』では「国母専朝」と非難まで)。おそらく一般視聴者には馴染みのない、しかし今後の展開の鍵を握る概念をここで出してきたのは上手いなと思いました。

 では、そもそも国母が大きな権力を持つものだという概念は、当時成立していたのでしょうか?詮子以前にも国母として強力な力を持った存在として、たとえば村上天皇の生母の穏子がよく知られています。穏子もまた憲平親王(村上天皇)擁立に大きく関わるなど、皇統や朝廷の人事に深く関わっており、女院の先駆的存在ともみなされています。

「すでに九世紀の検討から高位に登る権能を保持した 皇太后等の地位にある国母が、天皇の政治を実質的に支えて」いたと服藤早苗氏は述べていますが(「産養と王権 : 誕生儀礼皇位継承埼玉学園大学紀要. 人間学部篇、2003)、それを踏まえると円融天皇の言葉はある意味励ましであったとも言えます。

 もっともこの時点では中宮の遵子が皇子を産む可能性もあり、そうなるとどちらの皇子が天皇になるかは未知数で、詮子が国母になれるとは断言できないわけですが…

 

◼️入内すれば娘といえど親の目上の存在になる

 詮子を雲の上の存在になったと言う時姫や、娘と対面しても詮子は畳の上で上座で兼家は臣下的に床に座っているシーンなどで、上記のことが表されていました。また詮子が兼家の意見を聞かず独自の判断を押し通すことも同様です。これは国母となった彰子が父親の言うなりではなく鋭く対立することもあったことの布石のようにも見えます。平安時代を知らなければ、入内しても娘は父親の支配下にあり主体的な判断をしなかったように思われるでしょう。ドラマでどこまで描かれるかわかりませんが、一般的には才気煥発な定子に比べておとなしめで深窓の姫君的なイメージを持たれている彰子が、国母として大きく成長していく姿をぜひとも描いてほしいものだと思います。

 

2.親世代と子世代の対比と葛藤

 

 また今回は世界観の解説以外にも、まひろ・道兼・東宮などの子供世代の未熟さ、父や父的な人物との関係性の微妙さとそれゆえの悲しみが際立つ回でもありました。

 まひろは母を殺された件について、生活の糧を得るために父が下手人を知りながらうやむやにしたことをいまだに恨み、真相究明を求めますが、為時からも、また擬似父的である宣孝からも強くたしなめられます。まひろはそのようなつらい現実から逃れ、自分ではない誰かになれる代筆業に心の慰めと自由さを見出します。しかしそれも父に止められてしまいます。

 道兼は父からの承認を求めてずっと足掻いていましたが、やっと父と2人で遠乗りして親しく語らう時が来た…と思いきや、過去の罪を知っていたと暴露され、天皇に毒をもるという汚れ仕事を否応なしに押し付けられます。

 まひろも道兼も、父との関係が思うようにいかず、父の思惑は自分の思惑と掛け離れたところにあります。まひろが、子を思う親の気持ち歌った歌を読んでもの思いにふける様子を写し出したのは、今回の親子というテーマを強く印象づけるためのものではないでしょうか。ちなみにまひろが読んでいた歌「人の親の心は闇にあらねども 子を思ふ道にまどひぬるかな」は、紫式部の曾祖父である藤原兼輔の歌で、源氏物語でもっとも引用されている歌だそうです。心は闇にあらねども | 小倉山荘(ブランドサイト) | 京都せんべい おかき専門店 長岡京 小倉山荘)

 

 父との関係がギクシャクしているのは詮子もそうです。兼家は詮子と円融天皇の間の皇子を東三条に引き取って人質にするという恐ろしいことを言い出し詮子はギョッとしますが、我が子を守るために、自分の女のプライドの話にして父の提案を退けます(後に天皇の冷たい態度から父の言う通りに親子共に東三条邸に下がりますが)。また東宮は、実父冷泉天皇が亡くなっており、ドラマ内では為時に対して擬似父親のような親近感を持ってる様子が描かれますが、その為時は兼家のスパイとして送り込まれたために辛抱して仕えてるだけであり、本当の心はすれ違っています。どの親子、擬似親子も、うまくいっていません。この親子関係を子世代が超克していくことが、今後のテーマになっていくのでしょうか。

 

3.どうかなあと思った点

◼️いくらなんでも一人で出歩きすぎなまひろ

 第一話では9歳くらいの幼い子供だったまひろですが、第二話では15歳になり妙齢のお姫様に。しかしそれにしては、あまりにも無防備にひとり歩きすぎかと。

 いくら衣をかついでいても目立ちますし、さらわれたり衣服を奪われたりする可能性高すぎです。

 代筆のアルバイトは男としてやってるのですから、いっそ男装して出かけるようにしたら…でもそうしたら三郎と再会するシーンがややこしくなるか。

 また庶民に身をやつしてる設定らしく、市中を歩く時のかつぎが普段着てる袿よりランクが下っぽい麻の着物ですが、両方とも黄色で、色合い的にぱっと見あまり区別がつきません。そこははっきり色を分けるべきだったのではないでしょうか。

 

◼️東宮円融天皇の関係の説明が不親切ー皇統の複雑さを説明しきれてない

 多分、ドラマだけで特に知識のない人は、東宮って円融天皇の息子じゃないの??と疑問に思うと思います。詮子の子がなぜ唯一の円融天皇の子供なのか…?

 そもそも円融天皇の先代の天皇は、円融の兄の冷泉天皇。そして東宮冷泉天皇の息子で、かつ兼家の兄、伊尹の娘が産んだ皇子という立場。なかなか複雑です。兄から弟へという即位の順番、弟の後継に兄の子供が立てられ…などの、父子相続が確立していない時代の皇統の概念も、一般に理解しづらいと思います。

 また先代冷泉天皇には兼家も娘(超子)を入内させており、東宮の異母弟にあたる皇子たち(後に三条天皇になる居貞親王を含む)を産んでいます。兼家は円融天皇の子供の外祖父でもありますが、冷泉天皇の皇子たちの外祖父でもあり、円融系ではなく冷泉系を支持する可能性もあった(倉本一宏『一条天皇』より)わけです。

 そのあたりの入り組んだ関係をもう少し説明してくれるとわかりやすいなあと。

 

◼️唐突な「イエ」概念の登場

 前回の、自分の手を下した道兼のまひろ母殺人事件は視聴者にとって大変衝撃的でしたが、第二回の兼家の説明で、いくら身分が高くても、というか高いからこそ許されない大事件であることが明かされました。

 まひろ母殺人について、当時の「穢れ」概念を理解しない作劇だという批判が第一回で起きました。今回の兼家の解説(?)も、確かに当時の穢れ概念とは違う感じではあります。しかし「あってはならないことであり、揉み消しには相当の代償が必要」ということが、貴族は直接殺人に手を下さない「オキテ」があるのだという言葉でなされたことで、一応現代人にわかりやすく伝わったかと思います。

 自分はむしろ、当時の穢れ概念が正確に描写されなかったことよりも、殺人事件にまつわる話として「家名を汚した」という、中世的なイエ概念を持ち出した言葉にびっくりしました。イエというと、現代人の我々は父から嫡男へと代々相続する中世以降の家を想像してしまいますが、当時はそのような概念が未成立でした。藤原北家、などの「家」という言葉はあるものの、内実はそのような中世以降の家と違っており、古代的なウジ概念で理解する必要があります。なので兼家は急に中世的な発言しだしたなあ…とびっくりしたわけです。

 

◼️ステレオタイプな「陰湿な陰口を言いかわす女性の集団」描写

 

 女房たちが扇の下で、キサキの寵愛をめぐる下世話な噂話をする描写、少し引っかかりを覚えました。

 いやまあそういうことする人も多かったでしょうが、あまりにも従来的なイメージ通りと言いますか。まひろなどとの対比をしたいのでしょうが、給湯室でキャピキャピくだらない噂話するOLのような描写と言いましょうか。紫式部日記でも確かに先輩女房たちに陰口を叩かれて大変ショックを受ける描写がありますが、そのようなことは女房ばかりではなかったはずです。たとえば天皇のキサキへの寵愛をめぐる陰口といえば、『大鏡』で藤原公任が、東三条殿の前を通る時に、立后されていない詮子をさして「この女御は、いつか后にはたちにたまふらむ」と揶揄したと伝えられますし、『宇治拾遺物語』では村上天皇の御代に、重明親王の子息の外見や振る舞いが変わっていたので、「青常の君」と公達が仇名をつけて嘲笑っていたことが伝えられています。

 宮中の陰口描写では、公達の振る舞いは描写せず女の集団は陰湿な陰口が好きというステレオタイプの描写のみをするのは、いささか古いドラマの描写のように感じました。

 

**********

 

 第一話第二話とテンポよく話が進み、これからも期待できそうな感じです。今後も楽しみに観ていこうと思います。

 

 

参考文献

倉本一宏『一条天皇』(吉川弘文館、2003年)

呉座勇一『日本中世への招待』(朝日新聞出版)、2020年)

林保治、増古和子『新編 日本古典文学全集50・宇治拾遺物語』(小学館、1996年)

服藤早苗『藤原彰子』(吉川弘文館、2019年)

 

 

<了>

光る君へ 第一話感想 〜 平安時代の社会・経済をわかりやすく描く〜

 面白かったです!!!

