Topaztan’s blog

映画の感想や考察をつづっています

ドラマ『ロキ』: 内面の成長を重視した物語〜いたずらの神の自己受容/他者受容と脱ファシズム

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 7/14に衝撃的な終わり方をしたMCUドラマシリーズ『ロキ』、皆さんはどうご覧になったでしょうか?

 最終話はマルチバースの扉を開く展開、唐突な終わり方とシーズン2を予告する手法など、驚きの要素が満載でした。またシリーズを通して見ると、TVA職員メビウスとの強い絆が芽生えたり、ロキの女性版変異体シルヴィが大きくクローズアップされ、彼女との恋愛感情を仄めかす関係が展開されたりしたのも、かなり予想外でした。様々な変異体ロキが現れたりと、サプライズの連続だったと言えます。ロキ自身、ドラマの最初と最後では大きく変化しました。


 しかし一部のファンからは、従来通りのロキ像を求めるあまり、「変わってしまった」ロキに失望する声も見られました。従来通りとは、裏切り、いたずらし、そして兄ソーと関わる、というようなものです。何より新キャラシルヴィにあまりにフォーカスしすぎ、肝心なロキの尺が短くなり掘り下げが足りなくなったという声も多く上がりました。


 シルヴィの件はともかく、私自身はロキの変化自体については大変説得力のある展開であったと感じました。そもそもこのドラマの始まる前から、運命を超えてロキが「変われるか」というのが焦点でしたし、主演のトム・ヒドルストンも配信前インタビューで、ソー抜きにどこまで成長できるか描きたかったと語っています。


 そもそも、従来通りのロキがいい、といっても、映画ではロキについて充分描き尽くされたと言えるでしょうか?撒かれた種は全て刈り取られていたでしょうか?


 実はそのあたりを振り返ると、映画においては、家族、とりわけ兄ソーへの感情の変化は見られるものの、それ以外のロキの心情や思想の変化については情報が乏しいことが見えてきます。とりわけ1作目『ソー』(2011)で彼を取り巻く環境や心情が描写されたのですが、それ以降はロキはサイドキックに徹して心理描写は少なめでした。彼がどんな人物でどのように成長したか描かれるには、やはりドラマを待たなくてはならなかったのです。


ドラマで描かれた成長

・『ソー』で描かれた、抑圧され話を聞いてもらえない状態からの癒しと自己肯定感の回復、自己受容

・『アベンジャーズ』で描写された、ファシスト的な考え方からの脱却

・自己受容できたからこそ他者を受容することができ、その安寧を願うことができるよう



 以下に、映画でのロキ描写とドラマでのロキ描写を比較し、どのような点が取りこぼされていたのか、それがドラマでどのように取り上げられていたのか検証していきます。



1   .ドラマまでのロキの描写


『ソー』(2011): 話をきいてもらえないロキ名誉アスガーディアンとして過度にアスガルド的価値観を内面化し、父からの承認を望む


 こちら拙ブログでも分析していますが、『ソー』においてロキは公的にも私的にもソーより低い立場に置かれ、臣下からも嘲られ、様々な抑圧を受けていました。

 それを象徴するのが、3回に渡って描かれる、発言させてもらえない/発言を遮られるシーンです。彼は基本的にまともに話を聞いてもらえない存在であるのが強調されます。彼が出自の件でオーディンを問い詰めた時も、オーディンはソーに対するようなまともにぶつかり合う態度を取らず、はぐらかすような返答をするばかりでした。 

 まともに話を聞いてもらえないということは、まともなコミュニケーションを周囲と取れないということです。ヴォルスタッグに「銀の舌」と揶揄されてるので、彼の弁舌が冴えるシーンもあったことが推測されますが、兄やその仲間内では嘲られるものでしかありませんでした。そして彼は彼らから不信の目で見られ、私は兄を誰よりも愛してると言ったその後に、仲間内で「ロキはずっとソーに嫉妬していた」と言われたり、ソー追放やヨトゥン侵入の裏にロキがいるのではと疑われたり、全く信用されない人物です。

 そうこうするうちにアスガルドでは殺すべき化け物とされており、兄もそう思って疑わない異民族出身であることが判明したために、それとこれまでの抑圧やソーとの扱いの差が結びついて、ロキは爆発しました。