 サクサクとスピーディーな展開、一つ一つ意味を持たせたセリフや描写の積み重ねなど、脚本家の手腕の手堅さを味わう45分間でした。皆が言うように、雀の子を犬君が逃がしつるの元ネタ的なのも入っており、源氏物語ファンへの目配せも怠りありません。

 

 そりゃ、おっとそれはどうかなというものもあれこれありました。しかし全体にドラマの叙述にさほど破綻がないために、それらの疑問点を視聴中は強く感じさせないという効果が。そのあたりが上手くないと、そういう細々とした違和感が前面に出てきてしまいますよね。

 

 自分が一番感心したのは、第一回ということで、この世界の仕組みや価値観が矢継ぎ早に紹介されており、イントロダクションとしてかなり優秀だったことです。視聴者の多くが平安時代に詳しくない状態だと思いますが、それでも観ていれば自然にどんな世界か伝わってきたのではないでしょうか。

1.当時の身分社会・貧富の差の視覚化

 

 まず、建物や調度や食べ物で、まひろの家と兼家の家の差を繰り返し描き出してるのが印象的でした。実際は、まあここまで紫式部の実家はボロボロじゃなかったんじゃないの…?とも思いますが、劇的に対比させることで、同じ貴族とはいえど、そして大きくは同じ藤原氏といえど、ここまで差のあるものだということを強調しているのでしょう。貴族ではない道兼の家司の方が、貴族の為時より態度が大きく衣装もちゃんとしていました。

 衣装といえば為時の普段着の衣装が、萎えた、ほとんど色味のない、無地の狩衣であったことも、貧富の差を視覚的に表していました。素材も絹ではなさそうな(麻かな?)。兼家一家はもちろん、正月にやってきた宣孝の衣装が、紋様のある、華やかでパリッといた絹地のものであったのとも対比的でした。官位を得て如才ない宣孝と、除目に何年も外れ、正妻の実家も裕福ではない為時の経済状態がよくわかります。同時に、枕草子で描かれた宣孝の派手好みも示されています。

 

2.経済活動の解説

 大河ドラマでは、登場人物たちの経済活動が一体どうなってるのか、つまり収入はどうやって得ているのか、着るもの食べるものはどうやって調達してるのか…がかよくわからない時があります。というかそういうケースが多いように感じます。しかし本ドラマは、1回目でかなりしっかりそのあたりを解説しているなと思いました。

 

・貴族の場合は正月に決定される除目で官職を得る。官職を得られないと1年間碌が得られず厳しい状態になる。

・正式ルート以外にも上級貴族に取り入ることで正式な官職以外で碌を得る可能性がある。

・基本的に物々交換社会であり貨幣経済ではない。

・貴族の夫の生活の豊かさは妻の実家に依存してる面が大きい。

・正妻は夫の衣装を用意・管理するつとめがある。

 

 それらは、平安時代をかじった人なら、「なーんだそんなこと、知ってるよ」となるかもしれません。しかし平安時代については、「知らない」人が大半ですし、そういう「知らない」人に自然にわかるようになっているのは

 また貴族でも家が貧しくなると下人たちがどんどん去ってしまうというのもリアリティがありました。

 

 あと私自身が興味あるので気になるだけかもしれませんが、「衣服」についてかなり言及されてるなというのが新鮮でした。裁縫については、貴族でも妻が夫の着るものを縫う、という習慣がありましたが、裁縫が不得意で、手伝えるような女房もいない人は外注もありだったようです。『蜻蛉日記』で有名な藤原道隆綱母(兼家の妻のひとり)は裁縫が大変得意だったそうですが、兼家の新しい女から「これ仕立ててください」と生地を送ってこられて怒り心頭…というエピソードがあったりします。まひろの母親も、縫物頑張らなきゃ的なセリフがありましたが、貧乏で無官の為時のために縫う衣装がたくさんあるとも思えず、なにか報酬のモノと引き換えに縫物を請け負っていたものと思われます。源氏物語』でも、紫の上も裁縫が得意であり、また縫物が物語の随所で効果的に用いられていますが、作者の母親が縫物が得意だったという設定はなかなか良いのではないでしょうか。

 

3.娘を入内させることが生命線であった貴族社会

 貴族社会でのしあがるためには天皇に娘を入内させること、その娘が子をなすことが何より大事なのだ、ということも、繰り返し描かれて印象づけられます。兼家はかわいい孫娘を見てもまずその美しさや入内のことを口にしますし、兼道は入内させる娘を得るための結婚を焦ります。

 詮子がその重圧に悩み、父親や兄たちのプレッシャーを疎んじていたのも印象的でした。兄たちと違ってのんびり穏やかで優しい三郎に、お前とだけ内心を打ち明けた話ができる…的なことを語ってて、史実として詮子が道長をかわいがったことへの理由づけとしてこう来たか!!と膝を打ちました。

 詮子が道長贔屓だったことがこの先の歴史を大きく動かすのですから、彼女がなぜそんなに道長が好きだったのか??という疑問に、貴族の権力闘争の背景を交えて早々に答えを出しておくのは正解だなと。ただ後述しますが、道長がそのように穏やかで、怒ることを好まない性格であったという設定は微妙に感じましたが(若い頃から結構乱暴な逸話あり)。それとも彼の性格がどんどんダークに変わっていくという流れなのでしょうか…

 

4.ちはや殺人事件について

 道兼の暴力性、すぐカッとなる瞬間湯沸かし器的性格、家庭内で軽んじられてるコンプレックスからか、自分の威信が傷つけられたかどうかに極度に敏感な性格、世間一般の常識(時姫の言葉に代表される)に逆らう考え方、などの描写が積み重ねられ、最終的に例のまひろの母殺害に結びつきます。なのでドラマの中での整合性という意味では違和感はありませんでした。まあそういうことしかねんヤツやなあ、と。平安貴族が結構暴力的だったこと、目下の者には特に酷かったことを考えると、全くあり得ない話でもないなと。

 

 ですが今後の史料的な色々を考えると(紫式部の娘が道兼の息子と結婚した説あり)、またそもそも、主人公に直接関係ある重要人物同士に殺人という特大フィクションをぶち込むことで生まれる様々なひずみを考えると、いいのかその展開で!??という気持ちもありました。目の前で母親を殺されたという経験をし、しかもそれが自分が仕える相手の親戚だったという因果がもし存在したとして、それが源氏物語にしろ紫式部日記にしろ紫式部集にしろ影を落としてないっていうのはどうかなあ…?とも。

 賛否両論色々あるのはよくわかりました。

 

 彼が返り血を浴びたまま帰宅したことに結構非難が集まったようですが、一応下人に衣装を脱がせて証拠隠蔽図ってますし、顔の血だけでは殺人とまでは断定できないだろう…と道兼は踏んだのかなと思いました。往来ではなくひと目のないところで、下級貴族の妻らしい女を殺したところで、大問題にもなるまいとも思ったのでしょう。

 血という点では、宮中で乱闘事件なんてのもありますし、殴り合ったら拳に血ぐらい着くんじゃないでしょうかね?そういう感じで喧嘩で済ませようとしたのかなとも。

 実際に貴公子が自分で手を下して殺人事件を起こしたら大問題で、そのあたりの「穢」の扱いが気になる人には非常に気になるシーンだったようですが、当時の人もかなり臨機応変というか自分に都合よく「穢」の問題の扱いを変えていたことが記録にありますし、そこまで目くじら立てるほどの描写ではなかったかと思います。「フツーの」貴族が、衆人環視の中で殺人事件を起こして平気であちこちに出入りしているという描写があったら、そりゃおかしいですが、この物語の中の道兼は突出した乱暴者という扱いで、しかも事件の目撃者は、彼の下人と相手の娘と下人のみ。証人としてほぼ価値のない者が少数いたところで、屁でもないのでしょう。

 

5.超自然の事柄について

 穢だけでなく、吉兆/凶兆など、物事に超自然的な因果関係や意味を見出し重要視する当時の人々の心性は、現代人にはなかなか理解し難い考え方です。だからこそしっかり描写しないといけない、という意見もよくわかります。しかしよく見るとそのようなことについて、実はドラマ内で様々に描かれているのです。

 

 ドラマ冒頭で登場するのが、陰陽寮で天体観測する安倍晴明であるところは意味深です。超自然的なものに対する当時の人の意識を大事にしていますよ、という制作側の宣言とも受け取れます。しかし一方で、観測結果に対し不吉なのではと恐れる部下たちに対して晴明は、「雨だ」と現実的な予言(?)のみ口にします。超自然のことを大事に扱いつつ現実的な判断を下す…という塩梅が、このドラマでのスタンスなのだと示してると思われます。安倍晴明は第一回を通してかなり現れます。その姿は、兼家に色々具体的な策謀を依頼されるという、かなり現実の生臭い権力闘争に関わる姿です。

 詮子入内の日の晴明宅落雷事件についての人々の反応も様々です。不吉な兆しだとする人々、それを祓うためにも何か晴明宅に何か手当した方がいいのではとする人、天変地異でもあるまいに大袈裟な…とする人。ちなみに大袈裟なは兼家ですが、不吉な印などは自分の都合のために無視する兼家の態度は、後年の一条天皇即位式の生首事件を彷彿とさせます。そして円融天皇自身、安倍晴明にこれからも働いてほしいからと手当を出すように指示。不吉さとかなんとかよりも、臣下のモチベーションアップの方に重心を置いた考え方です。兼家と駆け引きをし政治的意欲の強かった円融天皇らしいとも見えます。

 

 

6.個人的に疑問だったり引っかかったりした件

 さて、いろいろ良かった点・納得できた点を書いてきましたが、気になった点も幾つかありました。

河原は死体捨て場ではなかったのか…?デートスポット的に描写されてたが(まあ道端にもあって然るべきだが)

・兼家の肩を時姫が揉んでたけど、按摩や指圧ってその頃あったのだろうか??かなり現代的な感じを受けた。あと男女共に顔を突き合わせての家族団欒シーンも結構現代的というか。全体に現代風ホームドラマの文法にのっとってる感じは受けた。確かに御簾越しにとかしてるとまどろっこしいのはわかるが…

道がせまっっ!!小路でも12m、大路は24mなので、洛内だとしたら狭すぎる感じ。

 まひろの家の近くは郊外だとして、平安京の紹介画面ではCGで広い道を示して欲しかったなあ

道長のキャラを暴力が嫌いな平和な性格にしてるけど、23歳にしてすでに下級貴族を拉致し脅す事件起こしてるし、他にも色々暴力的なことをやらかしてることが小右記に載ってるのに、どう整合性をつけるのか!?一条天皇にすら色々嫌がらせしてるし、道長が争いを好まない平和な性格というのは…?

 道長が散楽を楽しむシーンは、少右記に記載されている、長和二年の六月の暴行事件、すなわち祇園御霊会の行列に参加していた散楽人たちが、左大臣藤原道長の指示を受けた従者たちから衣裳が破損してしまうほどの暴行を受ける事件と対比させる伏線かもしれない。あんなに穏やかで庶民の娯楽や風刺を楽しんでいた道長がこんなになってしまって…という。

・名前に馴染みがない人が多いと思うのだが、名前表記をもう少し付けて欲しかった。

 たとえば「詮子」が円融天皇に入内したことを知ってる人も「あきこ」と言われると??な人が多いと思う。そのあたり、鎌倉殿ではわざとらしいくらい画面を止めて名前を出してたけど、それくらいしないと混乱する人出てくるのでは。

衣装がカビ臭くなるレベルの湿気を防げない家で、書物は一体どうなってたのか…!!巻物とかが無造作にふきさらしの建物に置かれててヒヤヒヤした。

 

 などなど。

 

 でも総じて、馴染みのない時代をわかってもらおう、親しみを持ってもらおうという努力が感じられたし、権力闘争もしっかり描きそうなので、今後の展開がとても楽しみです。

 

<了>

寿福寺紀行〜実朝五輪塔参拝記

 今年10月に、念願の実朝様の五輪塔(寿福寺)にお参りしてきました!その様子をレポしたいと思います。

1.寿福寺と実朝

 実朝・政子の五輪塔があることで有名な寿福寺は、源義朝の旧邸があった土地に建てられたものです。頼朝は鎌倉入りした時に、はじめそこに邸宅を構えようとしましたが、岡崎義実が頼朝の菩提を弔う寺を建てていたのと土地が狭かったので計画が変更されました。その土地を、頼朝没の翌年、正治二年(1202年)二月に北条政子の祈願により栄西に寄進して、寺院を建立したのが寿福寺の始まりです。その後義朝の旧邸や政所を壊した建材が寄進されたりして徐々に堂宇を拡張していきました。

 寿福寺は幕府の仏事の中心の場ではなかったようですが、政子や実朝の信仰を集め、実朝もたびたび参詣しています。たとえば建暦二年(1212年)には寿福寺に赴いた実朝は、栄西から仏舎利三粒を受け取っています(吾妻鏡より)。

 寿福寺の建物は1247年の火災で完全に消失してしまったので、実朝様が参拝した堂宇は残っていません。その後焼失と再建を繰り返しましたが、現在あるのは外門・山門・仏殿・方丈で、鎌倉時代栄西像、古写本喫茶養生記などを所有しています。

 

 実朝・政子の墓と伝えられる五輪塔は、背後の源氏山の山腹にある墓地にあります。実際には彼らの墓であるというのは大変疑わしく、その様式から鎌倉末期ー南北朝のもので、墓ではなく供養塔であろうという見解が『鎌倉市史』で述べられています(鎌倉市史編纂委員会 編『鎌倉市史』[第1] (考古編),鎌倉市,1959)

 

 では、実朝の体が実際に葬られた墓はどこか?という問題がありますが、吾妻鏡には殺害の翌日、1月28日に勝長寿院の傍に葬られたとあるのでそれが確かなのでしょう(首がなかったために髪と共に)。勝長寿院は頼朝が父義朝の菩提を弔うために現在の大御堂ヶ谷の場所に1184年に建立を開始した寺院で、後に鶴岡八幡宮永福寺と共に三大寺院と呼ばれる大きな伽藍になりました。実朝もたびたび参詣したり歌をそこで詠んだりしています。実朝の死後は政子によって追悼のための五仏堂が建てられたり、法華堂が建てられたり、三回忌、十三回忌が営まれたりしており、実朝の墓所としてオフィシャルな場所だったことが伺えます。勝長寿院は17世紀あたりには衰微し現在は廃寺となっており、あった場所は住宅街になっていて石碑のみが残っています。

2.寿福寺への道

 

 まず、JR鎌倉駅西口を出ます。時計塔のある広場に出ます。そこから線路沿いの細い道を通っていき、踏切で左へ。(東口からも行けます)

 最初に行き当たる道を右にずーーっと進みます。住宅街という感じで、おしゃれなカフェなどの店がちらほら。ここは今小路という名称ですが、それは江戸時代以降のことで、鎌倉時代は武蔵大路と言われた路の一部だそうです。

 

◾️巽神社

 

 途中、道路右脇に巽神社という由緒ありそうな神社を発見。

 明神造の石鳥居。とても低かったのですが、それは古態を残してるのかなあ?

 残念なことに、墨で板に書かれた由緒が読めないーー!!鎌倉市さん、整備してくれないですかね…

 調べたところ、このような由緒の神社とわかりました。

 

・祭神: 奥津日子神・奥津日女神・火産霊神

・社殿: 現在の社殿は天保6年の建立で、大正の大震災で全壊、大正14年に修復。石鳥居は文政7年(1825年)

 (以上 鎌倉市史編纂委員会 編『鎌倉市史』4,鎌倉市,1959年)

延暦二十年(801年)に坂上田村麿が葛原ヶ岡に勧請したのが起こりで、その後永承四年(1049年)に源頼義がこの地に遷したということです。 寿福寺の巽(東南)にあるのでこの名が あるといいます。むかしは寿福寺の鎮守だったそうですが、貞享年間(17世紀後半)の浄光明寺玉泉院の管理下になりするところとなったとのことです。

 

 神社のつくりは、屋根は瓦の入母屋造で平入り、両脇に屋根が張り出してます。この様式は神社であんまり見たことがありません。そして何より高床になってないので、全体にお寺っぽい雰囲気が。こじんまりとしていますが不思議な雰囲気の神社です。(後で調べたところ、やはり仏教建築の影響が強いそうです(川副博, 川副武胤 著『鎌倉 : その風土と歴史探訪』,読売新聞社,1975)

 

 また『相馬の歴史』によれば、この神社の向かいに相馬師常邸が父の千葉常胤邸の北に隣接してあったということです。(松本敬信 著『相馬の歴史』,東洋書院,1980)。師常邸の場所が巽神社だとする本もあり、要するにこの近辺、今小路より東の一帯が師常邸だったのだろうと思われます。

 

◾️八坂神社

 

 さらに進むと、道路左脇に寿福寺が見えてきました。その手前にも小さな神社がありました。社務所もあり、近所の子どもたちが境内でボール遊びしてたりして、地域で愛されてる神社という感じ

 こちらは由緒書きが読めました。ところどころ旧仮名が使われてるので、戦前とかに建てられたのかな。

 

・祭神: 素戔嗚尊 桓武天皇 葛原親王 高望王

・建九三年、相馬次郎師常の邸内に守護神として勧請して崇敬したのに始まる。その後現在の地に奉遷(?)する。世に相馬天王と称するのはこの故である。

 神幸式は五日、十二日の両日に行われていたが今では十二日のみとなった。中世 御神幸の神輿荒ぶるを以て、

 享和元年、慶応元年に社殿の改築が行われた。明治六年 村社に列格される。

 

 葛原親王桓武天皇の息子で、高望王葛原親王の息子で桓武平氏の祖です。千葉氏は桓武平氏の流れなので、祭神がこのようになったのでしょう。

 『新版鎌倉名所記』によれば、相馬師常が勧請して、巽荒神の場所にあった自分の邸に祀ったのが起りという、由緒書と同じ話と、師常の死後、谷村人がその霊を神とあがめ邸趾に何を建て、相馬天王と称えて村の鎮守としたという2種類の話をあげています。

沢寿郎 著『新版鎌倉名所記』,かまくら春秋社,1974年)

 

このあたりの御家人の屋敷の位置の推定地図はこちら。

貴志正造 編著『全訳吾妻鏡』別巻(新人物往来社,1979)

 

 

3.いよいよ寿福寺

 

 寿福寺です!!門の前は少し広場みたいになっていて、実朝様をしのぶ石碑がありました。古そうに見えましたが、生誕八百年記念で鎌倉同人会が1992年にたてたものだそうです。

 門をくぐると、京都のお寺(光悦寺とか高桐院とか)でよく見る感じの、石畳が真ん中にあって左右に木がある素敵空間が。

 正面の御堂には入れず、遠くから。

 そこから左手に進むと、墓地への道が始まります。

 

 本当は実朝や政子の五輪塔までまっすぐ進む道があったらしいのですが、危険になったためぐるっと大きく迂回する道を通る必要があります。

 民家を横に見ながら歩いて行き突き当たりを右に、山の斜面に作られた墓地へ。

 

 さらに突き当たってT字路に。右か左か特に標識ないのですが、ネットで調べて右に進みました。左手にたくさんのやぐらがあります。

 

 行けども行けどもそれらしきやぐらがなく…やぐらは山の岩をくり抜いて作ったものなので、冷気が漂ってくるので結構怖い。本当は有名な人のお墓もあるらしいんですが、じっくり見る気力が湧かず、ひたすら実朝様のやぐらを求めて歩きました。

 

 あ、ありました!!!

 まずは政子さんのやぐらと五輪塔

 そして実朝様のやぐらと五輪塔!!!!

 感無量です。綺麗な桃色の百合が供えられていました。(お花持ってきたかったけど、誰かが片付ける必要あるので迷うところ)

 何だかホッとしたというか、安心したというか、怖い感じは一切せず、実朝様が狩衣姿で立ってニコニコ迎えてくれたような気すらしました。よくきたね、調査進んでる?て話しかけてくれたような。ハイ、頑張って実朝様の調査進めております!

 

 帰りもウキウキした気分で帰りました。若干道に迷ったのですが、何人かやってきたのでその人たちのおかげで下る道を見つけられました。

 

 寿福寺から鶴岡八幡宮まで近いので歩いていきました。実朝がいた頃の大倉御所は八幡宮のすぐそばにあったので、寿福寺までは近かったんだなあと実感しました。また行きたいです!!

 

<了>

 

「実朝まつり」に行ってきた!

(大聖山金剛寺の実朝像(当記事の写真は筆者撮影))

 2023年11月23日(木)、秦野市で開催された実朝まつりに行ってきました!諸事情あって一部分しか参加できませんでしたが、とても楽しかったです。

1.実朝まつり概要

 

 源実朝を敬い後世に伝えるとともに、源実朝公御首塚がある東地区を盛り上げようと1987年から毎年行われている催し「実朝まつり」。コロナ禍の影響で2019年を最後に中止となっていたが、4年ぶりに復活することになりました。

(出典

11月23日「第36回実朝まつり」@秦野市田原ふるさと公園 – 神奈川・東京多摩のご近所情報 – レアリア)

 

実朝まつり | はだの旬だより-秦野市観光協会

 

・式典=境内で9時20分〜10時

 法要・献茶・献吟など。

・キッチンカー・模擬店=中丸広場で10時〜15時。キッチンカー10台出店。

・展示=源実朝金剛寺所蔵品展示(金剛寺境内阿弥陀堂内・10時〜14時30分)

・催し=野点(境内・10時30分〜14時30分)、西田原太鼓保存会(10時15分〜10時30分・11時55分〜12時10分)、東小学校鼓笛隊演奏(10時30分〜11時)、稚児武者行列(往路・11時〜11時20分)、さんさの会踊り(11時20分〜11時45分)、稚児武者行列(復路・11時45分〜11時55分)、民謡踊り(13時10分〜13時40分)、東田原太鼓蓮(13時40分〜13時55分)、神輿パレード・東太鼓連(13時55分〜14時30分)

・各種ブース=中丸広場で10時から14時30分(交通防犯コーナー・東体育協会コーナー・民生児童委員コーナー・社会を明るくする運動コーナー・1日交番コーナー・秦野市消防団コーナー・郵便局コーナー・福祉施設コーナー・若木保育園コーナー・特産品コーナー・実朝まつり写真展)。

 

アクセス: 小田急線秦野駅から『バス』【秦23】「くず葉台経由藤棚行き」
または【秦26】「くず葉台経由神奈川病院循環秦野駅行き」で約15分、「中庭」下車、それぞれ徒歩約5分ほど

 

2.実朝まつり紀行

 