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 しかしその爆発の仕方は独特でした。

 抑圧の一方で、言葉上では愛してるとか息子よなどの言葉を受けたり、幼い頃に受けた平等な扱いの記憶などもあるせいか、オーディンアスガルドを完全に憎んだり殺したりする方向にはいきませんでした。彼はどうしたかというと、ソーに刺客をさしむける一方で、父やアスガルドの世間に認められるために、ヨトゥンヘイムの王で実の父を誘き寄せて殺したのです。その企みがバレると、今度はヨトゥンヘイムのジェノサイドに出ました。改心したソーもドン引きの暴虐ぶり。これは彼が自分を抑圧する側の価値観を完全に内面化し、それを批判したりそこから離脱するという考え方をせず、彼らの考えを極端に突き詰めた行動をすることでそのコミュニティから認められようとする、「名誉〜」的な立場であると言えます。これは現実社会でも大変よく起こる話です。


 ロキは自分こそが王座を継ぐ者にふさわしいと主張しますが、それはあくまでも「ソーと対等になりたかった」、つまり父にソーと同じくらい認められたかったからに他なりません。また疎外されていたアスガルド社会で受け入れられることも含まれるでしょう。なのですぐに、「王座など欲しくない」と言うのです。

 しかし物語の最後で、父のためにしたヨトゥンヘイム壊滅の行為を否定されて、絶望の表情を浮かべて自ら宇宙区間に落ちていきます。


アベンジャーズ(2012)

支配欲を前面に出すようになったロキー父に認められる手段だった王/支配者が目的に・ファシズムへの接近


 『アベンジャーズ』でのロキは、その考え方がソーの時とやや異なるものになっていました。彼は支配することにこだわるようになっており、地球の王になろうとします。「私は王だった」「私は王だ」を連呼しまくり。王座など欲しくないんじゃないのかい。父から認めてもらうことが優先で王座は欲しくないと言ってたロキはもういません。むしろ父からの承認はやや後退し、ソーの「父上も悼んでいた」という言葉への対応を見てもわかります。

 彼はソーとの会話で、自分はソーの栄光の影にいた、と言い、その影から脱するために支配者になることが必要と考えているようです。ソーにその考えを嗜められても全く意に介しません。彼はサノスに洗脳されたという側面もあるでしょうが、彼自身元々名誉アスガーディアンとしてマッチョな強権的思想を内面化しすぎており、それがサノスの影響で先鋭化したと見るのが妥当でしょう。

 それが一番よく表れているのがシュツットガルトでの演説です。

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“Is not this simpler? Is this not your natural state? It’s the unspoken truth of humanity that you crave subjugation. The bright lure of freedom diminishes your life’s joy in a mad scramble for power. For identity. You were made to be ruled. In the end, you will always kneel.”

これはもっと単純な話ではないか?これはお前たちの本質ではないのか?服従を渇望することが、口には出されない人間性の真実なのではないか?自由という輝く誘惑が、お前たちの人生の喜びを減じ、パワーを求めて狂ったような奪い合いをさせる。自我を求めて。お前たちは支配されるために作られている。最後には必ず跪くのだ。”(拙訳)


 ロキは自由への渇望は人間を惑わすもので、人間は実は服従したがっているのだと説きます。そして暗に自分が支配することで、人々から自由を取り上げ、そのかわり自分が最良の選択をしてやると言うのです。

 前近代的な為政者が、人民は愚かなので優秀な支配層に支配されるべきだという思想を持つことは珍しいことではありません。しかしロキの演説で特徴的なのは、個人の自由意志と結びつけており、それから人間は逃れて服従したがっているとしている点です。

 これはある非常に有名な書物を想起させます。ナチスから逃れて亡命したエーリヒ・フロムが著した『自由からの逃走』(1941)です。そこではファシズムが猛威を振るった背景についての考察がなされており、まさしくロキが述べたようなことが解説されてます。近代社会は,前近代的な社会の絆から個人を解放して一応の安定を与えましたが、民衆は個人的自我の実現という積極的な意味においての自由は獲得できず、孤独感や無力感を感じる状態に置かれました。そのような中で社会的経済的に危機的な状況になると、民衆はせっかく得た自由を放棄し、自発的に外部の権威に服従し一体化することに喜びを感じてしまう心理状態が働くというのです。権威に盲従し自分と権威を一体化する心理は、近年も大変よく見られますね。


ロキの演説がフロムを参考にしているか定かではありませんが、そのような心理が極めてファシズムにとって都合がいいのは明らかで、ロキはファシストのような思想を持っていると描写されているのです。