1)秦野駅から

 小田急線秦野駅着。かなり大きな駅でびっくり。

 南口北口どっちに行けばいいのか分からず、駅員さんにバスの番号を告げて教えてもらいました。

 階段を降りていくと、ちょうどバスがあったので乗り込むと発車。

 しばらくしたら、山の方へ向かう細いくねくね道を行く。ポツポツと「実朝まつり」ののぼりが道端に翻り始め、気分を盛り上げます。(写真ののぼりはお祭り会場近くのもの)

 15分ほどするとバス停「中庭」に到着。バス停から左手すぐが金剛寺、右手に行けば実朝様の首塚のある公園。わかりやすいです。

 

2)大聖山金剛寺〜実朝生前からゆかりのあるところ〜

 

 まず金剛寺にお参り。丘陵のふもとにあるお寺です。割とあたらしめのお堂です。

 

 金剛寺については、 『金剛寺由緒書』や『大聖山金剛禅寺縁起並ニ沿革』、『新編相模国風土記稿』などで詳しく創建のあたりが書かれていますが、微妙に異なっています。

 

 『金剛寺由緒書』

 元々あった寺の建立年は不明。建保年間に、実朝が帰依していた浄妙寺の住職道樹禅師が中興し開祖に。承久元年正月二十七日に実朝が殺され、三浦介常春が首を当寺に持参して道樹禅師が埋葬。実朝の法号にちなんで金剛寺と改める。建長二年に波多野忠経が石造の五輪塔に変える

 

『大聖山金剛禅寺縁起並ニ沿革』

 建保六年一月二十八日、実朝が頼朝の念持仏であり源家守護の地蔵菩薩像を、戦乱の多い鎌倉から遠ざけて安置するためにこの地の大山寺を選び、波多野忠経に運ばせた。大聖山金剛寺と名を改める。承久元年実朝暗殺の後、首を取得した三浦介の武常春がここに首を運んで葬る。三月九日には実朝法華堂の阿弥陀三尊(頼朝が白河で得た)を、特に尊崇していたとのことで政子の命にて移し、入仏供養と転読が行われた。実朝死後32年経った建長二年に波多野忠経が金剛寺塔堂を修復拡大し大伽藍をたて三十三回忌、道樹禅師十三回忌取越を行い、また実朝の木の五輪塔を石の五輪塔に換えたとのこと。

 

(出典 『秦野市史』第1巻 (古代・中世寺社史料) 本編(秦野市、1985年)

 

『新編相模国風土記稿』

 大聖山と号す。承久元年実朝が討たれた時、武常春が首を持参し、退耕行勇を導師として葬り、これをもって行勇を開山とし実朝を開基とする。

 

(出典 間宮士信 等編『新編相模国風土記稿』第3輯 大住・愛甲・高座郡(鳥跡蟹行社,明17-21)

 

 金剛寺という名は、実朝の死後彼の法名にちなんでという説と、実朝生前からそういう名前だったの二種類の説が伝わっています。由緒書や縁起の「道樹禅師」は行勇のことのようです。また縁起書で実朝の法華堂から政子の命で当寺に移された阿弥陀三尊像は、元々頼朝のものでそれが実朝に引き継がれたという書き方ですが、後で述べるように、様式の点から実朝死後の作と現在では推定されています。

 

 また小野寺八千枝『槐門遺芳』(飯尾謙蔵,昭13)によれば、金剛寺は長らく荒廃していたのを、大正8年の実朝公七百年歳の折に村民有志で奉斎会を起こし修繕→大正12年関東大震災で倒壊してまた再建 という経緯を辿ったそうです。(もっとも明治初期には仮の小学校として数百人の児童を本堂に収容していたと言います) 秦野市史 第4巻 (近代史料 1)(秦野市、1985年)

 

 本堂では本尊と、実朝様好きには有名な!!あの実朝様の木造が鎮座していました。

 思ったよりずっとこぢんまりして、かわいらしい。そして彩色は失われていますが、キリリとして高貴な青年といった感じが伝わってきます。

 上の方にはお釈迦様が。

 

 お坊さんに伺ったところ、お釈迦様は室町時代くらいの作で、もともとあった仏像は江戸に遷され、それは空襲で焼けてしまったとのこと。その時は詳しく伺えなかったのですが、先に挙げた『縁起書』を見ると、江戸のお寺は恵日山金剛寺のようです。創建から130年ほどたったとき(筆者註 応歴年間とあるが暦応の間違いか)、江戸下野入道心佛が江戸小日向郷金杉村(現文京区)へ地蔵尊などを伴って移して金剛寺と名付けたとのこと。文京区は昭和19〜20年の大空襲で区内の大半が焼失しており、空襲で焼けてしまったというお話と合致します。元の地蔵尊を見てみたかったなあ。

 

 掛軸が展示してある部屋に行きました。

昔の境内地図などがありました。鎌倉右大臣の歌の掛軸も。

 一旦外にでて阿弥陀堂に。

 「実朝念持仏」との由緒が伝承される木造阿弥陀三尊立像が公開。

 中尊の阿弥陀如来立像は、鎌倉時代中期の阿弥陀如来立像の形式に倣った室町時代後期から江戸時代初頭の作とみられ、ある時点で補われたものと推定。両脇侍の観音・勢至菩薩立像は、鎌倉幕府三代将軍源実朝の没後間もない頃に御家人波多野氏らを中心に供養のために造立されたものと推定されています。2022年に市の重要文化財に指定されています。

(出典:秦野市HP

https://www.city.hadano.kanagawa.jp/www/contents/1662439356690/index.html)

 

 由緒書や縁起書では、頼朝が尊崇していたのを実朝が引き継いで念持仏とした、という記述でしたが、秦野市HPでは実朝様没後まもなく制作されたとされていますね。

 こちらも調べてみましたが、菩薩像の特徴が承久三年以降の快慶作品に見られる特徴や快慶工房の次世代の行快から採用される形式が見られたりするなどするという指摘があり(大澤慶子「鎌倉・教恩寺阿弥陀三尊像と快慶」成城美学美術史, 118-96, 2010) 、それらの特徴から実朝死後の作と推定されたものと思われます。

 

 両脇侍の観音・勢至菩薩立像は、たおやかな雰囲気で体をゆるくひねった姿。衣のドレープも動的でいきいきしており、優雅です。

 

 御堂には実朝の木造五輪塔(実物は鎌倉国宝館)の復元物や、廃仏毀釈を逃れるために金剛寺に遷された仏像も公開されていました。

 

3)首塚

 

 金剛寺を出て、道路を挟んで向こう側の小道を進み、畑の中を通り過ぎると…

 実朝様の首塚のある公園へ。

 やっとお会いできました!!!

 「武常晴は三浦氏が公暁を討ち取るために差し向けた家臣の中の一人で、公暁との戦いの中、偶然に実朝の御首を手に入れました。その後、何らかの理由により首を主人である三浦氏のところへ持ち帰らず、当時三浦氏と仲の悪かった波多野氏を頼り埋葬したと伝えられています。

 その後、波多野忠綱が実朝の厚い帰依を受けていた僧、退耕行勇を招いて御首塚の近くに金剛寺を建て供養しました。その際、木造であった御首塚五輪塔を石造に代えたと云われています。なお、首塚を飾っていたと伝えられる五輪木塔は、現在、鎌倉国宝館に収蔵されています。」

(秦野市HPより)

 

源実朝公御首塚 | 秦野市役所

 

 実朝まつりということで、たくさんお供えがあります。さっきまで紅白の幕がありました。おめでたい感じ。

 

 先に引用した『槐門遺芳』,(昭13.)によれば、当時は畑の中の杜の中にあり、あたりは暗く、側には楠、苔むしていたそうです。今の明るさとはだいぶ違いそうですね。

 

 公園内には、植物にちなんだ実朝様の歌がたくさん。

 

園内のパネルを見ますと、実朝公八百回忌の際に作った植物園とのことです。

  

 また首塚のそばには、2000年の発掘調査で波多野氏に関わると見られる鎌倉時代の城主の館跡が発見されたそうです。

 発掘詳細や首塚との位置関係はこちらのリンクが詳しいです。

https://www.city.hadano.kanagawa.jp/www/contents/1001000002351/simple/2014akitokubetsuten.pdf

 

 高台になっているところで出店やキッチンカーがぐるりと並んでいて、そこで実朝まんじゅうを売ってました…が!売り切れ!!残念!!!

 市民の踊りがあったり、金魚掬いやりんご飴などがあったりして、近隣の方がたくさん集まっていて、地元で愛されてるお祭りという感じでした。

 

 公園内にある農産物直売センターへ。そこで念願の実朝漬と、秦野市産の青パパイヤを使った福神漬を購入。実朝漬はピリ辛福神漬はさっぱりしてて、両方ともとても美味しかった!!

 今回は家の事情で午後少ししか参加できなかったけども、次は全部参加したいです。

 

<了>

クリス・ヘムズワースとロキの関係まとめ

サマリー: ヘムズワースはダークワールド公開後しばらくしてから、ダークワールド含めそれまでのソー出演作品、特にダークワールドへの批判を口にするようになり、ファイギに死にかけている気分であるとか手錠をかけられている気分と伝え、ソーの方向性に大きな変換が図られた。またロキが何回も舞い戻ってくる展開を嫌っており、戻ってきて欲しいとは思わない言葉を繰り返している。バトルロイヤルでも気に入っているのはロキとのやりとりではない。その一方でロキを演じるヒドルストン個人に悪感情がないことを繰り返している。

 

 最近、マーベルのソーシリーズ第5作目に関するニュースが取り沙汰されるようになりました。その前作は20227/8公開の『ソー: ラブ&サンダー』で、色々な意味で「新しい」ソー映画であることが喧伝されていました。これはまた初めて「ロキがいない」ソー映画でもあり、ほんの少し締め殺されるシーンが回想で出てきましたが、役としてはロキは出てきません。

 

 しかし巷では直前まで、ロキがサプライズで出演するのでは!?という期待の声が多く聞こえてきました。というのも、本作の監督タイカ・ワイティティが監督した『マイティ・ソー バトルロイヤル』(2017)(以下『バトルロイヤル』)では、ソーとロキの絆が重要なテーマになっており、ワイティティはロキというキャラクターが好きなのではないかという考えが一部ファンダムに存在していたのです。そしてソー役のクリス・ヘムズワースは、ロキ役のトム・ヒドルストンと、かつて大変仲の良いプロモーションをしていたことでも有名で、2人の親密そうなツーショット写真や動画がいまだにネットに出回っています。

 予告映像が解禁された時には、ゼウスのパワーで全裸になったソーの背中に、R.I.P Lokiと読める文字やロキの兜らしきタトゥーが見られ、ロキ登場への期待がいやがおうにも高まりました。

 

  そのような空気の中、「実はロキが出演するのではないか」という疑問に応えるようなインタビュークリップがアップされました。

 しかしそこにあったのは、ヘムズワースやタイカ・ワイティティ監督が、ロキが死んだということを冗談混じりに何度も強調する姿でした。

 

2022622日 Chris Hemsworth And Taika Waititi Comically Mock Tom Hiddleston's Absence From Thor: Love And Thunder: ‘He's Obviously Dead To Us'(Cinema Blend)

 

https://www.cinemablend.com/interviews/chris-hemsworth-and-taika-waititi-comically-mock-tom-hiddlestons-absence-from-thor-love-and-thunder-hes-obviously-dead-to-us

 

(以下引用)

Chris Hemsworth: He didn't want to be involved. He said 'I hate all of you, and in particular me,' and I was like, 'That's a shame. And that’s it. I mean, how many times can we kill him? Three? Four?