 立ち上がってロキを非難した老人はThere are always men like you.お前のような奴はこれまでもいつだっていた、と言い、地球の独裁者と同じだと言います。そしてここがドイツであることを考えれば、当然ヒトラーが想起されるでしょう。こちらのマーベル・シネマティック・データベースでも、この老人がヒトラーを仄めかしていると述べてきます(https://marvelcinematicdatabase.fandom.com/wiki/Adolf_Hitler)そしてそこに、キャプテンアメリカが降り立って戦うのも偶然ではありません。彼はナチスと第二次大戦で戦ったヒーローでもあり、彼は前回ドイツに来た時も支配したがる奴とであったが、合わなかったと言っています。

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 ドイツのファシズムであるナチスドイツの考え方と同じだと非難されたロキですが、しかしロキはアベンジャーズ最後で物理的に打ち負かされるも上記の思想を手放した形跡はありません。

 

 ドラマではテッセラクトで逃げ出したロキは、実はそういう危険思想の持ち主だったわけです。


 また彼は、『ソー』で黙らされていた反動のように、たくさん喋ります。しかしその多くは、一方的な演説やそれに類するものです。会話はあっても相手を尊重し合った会話は少なく、ロキはヴィランとして非難される立場にあって、彼はそれに対抗する様に自身の優位性を闇雲に主張するばかりです。通常のコミュニケーションを通じた人間関係の構築ができた形跡がありません。

 兄ソーも、ロキの持ち出した出自の話題にはそんなことは関係ないとばかりスルーし、家族として一緒に過ごしただろうという態度で帰郷を促すのみです。自分を殺しかけた弟に対しても態度と考えると確かにとても寛容で、兄としての愛があると言えますが、ロキの心情を聞き出そうとしたり思いやったりはしません。ソーはロキに対して「自分の弟」という属性以外、あまり気にかけないようで、それは他作品でも最後まで続く態度です。



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 ここでドラマへと分岐するわけですが、以下に簡単にこれ以降の映画ロキの描写を振り返ってみましょう。


『ソーダークワールド』

母の優しさを感じ取りソーとの関係をやや修復するが、政治思想は変化せずついに王座を得る


 こちらでも、彼は王座につく望みを捨てておらず、最終的にオーディンに化けて王になります。

 この映画内ではファシズム的思考とロキの関係はあまり描かれず、主に家族との関係にフォーカスされています。とはいえ映画の最初の方でのオーディンとのやりとりでは、地球侵略はオーディンに倣ったと言っており、反省するそぶりがないので、おそらく政治思想面ではファシズム的思考は手放していないようです。


 コミュニケーションの点では、彼はソーやウォリアーズたちに軽口を叩くものの、裏切ったら殺すと言われるばかりで、やはり対等に尊重し合う関係は築けていません。

 ソーと共闘する過程で会話をし、その中でお前を信じられたらとソーに言われ、私の怒り(母を殺された怒り)を信じろと返しています。ソーはこの段階ではロキを信じきれず、母を殺されたという共通体験を通してつながります。


 ソーは自己犠牲を払ってソーを守ったロキを見直し、涙ながらに父上にこのことを伝えようと褒めるのですが、それはロキの英雄的な行為をほめたわけで、ロキの特性を受け入れたわけではありません。

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 また最後の方でソーがロキの方が王がなんたるかをわかっていたとオーディンに伝えるのですが、かなり唐突で、何を根拠にそう言っているのかよくわかりません。王とは何かという会話をしていないためです。ファシスト的思考から特に脱してないロキを王としてふさわしいというのはなかなか危険だと思うのですが。それとも自分の身を投げ出して誰かを救うロキの行為を指したのでしょうか。いずれにせよ、かなり希望的観測の入った考えであって、ロキの特質を理解した発言とは言えないのではないでしょうか。


『ソーラグナロク(2017)

 ぬるい独裁者としてのロキ・情報の隠蔽や歴史修正のためのプロパガンダ芸術を通した民衆の意識操作 自分を理解できないが家族として愛する兄との和解


 ここでは、彼はオーディンに化けて王になっていますが、自分の姿を表すこともなく、またファシスト的な恐ろしい独裁者としてに為政者にもなっていません。民衆とのんびり自作の演劇を楽しんでおり、アスガルドダークエルフ襲来の復興以外は興味なさそうです。

 ではファシスト的思考と完全に離れられたかというと、そうでもありません。むしろラグナロクでは、民衆に事実と異なった情報を含んだ演劇(ソーがロキを褒め称えたり、オーディンが損得感情抜きにヨトゥンの自分を拾ったなどの都合のいいウソを交えた演劇)を上演することで、自身の立場の向上を図るという、かなりファシズムと親和性の高い行為をしていました。情報の隠蔽と為政者に都合のいいストーリーのプロパガンダを通じて、民衆の意識を操作するというのは、ファシストがよく取るやり方です。ナチの例で言いますと、アーリア人優位の思想宣伝のために各種芸術を活用しました。またラグナロクでは、真実を描いた天井画の上に嘘の情報を描いた天井画を作らせたオーディンの行状が暴かれ、そのような為政者の歴史修正については厳しい眼差しが注がれています。

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 コミュニケーション面では、彼は兄ソーと様々な会話をし、『ソー』の時と比べれば、だいぶ対等に話せている感じで、普通の兄弟のような振る舞いをすることもあります。その意味で、これまでの作品とは随分趣きが違います。

 もっともソーは全体に兄として目下の弟に命令的な態度が多く、完全に対等とは言えない感じです。ロキ自身も、ソーからの腹を割って話そうという誘いを拒否するなど、心を開き切ってはいません。ロキはソーのいないサカール社交会で如才無い話術を発揮しており『ソー』1作目で言及された「銀の舌」とはこういうことかと思わせられます。ですがひとたび兄が現れて呼ばれると、その輪を抜けて吸い寄せられるように兄の元に行ってしまい、兄に逆らえない弟感が出ています。

 エレベーター内でソーは「お前のことをずっと考えていた」と語っていますが(日本語訳ではお前を大事に思っていたになっています)、その考え抜いた結果、結局はロキを自分と異質なものとみなし、カオスで野蛮なこの星がお似合いだとやや軽蔑的に語った上で、お前はお前、俺は俺だと言います。これが三部作でソーがロキについて得た知見の最終形態でしょう。そこで突き放されたロキは、しかし最終的にアスガルドに、兄の元に戻るのです。上記の裏切りも、サカールから脱しようとする兄を引き止めるものであり、兄の側にいたいという欲求が強いことがわかります。

 ソーはダークワールドでのロキのいさおしを認めたように、ラグナロクでのロキのいさおしを認めて「悪いやつじゃないかも」と言います。そして地球でのロキの扱いについては、あまり深く彼の罪を考える様子もなく、彼の思想を確認することもなく、何とかなると言います。上記の知見に加えて、「いいこともするので悪い奴じゃない」という認識が加わり、ざっくりと楽観的になったと思われます。良くも悪くも、ソーはロキに対しては大雑把な対応です。

 「理解」「本質の受容」がなくても、兄弟の絆は強いのだというのが映画のメッセージとして伝わってきます。

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まとめ


 映画では家族に対する想いや、兄が王位に就くことを納得する描写があり、その点では心情の変化が現れてると言えます。しかしファシスト的発想から逃れられたのか、また地球で犯した罪についてどう思っているのかについては、映画では一言も触れられていないのです。彼の危険思想や罪への向かい合い方は放置されたままです。

 また、オーディンからの「愛してるぞ息子たち」発言や、牢獄でのフリッガの優しさ、ソーとの共闘などを通して、家族からの「愛」は確認できましたが、『ソー』で描かれたような抑圧的な環境でまともに話を聞いてもらえないという状況から端を発した、他人と敬意を持った、真摯なコミュニケーションを行うことをしたことがなというのも克服されていません。パーティーなどで如才無さを発揮したりできても、刹那的なものです。

 考えてみると、様々な交友関係や恋愛関係を持ったソーに比べて、ロキは家族以外とほとんど深い関係を持ちませんでした。またいたずらの神と言われていますが、彼からもその本質を誰も認めたり共感したりはしてもらってませんでした。

 彼は『インフィニティ・ウォー』で、死を覚悟した最後の名乗りをしますが、そこではI“, Loki, prince of Asgard... Odinson... the rightful king of the Jotunheim... god of mischief.”とあり、彼の中での優先順位がよくわかります。アスガルドの王子であること、オーディンの息子であることなどが、いたずらの神であること(自分の本質)よりも先に置かれているのです。



.ドラマ『ロキ』でのロキの成長〜自己受容と思想の変化


話を聞いてもらえる・尊重してもらえる関係の構築初めて「家族だから」という理由でなく、彼自身の特性を受け入れてもらえ、好きになってもらえる関係に


 さてドラマで、ロキは、そのような今までの映画にはなかったような大きな出会いを果たしました。捜査官メビウスです。彼との関係性は、本ドラマでもっともよく練られたもので、綿密に張り巡らせたセリフ同士の関係性により、非常に立体的に描き出されています。彼との出会いと絆が、今まで全く描かれることのなかった、家族外の他人との真摯な敬愛を含んだ関係の樹立なのです。