 

Chris Hemsworth: We love Tom. We love Tom. Yeah. But he's dead. Not him, but the character of Loki.
Taika Waititi: No, no he's just dead to us.
Chris Hemsworth: He's obviously dead to us, as far as friendship goes.

 

(以下拙訳)

ヘムズワース「彼はもう関わりたくないんだ。みんな大嫌いだ、特に君がって言われたよ、残念ながらね。だって、我々は何度彼を殺せばいいんだろう?3回、4回?」

ヘムズワース「我々はトムが大好きだ。トムが大好きだ。でも彼は死んだんだ。トムがじゃなくロキというキャラクターがね。」

ワイティティ「そう、そう、我々にとって彼は死んでるんだ。

ヘムズワース「彼は明らかに我々にとって死んでるんだ。友情に関する限り()

 

 ヘムズワースが特にその話題を主導しており、死んだとか殺したとかいう言葉を3回も繰り返しています。

 海外の反応を見ますと、多くの人は、単なる冗談、親しみの表現とみなしました。一方で少数ながら、2人がロキやトム・ヒドルストンをバカにしている、面白くない冗談で失礼だ、というようなネガティヴな反応もあります(mockという表現を使った記事もありました)

 

 さて、この「単なる冗談」という見方は果たして妥当なものでしょうか?

 ヘムズワースもワイティティも、ロキやヒドルストンを愛してて、ちょっと捻くれたオモシロ表現をしたと言えるのでしょうか?

 このクリップだけをみる限り、そう捉えることはできそうです。たとえソー役のヘムズワースが「ロキを何回殺せばいいんだ?」という言い方をしたのに引っ掛かりを覚えないとしても(ソーは映画で一回もロキを殺したことはありません。) またアベンジャーズの俳優たちはよくインタビュー類でわざと相手をくさすような軽口を面白おかしく叩き合っており、その一環のように見えます。

 

 しかし今までの各種インタビューやプロモーションの経緯をつぶさに見ますと、一筋縄ではいかない事情が見えてきます。

 実はヘムズワースは、『マイティ・ソー/ダーク・ワールド』(2013)(以下『ダーク・ワールド』)公開後しばらくしてから、ロキというキャラクターに対する反感、およびソー12作め(特に2作目)への不満を口にするようになっており、『バトルロイヤル』公開以降はヒドルストンとも公の場で仲良しぶりを示すことはほとんどなくなりました。

 ロキ好きと一部で思われているワイティティ監督もロキに対する否定的な言葉を述べており、ロキというキャラが特段好きとは見えません。

 

 たとえばあの巨大なロキタトゥーは、タトゥーを入れるアイディアはワイティティ監督でしたが5倍の大きさにするというアイディアはケヴィン・ファイギのものだったと言います。

 

『ソー:ラブ&サンダー』ロキ追悼タトゥー、普通より「5倍大きく」とマーベル社長がお願いしていた|シネマトゥデイ

 

 あの突拍子もなく巨大なタトゥーでロキへの追悼の巨大さを感じた視聴者もいたと思いますが、それはワイティティやヘムズワースの発案ではなかったということです。

 

  このような経緯をみますと、先程のクリップの見え方も変わってきます。

 

 そこで以下に、これまでの関連する経緯を追ってみたいと思います。

 

1クリス・ヘムズワースのインタビューにおけるロキ観の変遷

 

ダークワールドまでの蜜月時代

 

 ハリウッドではほぼ無名の若手俳優だった状態でソーとロキに抜擢された、ソーシリーズでのヘムズワースとヒドルストンは、2作目のダークワールドのプレミアあたりまでは大変良好な関係を見せていました。インタビューでもお互いの役を重視する発言をしています。

 

「『マイティ・ソー/ダーク・ワールドクリス・ヘムズワースインタビュー映像」

シネマカフェ 2014124日公開

 

https://youtu.be/PCgCaUhKcjk

 

(以下引用)

(ロキとの関係について)今回ソーはなぜそんな風になってしまったのか、何が原因でここまでこじれてしまったのかを、面と向かってロキに問いただすことで、兄弟の仲を修復しようとする。自分にも非があったことを認めた上で、『お前もすべて周りのせいにするのはやめて自分が犯した罪ときちんと向き合うべきだ』と諭すんだ。それまで鬱積していた様々な問題をめぐって、兄弟が真っ向からぶつかり合うのは、演じていても楽しかった。前作よりさらに複雑でダイナミックな関係と言えるんじゃないかな」

 

 ヘムズワースはことほどさように、ロキという役柄についてリスペクトした発言をしていました。またよく2人で組んでインタビュー類を受けており、ボディタッチも多くいかにも親しげです。その中で、ソーとロキのファン同士はcompetitiveなのではというインタビューアーの質問に対し、ヘムズワースは否定し、自分はロキの一番のファンだとも述べて、ヒドルストンが照れるというシーンもありました。

 

https://www.youtube.com/watch?v=LWRuWM-ubTs

 

 ちなみに、ロキは本当はダークワールドで本当に死ぬ予定で、試写の反応から急遽生きていることに変更になったという経緯があります。

 

https://theriver.jp/thor2-loki-changed/

 

(以下引用)

ヒドルストンによると、ロキを生かしておくという変更が加わったきっかけは、試写の観客からの反応だったようだ。

「スヴァルトヘイムでロキが死ぬ場面は、本当の死として(脚本に)書かれていました。クリス(・ヘムズワース)と僕は、そのつもりで演じていたんですよ。ロキは汚名を返上して兄とジェーンを救う、けれどもその過程で自分が犠牲になってしまうんだと。当初はそういう内容だったんですが、試写の観客にはそう受け取られなくて。ロキは絶対帰ってくる、あれは真実じゃないと言われたんですね。妙な話ですけど、ほぼ全員がそう思った。そこで(マーベルは)あれで終わりにはしないと決めたんです。」

 

ソー3作目での変化

 

 その風向きが変わってきたのは、ダークワールド公開後しばらくしてからです。2015年あたりからソー3作目が始動し始め、「マイティ・ソー3」にハルク登場が濃厚 : 映画ニュース - 映画.com  インタビューやプロモが流れ始めましたが、従来とやや毛色が違う映画になりそうな様子が見えてきました。

 

 2016121

『マイティ・ソー』第3弾は宇宙のロードムービー!?マーク・ラファロ語る|シネマトゥデイ

 

 これによると、脚本ができていない初期のディスカッション段階では、「ソーとハルクの宇宙のロードムービー」を目指しているとのことでした。2016718日の撮影が進行している時の記事でも、ワイティティ監督がロードムービーの要素があると認めています。

 

 2017921日『マイティ・ソー バトルロイヤル』クリス・ヘムズワースマーク・ラファロ メッセージ映像到着 の記事では、そのようなロードムービーが目指された経緯が語られていました。

 

『マイティ・ソー バトルロイヤル』クリス・ヘムズワース&マーク・ラファロ メッセージ映像到着 | Fan's Voice | ファンズボイス

 

 (以下引用)「制作陣がクリスに『マイティ・ソー』の3作目をやりたいかどうか、そしてどういう映画にしたいか聞いた時、彼は僕と一緒に仕事をしたいと、バナー/ハルクとソーが一緒になるのは素晴らしいだろうと言って、それが今作の始まりになったんだ。僕はとても興奮したよ」

 

 つまりダークワールド公開後2年ほどした2015年あたりでヘムズワースがラファロとの共演を望み、それが『バトルロイヤル』のきっかけになったと語っています。本作はヘムズワースが初めて深く関わるソー作品ですが、その際ロキではなくハルクをバディとして選んだわけです。実際の映画は、蓋を開ければ兄弟の物語が主眼でしたが、当初の構想では全く違ったものだったわけです。

 

 

 そして一方でヘムズワースは、ダークワールドなど以前のソー作品への批判を始めます。

 

2018820日 Chris Hemsworth Is Post-Hunk(GQ)

 

https://www.gq.com/story/chris-hemsworth-is-post-hunk-cover

 

(以下引用)

” The first one is good, the second one is meh,” Hemsworth says. “What masculinity was, the classic archetype—it just all starts to feel very familiar. I was so aware that we were right on the edge.” Where in the first two films he played his hero character straight, in the third iteration he injected more humanity and created a character truer to his own spirit.

 

(以下拙訳)

1作目はgood良い、2作目はmehまあまあ。」とヘムズワースは言う。「古典的な男性性とは何かを、よく考えるようになったんです。私は、我々が崖っぷちに立ってると気づきました。」前2作がヒーローをストレートに演じたのに対し、3作目はより人間的に、より自分自身のスピリットにより忠実なものにした。

 

 このバトルロイヤル以前のソー批判はその後もずっと続きます。

 

 2019418 Chris Hemsworth: I was exhausted and underwhelmed with Thor before 'Ragnarok' (exclusive)(yahoo!entertainment)

https://uk.movies.yahoo.com/chris-hemsworth-exhausted-underwhelmed-thor-ragnarok-exclusive-123201006.html

 

(以下引用)

“When we came into Ragnarok, I was sort of exhausted of what I’d been doing and a little sort of underwhelmed by what I was putting out there, you know?”

 

 “That was no fault of any director or writer, that was me personally. It felt like I’d put myself in a box with what the character could do. So on Ragnarok, it was about breaking all the rules, and kinda going ‘as soon as it feels familiar, do something different’,

 

think, tonally, we never quite landed on what that [film] should have been. I think it became a little too… I don’t want to say serious… but, as I was shooting it I desperately wanted to do something more fun with the character, and unexpected.”

 

(以下拙訳)

 「『バトルロイヤル』制作が始まった時点で私は今までの演技に疲れ切っていたし、自分が演じるソーに少しがっかりしてもいた。」

 

「それはディレクターやライターのせいではなく自分個人の問題だ。キャラクターができることに関して、自分自身を箱の中に押し込めてるような気がした。だからラグナロクでは、すべてのルールを破り、「親しみやすそうなことだと思ったらすぐに、何か違うことをやってみる」ということをした。」

 

「ダークワールドが目指していた雰囲気には到達できなかったと思っている。その雰囲気が重すぎたとは言いたくないが、演じていた時も、もっと楽しい、予想外のことをしたいと思っていた」

 

 (日本語記事:クリス・ヘムズワース、『マイティ・ソー バトルロイヤル』以前のソーに「辟易してがっかりしていた」と告白)

 

 ちょっと話は先になりますが、2022年のラブアンドサンダー公開前の、自分のキャリアを振り返る動画でも、ダークワールドを批判しています。ソー1については、自分にとっていかに重要な作品だったかやや唐突に述べますが、ダークワールドについては主要作品としてすらピックアップしておらず、不満があったことを言葉で述べるのみです。

 

2022614 Chris Hemsworth Breaks Down His Career, from 'Thor' to 'Spiderhead' (Vanity Fair)

 

https://youtu.be/laJBPb4RXNk?si=J-4l3j2q53AKhr3L

 

(以下引用)

"I wasn't stoked with what I'd done in Thor 2,"

 

" You know, I was a little disappointed in what I'd done. I didn't think I grew the character in any way and I didn't think I showed the audience something unexpected and different. When Ragnarok came along, out of my own frustration on what I'd done — and this isn't on any other director, this is my own performance — I really wanted to break the mold, and I said this to Taika."

 

「私はソー2でやったことにワクワクしていなかった。」

 

「私は自分がしたことに少しがっかりしていました。私はどんな方法でもキャラクターを育てたとは思わなかったし、観客に予期せぬ違うものを見せたとは思わなかった。ラグナロクの話が出たとき、私がしたことに対する私自身の欲求不満から ーそしてこれは監督にではなく、私自身のパフォーマンスについてなのだがー私は本当に型を破りたかったので、タイカにそう言った」

 

(日本語記事: クリス・ヘムズワース、『マイティ・ソー』第2作に失望 「飽きてしまった」と心境を吐露

(2022.06.16)(リアルサウンド)

https://realsound.jp/movie/2022/06/post-1054561.html

 

 そして2019年、エンドゲーム公開の前日に公開されたこの記事では、より深刻な形で、ラグナロク以前の作品におけるソーがいかにイヤだったかが語られています。これは201710月のエンドゲーム撮影中のインタビューとのことで、バトルロイヤル公開直前です。

 

 >自分は死にかけている

 >手錠をかけられている

 

ほとんど悲痛な心の叫びに見えます。

 

 2019425日 Avengers: Endgame—Is Thor’s New Look More Than Just a Joke? (Vanity Fair)

 

https://www.vanityfair.com/hollywood/2019/04/avengers-endgame-fat-thor-ptsd-jokes-controversy

 

(以下引用)

 Speaking with Vanity Fair on the set of Avengers: Endgame in October 2017, Hemsworth reflected back on his first few outings playing the self-serious, Shakespearean Thor that Kevin Feige and the Marvel team originally dreamed up. The actor said he was frustrated and bored. Like the depressed Thor in Endgame, Hemsworth was unable to be the hero he thought Marvel wanted him to be: ‘I feel like we came out of the gate strong with the first Thor, and then it got watered down a bit. I take responsibility for that. I’m not pointing fingers at writers or directors. But then it became predictable or overly earnest, self-important, and serious. Nothing that was unexpected.”

 

After critically mixed outings in Thor: The Dark World and Avengers: Age of Ultron, the crimson-caped Thor had lost his mojo. He sat out the next   Avengers team-up, Civil War, entirely while the plans for the third solo Thor movie got a major overhaul. At a meeting that some in Hollywood might consider unusual, Feige not only listened to his star’s concerns—he took notes. ‘I feel like I’m dying here,’ Hemsworth told Feige. ‘I feel like I have handcuffs on.’

 

‘It has to be funnier; it has to be unpredictable,’ the actor remembered saying. ‘Tonally, we’ve just got to wipe the table again.’ That reset for Thor—and a massive infusion of improvisational humor—came courtesy of Thor: Ragnarok director Taika Waititi, who helped transform Marvel’s most stately and straitlaced property into a zany, no-holds-barred adventure that gave Guardians of the Galaxy competition for the oddball crown. That film cheekily ripped the standard idea of Thor to shreds—cutting his hair and stripping him of his cape, his hammer, his home, his girlfriend, his friends. All of which was Hemsworth’s idea.

 

But by the time Endgame rolled around—and so many of his castmates were ready to say goodbye—Hemsworth was just getting started on this newer, funnier Thor. Sitting opposite from me, his greasy wig lank and his unkempt beard scraggly, Hemsworth said he was finally playing Thor as he was meant to, not as he was expected to. ¹  

 

(以下拙訳)

 201710月のアベンジャーズ:エンドゲームのセットでVanity Fairのインタビューを受けながらヘムズワースは、ケビン・ファイギとマーベルチームが最初に夢見ていた真面目なシェイクスピアのソーを演じた最初の数回の出演を振り返った。彼はイライラして退屈していたと語った。エンドゲームの落ち込んだソーのように、ヘムズワースはマーベルが望んでいたヒーローになることができなかった。

「私たちは最初のソーで力強い門出ができたような気がする。しかそそれはその後少し骨抜きになった。その責任は私にあるし、脚本家や監督を責めようとは思わない。しかし、その後、それは予測可能で、また過度に真面目で、重要で、深刻になった。予想外なことは何もなかった。」

 

 ソー:ダークワールドとアベンジャーズ:エイジ・オブ・ウルトロンで批判が入り混じった後、真紅のマントのソーは魔力を失っていた。彼は次のアベンジャーズのチームアップであるシヴィル・ウォーを完全に欠席し、3作目のソー単独映画の計画は大幅な見直しを受けた。ハリウッドにしてはある種尋常ではない会議で、ファイギはスターの懸念に耳を傾けただけでなく、メモを取った。「ここで自分は死にかけているような気がする」とヘムズワースはファイギに語った。「手錠をかけているような気がする。」

 

「もっと面白くなければならない。予測不可能でなければならない」と彼は考え出した。「文字通り、私たちはもう一度テーブルを拭かなければならない。」ソーのリセットと即興ユーモアの大規模な注入は、ソーの好意によるものです。ラグナロク監督のタイカ・ワイティティは、マーベルの最も荘厳で窮屈な財産であるソーシリーズを、ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーの競争者に変え、滑稽で制限のない冒険に変えるのを助けた。その映画は、ソーに対するスタンダードなアイディアを引き刻み、髪を切り、マント、ハンマー、家、ガールフレンド、友人を剥ぎ取った。それはすべてヘムズワースのアイデアだった。

 

 しかし、エンドゲームが始まり、彼のキャストメイトの多くがさよならを言う準備ができていた頃には、ヘムズワースはこの新しくて面白いソーを始めたばかりだった。私の向かいに座って、彼の脂っこいかつらと手入れの行き届いていないひげがぼろぼろに座っているヘムズワースは、彼が期待されていたようにではなく、彼が意図していたようにソーを演じていると言った。

 

 

「ロキに戻ってきて欲しくない」と語り続けるヘムズワース

 

 映画作品だけでなく、彼はロキというキャラとの関係性についても侮蔑的に、もう今までのような関係を繰り返したくないという発言を始めます。

 

201799日 How Thor And Loki’s Relationship Has Changed In Ragnarok, According To Chris Hemsworth(Cinema Blend )

 

How Thor And Loki’s Relationship Has Changed In Ragnarok, According To Chris Hemsworth | Cinemablend

 

(以下引用)

You know, without giving too much away, it was one thing I said because I don't wanna repeat that relationship either. And I think, you know, Tom felt the same. All of us were like what hap- what can we do again here? And yeah, I'm sorry, I'm walking a fine line kinda what I can do. But I think, there's a bit of reversal as far as kind of, You know, in the first films, you know, a lot of the time you're seeing Thor kinda going, 'come back Loki,' and da-da-da-da. And, you know, I think there's a feeling from Thor now that's just like, 'you know what kid, do what you want.' You know, you can't hurt for trying, you know? 'You're a screw-up, so whatever. Do your thing.' So there's a bit of that, which is fun, but also something we haven't sort of played with as much, you know?

 

(以下拙訳)

 あまり多くを言わないけど、私が言いたいことはひとつ、その関係を繰り返したくないということ。トムも同じように感じてると思う。私たちは皆、ここでまた何ができるだろうか、という感じだった。すまないが、私は(訳註: 面白くなくなる?)紙一重の道を歩んできた。しかし最初の数作品で、ソーが「戻ってきてくれ、ロキとかなんとか」と言うのを皆さんはたくさん観てきたと思うけど、今度はそれとはちょっと逆になると思う。そしてソーは「お前は自分がどんなヤツか知ってるだろう、お前のやりたいようにしろ」というような感じのことを言うと思う。やってみて損はないって。「お前はめちゃくちゃだから、なんだっていい。自分のことをするがいい」それは楽しいことだし、私たちがあまり演じたことのないものでもある。

 

 >'come back Loki,' and da-da-da-da.

この表現に込められた感情かなりキツイものを私は感じます。

 

 そして2019411日の記事で、ロンドンでのファンミーティングでロキについての話題になった時、ロキがなん度も復活することについてウンザリしているような発言をしていたことが述べられます。

 

“Ahhh, he’s like the girlfriend you break up with and they don’t get the message. Like, ‘You’re dead, sorry, it’s over,’ and they’re coming round to hang the new drapes. The most poignant moments [of Thor’s movies] have been with Loki.”

 

「あああ、彼は別れたのにそれを認めようとしない元カノみたいなものなんだ。

『君は死んだんだ、悪い、終わったんだ』と言っても、やってきては新しいカーテンを部屋にかけにくるみたいにね。ソーの映画の中で最もpoignantなのはロキに関することだ」

 

Chris Hemsworth Won't Rule Out Loki's Return In Avengers: Endgame – We Got This Covered

 

 

そしてロキへのウンザリ感を、別な表現でもしていて、ソーという役柄ではなく自分だったらロキに我慢ならないことを仄めかしています。

 

2019424日 Avengers stars reveal one big downside to the job(News.com.AU

 

Avengers Endgame: Chris Hemsworth reveals he’s not too old for Marvel franchise | news.com.au — Australia’s leading news site

 

(以下引用)

Would Hemsworth bring back his troublesome onscreen brother if he could?

“No. Why would I do that?” he answers, blankly. “He fooled me time and time again. But on the personal side, I was with Tom since the beginning of this journey and I learned a lot from him.” Hemsworth pauses. “If you’re asking if Thor would bring him back, I think if he could have done he would have. But for me, I don’t know.”