 

 メビウスはおそらくMCUで初めて、「いたずら好き」なロキの特性を好意的に認めた人物です。考えてみると彼は家族からもコミュニティからも、その神性を全く褒められていませんでした。

 メビウスはまず、ロキのファンだと言います。彼のファンが出るなんて、今まで予想できたでしょうか?メビウスはロキのBD.クーパーに化けたいたずらをとても褒めてやりますし、ロキが自分を「いたずらっ子だ」mischievous scampと表現したのを受けて、自分が大事なコントローラーを擦り取られた時も、mischievous scamp.いたずらっ子め、とつぶやくのみです。

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 ロキが「私が賢い」というと、うん、知ってる、と返します。その時の表情はどこか痛ましげで、ロキが今までそういう対応をされてこなかったのを知っているようです。

 初めロキは、そのようにやけに自分を持ち上げるメビウスに不信感をあらわにします。彼が褒められ慣れていないのが如実にわかってつらいシーンです。君はこんなに多才なのに、なぜ支配にこだわるんだと言われた時は、思わず微かに口元を綻ばせ、ますます胸が痛みます。

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 しかし彼は、ロキの罪に対しても容赦はしません。こんなことはいたずらでは済まない、とNYの襲撃やシュツットガルトでの目玉抉りなどを次々と示します。彼が人を傷つけることを楽しんでいたのか、執拗に尋ねるのです。彼は答えをしぶるロキから、最終的に、それらは仕方なく行っていたことであることを引き出します。彼は良いことでも悪いことでも、真正面からロキにぶつかって、彼の本音を引き出します。

 これらは、TVAを悩ますロキの変異体のことを知りたいという動機から出発していますが、メビウスの態度はそれにとどまるものではなく、どこか優しく、共感的で、ロキの殻を少しずつ破っていくのです。

 そもそもロキの内面をちゃんと知ろうという態度が、MCU内で初めてのことです。ソーをはじめとする家族は、ロキについてはもう充分知っているという態度で、詳しく知ろうとしませんでした。これは家族というものが一般的に持つ欠点とも言えます。家族については、大切だし愛してはいるけども、わかったつもりになって決めつけてしまい、内面の変化について知ろうとしない、受け付けないというのはよくある話です。

 メビウスは、私のことを知りもしないでというロキに、これから学びたいと返します。ロキの記録は全部持っているにもかかわらず、こう返せる態度こそが、ロキとの信頼を築けた基礎にあるのでしょう。

 

 そしてロキも、メビウスに少しづつ心を開いて行きます。話を聞いてもらう、受け入れられる、何かタスクを任せられる、褒められる、信頼を少しづつ獲得するという過程を通して、表情がどんどん明るく楽しげになっていき、虚勢ではない自己肯定感が高まっているのがわかります。食堂などで向かい合って話すシーンが多いですが、そこでメビウスジェットスキー好きなど表の顔以外を知ったり、それについての温かな返事をしたりと、細やかな心の交流も描かれます。メビウス自身、レンスレイヤーにロキと性質が似ていると指摘されており、ある意味似たもの同士であって、そこがお互いに惹かれる理由のひとつではないかと推測されます。


 そのメビウスも、最初からロキを信じ切っていたわけでなく、絆は一直線に育まれたわけではありません。まだ最初の方はお互い利用し合おうといしたり腹の探り合いをする傾向がありました。シルヴィを追って消えたロキが戻ってきて、彼女と特殊な絆を結んだ様子を知ると、嫉妬したような感情の爆発を見せましたし、彼も完璧な人間ではありません。そもそも彼は、ロキを子供のように扱う面がありましたが、ロキからそれを横柄な物言いだと指摘されたりします。しかしロキにTVAの実態を教えられ、自ら感じていた違和感と照らし合わせてそれが真実だと分かった時、ロキの元に真っ直ぐ行って、自分の間違いを率直に認めて協力してTVAを倒そうというのです。

 

   またその時ロキの口から、友の言葉を信じるのはどうだという言葉が出ます。メビウスはその前からロキを悪友とよんでいましたが、ここはロキが自らメビウスと自分の間柄を友と初めて認めた瞬間であり、お互いに対等な友人同士になった非常にエモーショナルなシーンです。それだけに、その直後のメビウス剪定シーンは痛ましく、メビウスがロキに「自分に嘘をついている」と言われた返歌のように、自分の気持ちに嘘をつかない言葉をレンスレイヤーたちに命をかけて述べるのには、二人の友情の結実が見て取れて、こちらも大変心動かされるシーンであります。