 

(以下拙訳)

ヘムズワースはこの映画の中での困った弟を可能なら連れ戻しますか?

「いいや。なんで私がそうするんだ?」と彼は無表情に答えた。「彼は私を何回も騙した。でも個人的には、自分はトムとそもそもの初めから一緒に旅をしてきたし、彼から多くを学んだ」少し置いてから「もし君が、ソーなら彼を連れ戻すかって訊いてるなら、できるなら彼はそうしてただろうね。でも私なら、よくわからない」

 

 ロキが「私を」何回も騙したという表現が引っかかります。役と自分が一体化しているような発言ですね。

 同様の内容は日本の媒体でのインタビューでも語っており、彼の考えが強固であることがわかります。

 

「「消えたアベンジャーズの仲間を復活させるなら誰?ロキは?」『アベンジャーズ/エンドゲーム』クリス・ヘムズワースジェレミー・レナー特別インタビュー」(2019428日公開)

https://www.banger.jp/movie/8699/

 

(以下、引用)

-最後に、もしも『インフィニティ・ウォー』で消えたキャラクターを誰でも生き返らせることが出来るとすれば、クリスはやはりロキを選びますか?

クリス:なぜその必要があるんだ?

ジェレミー:同感(笑)。

クリス:ロキはソーを何度となく騙してきた。誰でも生き返らせることができるとしても、あいつを復活させるのはどうかな。

ジェレミー:この時点で生き返らせる価値なんてない。誰も望んでないし。

-ロキのファンがいますよ。

クリス:確かに、観客動員を増やすためには意味があるかもしれないね。ソーとロキはマーベル・シネマティック・ユニバースMCU)でたくさんの経験をした。ソーが成長できたのは、ロキがいたからだ。トム(・ヒドルストン)とは1作目からの付き合いで、彼からたくさんの事を学んだし、友情を育んだ。たくさんのいい思い出があるよ。

 

 多分言いすぎたと思ったのでしょう。最後のパラグラフの後半では、それまでとがらっと変わってロキがいたからソーが成長できたとかトム・ヒドルストンから多くを学んだとか、リップサービスを始めています。しかしそれまでの流れでは、ロキとの共演をもはや望んでいないのは明らかです。そしてこのインタでも相変わらず「僕自身としては『マイティ・ソー バトルロイヤル』で打ち出したソーの新たなキャラクター像が気に入っていて、その続きを追求したいと思っていた。昔のソーには戻りたくないなあ、と述べています。

 

  そして冒頭で紹介した、2022年のタイカとの対談での「ロキは死んだ」発言。

 もう一度ご紹介しましょう。

 

ヘムズワース「彼はもう関わりたくないんだ。みんな大嫌いだ、特に君がって言われたよ、残念ながらね。だって、我々は何度彼を殺せばいいんだろう?3回、4回?」

ヘムズワース「我々はトムが大好きだ。トムが大好きだ。でも彼は死んだんだ。トムがじゃなくロキというキャラクターがね。」

ワイティティ「そう、そう、我々にとって彼は死んでるんだ。

ヘムズワース「彼は明らかに我々にとって死んでるんだ。友情に関する限り()

 

 これまでの流れを見たらもうわかりますよね。

 冗談とか照れ隠しじゃなくて、本当にロキは自分にとっては死んだ存在だと言ってるわけです。

 

 ちなみにワイティティ監督は、ロキをバトルロイヤルで殺すアイディアを持っていましたが、MCU側がインフィニティ・ウォーで殺す計画を持っていたので止められました。ワイティティもヘムズワースと話してそれまでのソーに飽き飽きしていると答えており、一部のファンダムで考えられているようにロキというキャラやソーとの関係性が特段好きというわけではなさそうです。ファンダムはソーとロキの関係性にクレイジーだという発言もしており、全体として見るとロキにあまり好意的ではない感じです。その点でも、ヘムズワースと気が合ったのでしょう。

 

 

2.プロモーションなどに見える関係性の変遷

 

 『ダーク・ワールド』のプロモまでは、多くの人の知るように2人は大変仲が良さそうに見えました。いつも隣り合ってふざけ合ったり、インタビューでも2人で受けたりしていました。2人はそもそもソー1作目の時に合宿めいたことをしており、その仲の良さがダークワールドのあたりまでは続いていたのです。今も2人の名前で検索して出てくる仲良さげな写真のほとんどは、この頃までのものです。

 

 そしてバトルロイヤル撮影中も、仲良くふざけるオフショットがありました。ブリスベンNYの街角で話し合うソーとロキのシーンを撮影していた様子を複数の人が撮影してアップしていましたが、2人が和やかに話したりヘムズワースがヒドルストンの衣装をチェックするところなどありました。また公式のオフショット動画でも、ヒドルストンにふざけかかるヘムズワースの姿もありました。撮影中に行われた、ソーとロキの服装での2人での病院慰問でも同様の様子でした。

 

2016911日公開 SUPERHEROES - FEATURING CHRIS HEMSWORTH AND TOM HIDDLESTON! (S3EP11))

 

https://youtu.be/JQJDM2f6A3g

 

 ところが『バトルロイヤル』公開前後のプロモで少しづつ変化が起きてきました。2人だけで一緒にプロモすることもほとんどなく、複数人でインタビューを受ける時も一緒ではありませんでした。意識的に一緒に並んで仲良くすることを避けているようで、ヒドルストン自身はヘムズワースのそのような変化に戸惑っているように見えます。

 唯一、中国向けのプロモのひとつで2人はかつてのように並んでプロモをし、冗談を言い合います。しかし以前とは少し空気が違う印象を受けます。

 https://youtu.be/ryvFI_JLZsk

 公開直前のコミコンでは2人は並びに座っていますが、ヘムズワーズ氏が肩を抱いたりふざけたりする相手はワイティティ監督の方です。

 https://youtu.be/PvU6dD59IyA

 記者会見ではもはや並んでもいません。

 https://youtu.be/yPjwgr4w6r0

 オーストラリアのテレビ番組での宣伝では、監督、ハルク役のマーク・ラファロとのみ一緒に出演しています。

 https://youtu.be/hUhpJ6zb8AE

こちらは2人も出演したバラエティ番組ですが(CBSトークバラエティ番組『レイト×2ショー with ジェームズ・コーデン』)、これはヘラやハルクなど主要人物全員が出演しており、ロキ抜きではできなかったと思われます。

 https://youtu.be/8atgsWFfDOg

 

 その傾向は『アベンジャーズ  インフィニティ・ウォー』以降でも続きました。もはやラグナロクの中国向けのプロモのように2人でインタビューを受けることもありません。

 もっともLAプレミアではレッドカーペットでツーショットを撮ったり並んで立ったりしたこともあります。

 また一回だけ、記者会見で離れて座っていたヒドルストン氏が質問に答えようとした時にからかうように手を差し伸べるジェスチャーをするシーンがありました。

 しかし全体としては、もう以前のような親しさは見せなくなりました。ロキという役柄を作品内で遠ざけるのと歩調を合わせるように、ロキを演じる俳優からも距離を急速にとっているわけです。それは自分自身の心理的なものもあるでしょうが、2人が役柄上深く結びついた仲であるという認識をプロモでの距離感で持たれたくないという意向の現れのようにも見えます。実際、そのように振る舞っても、マスコミからはロキを取り戻したいですか?などという質問がなされるのですから、ソーとロキが不可分だという認識を一般に持たれ続けるのを警戒するのは当然かもしれません。もっともそれを充分相手役に伝えてるか・伝わっているかは疑問ですが…

 

 

◼️2人が共演した作品のプロモーション以外での言及など

 

 インタビュー類を熱心に追っていない人々にとっても、そのようなプロモーションでの2人の関係性の変化は否応なしに目につくわけで、「不仲」説など、色々な憶測がネットでも取り沙汰されました。公には以前のような親しさがなく、屈託ないやりとりがないことは明らかだからです。

 

 しかし、個人としてヒドルストンを「嫌い」と受け取られることについては絶対に避けたいようで、ヘムズワースは2人に関係するプロモーションでもそれ以外でも、なるべくヒドルストン氏の名前を好意的な文脈で出すようにしています。

 

 たとえば『スパイダーマン ファー・フロム・ホーム』のプロモでトム・ホランドと共演したとき、わざとホランド氏の名前を間違えて「トム・ヒドルストン?」と言ったりしています。(2019611日公開)

 https://youtu.be/KzFdFyqbuIw

 ここは別にトム・ハーディーでもトム・ホランダーでも誰でもいいわけで、なんならトムの名前を出さないギャグでもいいわけですが、あえてこのギャグを演じました(誰の発案だかわかりませんが、嫌だったら拒否すればいいわけです)

 

 ソーシリーズ10周年の時は、Instagram2人が初共演した時の、出回っていないヒドルストンとのツーショット写真をアップし、ビッグプロジェクトに参加した若い俳優仲間としての思い出を述べました。(2021511)

 

https://www.instagram.com/p/COwRkk-prlg/?igshid=YmMyMTA2M2Y=

 

 また2021年には、ディズニープラスのアニメ『ワット・イフ?』シリーズでパーティーソーとヨトゥン ロキとして、声優として共演を果たし、ドラマシリーズ『ロキ』では、カエルのソーの叫び声を提供しました。

 

 

 この、ヒドルストンに対しては言葉上フォローをするがロキという役やダークワールドについては否定的態度を示す、という態度が一貫していることは、先に引用した2022年のラブアンドサンダー公開前の、自分のキャリアを振り返る動画でも明らかです。

 (ソー1については、自分にとっていかに重要な作品だったかやや唐突に述べますが、その後はロキについて言及していません。)

 

 

 

3、まとめ

 

ロキというキャラクターについてのヘムズワースの評価

 

 ヘムズワースはダークワールドからしばらくして以降、一貫して、ソー2作目までへの低評価、3昨目への好評価を下しています。特に2作目、ダークワールドへの拒絶感は相当なものです。

 そしてロキというキャラクターへの印象は「私を何度も騙す」「もう戻ってこなくていい」「ロキが死んで、戻ってきてくれなんていうのを繰り返したくない」「別れたのに相変わらず押しかけてくる元カノみたいなもの」と、さんざんです。

 とにかくロキには不愉快な印象が強いようで、自らが深く関与する作品ではロキの要素はなるべく取り除くようにしているように見えます。ロキへのソーの「情」「執着」的なものを描くMCUの脚本の傾向にしても、「戻ってきてくれなんていうのを繰り返したくない」という言葉に表れているように、不満を示しています。そのような執着はコミックで描かれてるものですが、ヘムズワースはそれを嫌っているようです。