 

 そのようなメビウスとの絆の深まりは、彼との関係だけでなく、周囲の反応でも描写されています。

 はじめレンスレイヤーは「あの変異体」「あの男」「あのロキ」という表現をしていますが、物語が進むにつれ、メビウスがあまりにロキを信頼しているのを見せつけられるためか、「あなたのロキ」というように(4)TVA職員も「あなたの一番のお気に入りのロキ」と表現(3)。ハンターB-15も、「あなたのペット(お気に入りという意味もある)の変異体」と嫌味っぽく言います。

 明らかに、TVA内でもメビウスがロキを偏愛してると受け止めてるのです。

 メビウスはそういう表現をされても嫌な顔せず、「あなたのロキを調査、あなたのロキを調査って、マントラみたいだね〜」と冗談混じりに返します。彼自身、ロキへの好意が周囲に揶揄されるくらい高まっているのを自覚しているらしいことが伺えます。


 そして5話でついに、彼らはハグをします。1話で自己紹介する時にメビウスが手を差し出した際は、不信感もあらわにその手を取りもしなかったロキでしたが、次に手を差し出された時は、躊躇いがちにその手を取り(首輪のコントローラーをすり取るためでしたが)、そして最後には、手を取るのでなく自らハグしにいくのです。そして「ありがとう、友よ」と囁きます。

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「差し出された手」は、まさしくロキに向かって差し出された好意や助けの比喩に他なりません。それを全く受け入れない状態から、自分で利用するためとはいえ受け入れ、ついには自分から好意と感謝を示すようになれたという、ロキの成長を視覚的にも表していると言えます。この時の、差し出された手を見てからハグしようと決意するまでのロキの照れた表情も、大変繊細で素晴らしいものでした。

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 このハグシーンは、ドラマを通じてのロキとメビウスの関係の集大成と言えるものでありました。それはその時メビウスがロキの耳元で囁き返すYou’re my favorite.君は僕の一番のお気に入りだ にも表れています。先に周囲がしきりにメビウスがロキを偏愛していることを揶揄する表現をしていると書きましたが、そこで使われるfavoriteという表現を踏まえて、ロキへの気持ちを具体的に伝えたのです。ちなみにこのfavoriteという表現はレンスレイヤーがメビウスに対してよく使っている表現で、メビウスをお気に入りで友人だと連呼しています。しかしTVAの理念に反するとわかれば容赦なく剪定してしまうのであり、ロキとの友情との対比をなしています。


 しかしそのような彼らですが、6話で衝撃的な展開になります。シルヴィに裏切られてタイムパッドでTVAに放り出されたロキですが、思い立ってメビウスを探しにいきます。ところがそこは既に別バースのタイムラインになってしまっており、そこのメビウスはロキを知らないのです。

 きつくハグして、また会おう、と言ってくれたメビウスが、君は誰だと言って全く認識してくれないのは大変衝撃で、ロキの愕然とした顔がつらい。しかし彼がメビウスと培った経験を活かして、また友達同士になってくれることを期待したいです。

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 ロキがメビウスに初めてかけた言葉がWho are you?で、最後にメビウスからかけられた言葉もWho are you?です。悲しい符号…


自由意思を否定し権威による統率の最終形態である「ファシストTVAとの戦い〜これまでのロキのファシスト的思考からの決別〜


 そのようにじっくりと描かれた、今までの映画にはないメビウスとロキの関係ですが、もうひとつ描かれたものがあります。ファシストTVAとの対決と、それを通した自らのファシスト的思考からの脱却です。

 ドラマ第1話では、アベンジャーズに引き続き、王になることに拘るロキが描かれます。自分は王になるべく生まれた、支配者になるのだと言い募ります。そしてシュツットガルトの演説シーンも引用されますが、それを肯定しており、再び人々の自由意志を否定します。その辺りの政治思想はアベンジャーズを正確に引き継いでいます。メビウスはあえてその思想自体を非難せず、自由からの解放の名の元に人を殺傷することを非難します。ロキはひとまず、人を傷つけること自体は悪いことと反省したようで、自分はヴィランだと言います。

 しかし話すが進むにつれ、「自由意志の剥奪」という考え自体を否定する方向になります。それはTVAのあり方と大きく関わってきます。


 TVAという組織は、視聴者にとって当初大変権威のある「正しい」組織に見えました。ロキがヴィランなだけに、彼の逮捕や断罪は一見正当なものに見えたからです。

 しかしよく考えてみると色々おかしな組織です。まず、逮捕の罪状の理由が提示されていません。アベンジャーズの時間旅行が正しくてロキの逃亡が正しくない理由は、TVA以外誰にもその基準がわからない「神聖時間軸」に外れたからなのです。倫理的にどうこうすら関係ないようです。しかも裁判には弁護士もつきません。にもかかわらず即決裁判で断罪されて刑が執行されそうになる様子は、かなりの恐怖政治ぶりです。

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 TVAの美術の様子は、旧ソ連や東欧共産圏のアヴァンギャルド芸術を彷彿とさせます。それらの社会もまたファシズムに親和性の高い社会であり、それらの社会の、人々の自由意志を奪い国家などの権威が隅々まで統制し、恐怖政治をしくという価値観は、謎の権威で自由意思による行動をことごとく刈り取り人生を奪いまくるTVAの価値観と変わるところがありません。図書館でも厳しい情報統制が敷かれ、権威を疑うようなものにはアクセスできません。そしてシルヴィは彼らを明確に「ファシスト」と呼ぶのです(第3話)。


 はじめロキは、TVAに激しく反発します。しかしそれは単に自分の人生をTVAが勝手に決めることに対してであり、自分の自由意志がないことへの反発であって、TVAのあり方そのものに対してではありません。なので当初の計画はTVAを乗っ取り、自らがタイムキーパーに成り代わるつもりであったようです。そして少なくとも自分だけは元のタイムラインに戻ることを望んでいたかもしれません。

 しかしシルヴィに出会って、人の人生を奪うTVAが明確に暴力的でひどい思想であることに気づき、壊滅させる考えに共感するようになります。ロキはメビウスに向かって、TVA職員それぞれに人生があったであろうこと、家族もあったであろうこと、にもかかわらずさらわれて洗脳され働かされていることを激しく糾弾して、TVAの暴力性を訴えるのです。

 ファシスト」TVAのあり方は、ある権威が全ての人の自由意志を剥奪して統制するというロキの当初の考え方を突き詰めていった究極の形態と言えます。自由意志などない、神聖時間軸というあらかじめ定められた運命があると。その思想自体を否定し、自分で自分の運命を切り開くことを強く意志したのが、最終話のロキであり、ようやく自らのファシスト的思考から脱することができたわけです。


 黒幕の「あり続ける者」を殺そうとするシルヴィを止めるのも、殺人や復讐で彼女自身が傷つくことやその結果起こることへの恐れであって、自らが彼に成り代わりたい訳ではありません。そこがこのドラマ当初のロキと全く違うところです。しかしシルヴィはなかなか信じず、悲劇が起きてしまいます。「私が信用に値しないから」と自ら悲しげに言うロキは、ある意味今までの裏切り続けた人生の自分からしっぺ返しを受けたようなものであり、大変痛ましいものがあります。


自己受容から他者の受容へ

 

 ロキはメビウスに受け入れられる体験を通して自分を受け入れていきますが、その体験を踏まえて、他者を受け入れるようになります。これも大きな成長です。

 ロキは今まであまり経験してこなかったであろう、「褒められる」ということを細やかにメビウスから受けますが、そのうちロキもメビウスを褒め出します。TVAへの疑問について議論するとき、お前の知性に感心すると言いますが、従来のロキからは出ない言葉です。

 そしてその後自分の変異体のシルヴィに出会います。それまで変異体の中でも優秀だと主張してきたロキですが、あたかもメビウスが自分に対してしてくれたのを真似るように、シルヴィの言うことを受け止め、彼女を褒めます。

 このシルヴィとの描写はかなり曖昧で、どうとも取れる感じです。初恋に戸惑うティーンエイジャーのようでもあり、バディのようでもあります。特にシルヴィは、ロキの思いに応える様子はあまりありません。ですがこれこそが、もしかしたら重要なのかもしれません。愛してくれる相手に愛を返すだけでなく、自分を愛してない相手にも無償の優しさを与えられるようになったということで、大きな進歩ではないでしょうか。


 制作陣はもう一人の自分であるシルヴィを通してロキが自己受容をすると表現しています。シルヴィ(や他の変異体)の能力を見て、自分にも思っていたよりも大きな可能性があることを学んだということだと思われます。ですが人とうまく関われずにいたロキにとって、そのような関わり方ができることもまた、大きな可能性が開けたと考えられるでしょう。