 『アベンジャーズ  エンドゲーム 』のソーは、インフィニティ・ウォーまでのソーと相当異なるキャラクター作りがされており、ヘムズワースの意向がかなり反映されたようです。そのような中、エンドゲームでは『インフィニティ・ウォー』のようなロキへの執着がほとんど見られません。タイムスリップして地下牢のロキのそばを通っても避けるように通り過ぎるだけです。それはロキを想うあまり、辛くて見られなかったのだという解釈をする人もいましたが、上記の流れを踏まえると、単にもうソーはロキに対し過剰に「情」を示したくないというさまを表したものと捉えた方がすわりがよさそうです。

 

クリス・ヘムズワーストム・ヒドルストンの関係について

 

 ヘムズワースは一貫して、ヒドルストンについて折に触れて好きだとか尊敬しているとかのフォローを入れています。なので、ダークワールドの時までのプレミアなど公の場での仲良しぶりはもうないものの、少なくとも仲が悪いようにも見られたくないというヘムズワースの強い意向は、上記の言動通じて感じます。実際、公の場に一緒に姿を現すことはなくなっても、声優としての共演などは果たしています。

 もっともロキを全身全霊で演じていて思い入れも深いヒドルストン自体に、なにがしか感じている可能性もあります。しかしヒドルストンはこれまた一貫してソーへのリスペクトを貫く発言を続けており、最近のインタビューでもソーとの再会を望むような発言もしています。

 

 

その他: ファンダムの動向

 

 上記のように、注意深くインタビューやプロモを追って分析している人ならともかく、普通の人は、仲良し時代の動画や写真が流布してしまっているために、未だにそのような関係だと信じる人も多い状況です。

 またソーとロキの関係にロマンチックなものを見出す人々は、たとえ上記のような状況を知っていても、直視しない傾向にあります。ソーとロキがまた仲良く共演してほしいという希望を今も繰り返し述べている人も結構います。

 

 また「ロキの髪を追悼のために自分の髪に編み込んでいる」という噂が映画のスクショ付きで拡散される現象が時折起きるのも(ロキと共闘してるシーンでその黒っぽい編み込みがあるのでそれはデマなのですが)、そのような関係性に人気がある現れでしょう。

 

 それは映画雑誌などの影響も大きいでしょう。たとえば「スクリーン」20206月号では、「神兄弟徹底比較 クリス・ヘムズワース2人の関係が最初から今に至るまで全く変わらないかのような扱いで振り返り特集をしています。

 

 そのような中、上に述べたような、かなり何回も繰り返しているヘムズワースのソーやロキへの気持ちは、なかなかファンダムに届いていないようです。ソー5作目がもっと初期寄りの雰囲気にするという噂がたって、多くの人が歓迎したりロキとの再会を望む声をあげていますが、この数年間にわたって真逆のことを成し遂げようとしてきたヘムズワースは、そのようなファンダムの動きをどのように受け止めるでしょうか。

 

<了>

.

源実朝没後七百年記念行事②〜実朝を主人公にした歌舞伎演目の上演

 実朝没後七百年祭は、歌舞伎の世界でも行われ、少なくとも3箇所、2演目で実朝を題材にした歌舞伎が上演されました。

 

◉大正84月 場所: 明治座

 

<演目>

実朝公七百年祭記念狂言山崎紫紅『実朝公』(新作)

 鎌倉八幡宮の場

 

<配役>

 源実朝 升三

  ほか

 

・当時の明治座外観

 

大正時代の明治座|明治座 150th Anniversary|明治座

 

<ポスター(番付)

 寿福寺の実朝坐像の写真が使われています。他にも実朝の墓、鶴岡八幡宮の隠れ銀杏の写真が載っており、歌舞伎のポスターとしてはかなり珍しいのではないでしょうか。

(松竹大谷図書館web site)

 

<パンフレット(筋書)

 不明

 あらすじもよくわかりません。情報持ってる方がいらしたら教えてください!

 

 この公演を扱った劇評(「四月の劇壇」島田青嶺(早稲田文学』[第2期],(162),[早稲田文学社],1919-05-01. 国立国会図書館デジタルコレクション)でもこの演目だけ言及されてないので、あんまり印象に残らない演目だったのではと思われます。

 

 

◉大正85月 場所: 浪花座

 

<演目>

実朝公七百年祭記念狂言 六代鶴屋南北『鎌倉右大臣』(新作)

 序幕 鎌倉由比ヶ浜辺の場

 大詰 鎌倉営中の場

    鶴岡八幡社の場

 

<配役>

 鎌倉右大臣実朝 中村福助

 北条右京大夫義時 中村市

 北条武蔵守泰時  中村成笑

 阿闍梨公暁    中村魁車

  ほか

 

<ポスター(番付)

(松竹大谷図書館web siteより)

<パンフレット(筋書)

 5月らしい鯉のぼりの鱗があしらわれた表紙。

 

 (筆者所蔵)

 

<あらすじ>

 

・鎌倉由比ヶ浜辺の場

 北条政子に実権を握られていた実朝だったが、義時・泰時父子が源氏の世を奪おうと企てたので身辺に危険を感じ、宋に渡って難を逃れようと唐船を建設させる。由比ヶ浜で、泰時は渡宋を阻止しようと陳和卿に働きかけるが取り合われない。そこに公暁が現れるが、義時は公暁に、実朝が将軍職を奪うために頼家を殺させたと告げ、公暁の復讐心をけしかける。

 義時が去ったあと義時の手下にその件について水を向けられるが、公暁は法師の身に仇はないと叱りつける。そこへ唐船を見ようとやってきた実朝一行。公暁との会話で、自分が唐に渡れば将軍職は御身の手にと実朝が言いかけるが、その時唐船が沈んだという知らせが来る。義時の陰謀である。

・鎌倉営中の場

 鎌倉御所で 夜な夜な鬼神が現れ、営中を悩ます。拝賀式の夜も現れ、戦いのどさくさの中、公暁を想う渚(公氏の妹)が切られる。鬼神の正体は公暁で、誤って襲ってしまったことを詫びる。渚は拝賀式で、父上を討った義時が御剣役であると告げて死ぬ。

 それを柱の陰で見ていた実朝は、我が身の運命もやがてはこれと悟る。様々な不吉な現象から拝賀式の延期を周囲はすすめるが断り、結髪の公氏に髪を一筋与え、「出でていなば〜」の歌を吟じて従容として立ち上がる。

・鶴岡八幡社の場

 拝賀式の折、義時は腹痛を訴えて御剣役を仲章に譲って立ち去る。それと知らぬ公暁は物陰から仇討ちの機会を伺う。

 死に際に、義時の罠にかかったか、かくて源氏もこの春と共に影もなく散り失せるのだと嘆く実朝。立ちすくむ公暁の周りを北条の手下が取り囲む。

 

 

筆者感想: 義時父子が悪人に描かれてるものの、実朝も公暁も愚かではなく描かれてるのは好感が持てますが、公暁が実朝まで殺そうと思うに至った経緯がこのあらすじではよくわからず。初めは実朝を恨んでなさそうだったのにそして渚が切られて死ぬまでを物陰で見てる実朝というのもなんだか謎な展開。とにかく自分の死を予知する実朝、運命に翻弄される公暁、を描きたかったんだなと感じました。

 

 

◉大正86月 場所: 神戸中央劇場

 

<演目>

 実朝公七百年祭記念狂言 六代鶴屋南北『鎌倉右大臣』

 

<配役>

(浪花座と同じ)

 

<ポスター(番付)

 

<パンフレット(筋書)

 不明

 

<あらすじ>

(浪花座と同じ)

 

 

 

*********

 

余談 『名残の星月夜』について

 

 七百年祭の翌年大正9年に、坪内逍遥作の『名残の星月夜』(戯曲自体は大正6年に中央公論に連載)が上演されたのは知っている方も多いと思いますが、これについて逍遥は興味深いことを述べています。

 大正9510日付の逍遥のエッセイ「『名残の星月夜』上演所感」(『それからそれ3版』(実業之友社、大正10))によれば、

「で、『名残の星月夜』の如きは、実は、昨年の春以来、今度までに前後三回の申し込みが歌舞伎座からあつたのを、前二回は、あたまから断つてしまつた」(※強調は筆者)

 とあるのです。本エッセイによると逍遥は、これまで自作の戯曲の上演にあたって演出にも携わってきましたが、自分の希望がほとんど叶えられず上演自体に忌避感を持つようになっていたそうです。そんなわけで『名残の〜』もなかなかGOサインを出さなかってのですが、三回目の申し込みの時、逍遥の希望が色々通りそうだったので上演許可を出したそうです。つまり歌舞伎座としては七百年祭の年に本当は上演したかったので大正8年春から何回かプッシュして、翌大正9年にようやく実現したということなのでしょう。

 

 『早稲田文学』[第2期],(162),[(早稲田文学社],1919-05-01.)では、演劇研究家の河竹繁俊

B  それは兎も角としても、あの『星月夜』などは何故早くやつて見ないのだらう。今年は實朝公の七百年忌だといふから、キットあれをだすだらうと心待ちにしてると、明治座で紫紅氏のが出てゐる。坪内先生の、あの詩に富んだ「星月夜」は、やはり上演されないのかしら。

A  さうさ、秋あたりにはやつて貰ひたいネ。少し位の冒険はしても、あの作位へ飛んでやつてもらひたいものだ。」

などというやりとりまで作って、『名残の星月夜』上演待望論を語らせています。もっとも河竹は逍遥の弟子筋にあたり、逍遥の推薦で河竹黙阿弥の娘の養子になったりまでしているので、多分にヨイショ的な意味も含まれていたのでしょうが。しかし実朝の歌舞伎が付け焼き刃でなく既に著名な作家の手で出来上がってるのであれば、それを上演したらいいのではないかと思うのは誰しも考えることだったでしょう。

 そのように歌舞伎座からの3回もオファーがあり、身内からも待望論が語られた『名残の星月夜』ですが、残念ながら練習にほとんど時間が取れず、いわゆるゲネプロ的なこともできず、いきなり本番になってしまったという経緯もあって完成度が高くなく、評判はあまり芳しくなかったようです。特に唐船の上の尼御台所と実朝の対話のシーンでは野次が飛び、やむを得ず後日セリフ量をカットしたとか。

 七百年祭の時に上演許可を出していれば、もしかしたら準備期間も取れて、もう少しいい状態で上演できたのかなと思ってしまいました。

 

**********

 以上、七百年祭の年の実朝関連の歌舞伎情報でした。七百年記念の行事や寄稿文についてまとめていた斎藤茂吉も歌舞伎関連には言及しておらず、あまり知られていないのですが、今後舞台写真などの情報が松竹のサイトなどにあがってくればいいなあと思っています。