3.総括〜よかった点と課題点のまとめ


 以上、上記の点で、とても素晴らしい展開と描写だったドラマ『ロキ』。映画で描ききれなかった成長の姿や、様々な人との関わりで見せた多彩な表情は

 もっとも、以下の点で気になることはありました。


・派手な見せ場が少なく地味な印象

 ロキの内面の成長を描く事重点を置いた一方で、単純な「見せ場」的なものがロキにあまり用意されていなかったというのはあると思います。派手な魔法、いかにも主人公然とした華麗な戦闘、彼を中心とした事件といったものがなく、物足りなさを感じた人々が出てきました。また様々な自分の変異体からの学び、を描くことが目指されたため、他の変異体の方が相対的に優秀に見えてしまったという問題もあります。特に第3話の、星の終焉が迫り周囲が敵だらけなのに油断し切った姿は、ドラマ内で見せた賢さを考えると違和感がありました。


・活かされなかったバイセクシャル設定

 男女を愛するというセリフのあったロキに、結局女性形態のシルヴィとの恋愛を仄めかす描写をしたのは、これまで主要登場人物にクィアを登場させなかった歴史を持つMCUとしてはクィア描写を避けているという批判を受けてもやむを得ないものがありました。


・過去の掘り下げ不足〜直近の大問題のスルー

 サノスに捕まっていたことや、ヨトゥンヘイム出身であったことについては全く触れられていませんでした。そこもせめて少しは触れてほしいところでした。


・日本語訳のニュアンス不足による物語理解の妨げ

 メビウスとロキの関係は、先にも述べたように物語の重要な根幹をなすもので、細やかな言葉の積み重ねで描かれますが、日本語訳でニュアンスが伝わりきれないものもありました(:favoriteの訳など)



 これらの点は確かにありますが、シーズン2で改善されることを期待したいと思います。

『ソー』(2011)におけるロキの抑圧と疎外 ー 親のダブルバインドと異民族の出自に苦しむ子供としてのロキー

1.初めに


 ディズニー+で配信されているドラマ『ロキ』をよく味わうために、今までのソーシリーズを見返しています。今までも何回も観てきましたが、改めて見直すとまた色々発見があります。

 中でもそもそもの初めの『ソー』(邦題『マイティー・ソー』)(2011)は、全体にシンプルながら大変よく考えられた構図やアングルが用いられているのに気づきました。


 映画において構図やアングル、明暗や色彩、人物の位置関係などは、セリフに表しきれない状況、あるいはセリフとは逆の状況を巧みに描き出し、ストーリーに重要な意味合いをもたらします。構図内の位置関係や大きさが力関係を示したり、画面の色や区切り線が様々な意味をもったりします。


 そしてそのような映画の文法の視点で見ていくと、アスガルドの宮廷の人々という我々に馴染みのない世界の登場人物の力関係や心情などがわかりやすく伝えられているのがーとりわけロキの受けている抑圧や立場の低さなどが、細かやかな描写を積み重ねて浮かび上がってくるのがわかりました。


 結論からいうと、

オーディンと対等に扱われやすいソーに比べて、ロキは扱いが公的にも私的にも小さく、抑圧され疎外されている。それは少年期の扱いと対照的である。

3度にわたって親兄弟や友人の間で発言できないシーンが描かれ、最後はオーディンに威嚇されて発言を封じられる。

・しかし彼は親からは言葉上の「愛」を受け取っており、親を憎みきれずダブルバインド(二重拘束)状態に悩んでいると考えられる。


 ということがカット分析から見えてきました。

 ロキのドラマ第4話で、アスガルドの王子にもかかわらずシフからに扱いがあまりにひどいので驚いている人が結構いましたが、上記のことを踏まえるとかなり納得のいく描写です。日頃のそのような抑圧に加えて、そこにロキの出自問題が発覚したため、物語は一気に従来の関係を破壊する方向に走り出したのです。


 以上のことを、アスガルドのパートを中心に読み解いていき、ロキの悲劇の元はなんであったのか考察します。



2.映画分析


〜プロローグ部分〜


 さて映画は、地球で科学者のジェーンたちが、夜に不思議な気象現象を観測していると、何者かが落ちてきて乗っていた車にぶつかったことに気づくシーンで始まります。その何者かは後にソーとわかるのですが、アスガルドの世界と人間世界が交差したことを告げる重要なシーンです。このシーンが終わった後、オーディンの語りで神話的な物語が語られはじめます。

 アスガルド軍が、昔地球に侵略したフロストジャイアントと戦った顛末が勇壮に描かれます。フロストジャイアントの軍団にドーンと光と共に落ちてきて現れたのがオーディン率いるアスガルド軍で、瞬く間に討伐します。これもまたアスガルド世界と人間世界の交差であり、先程のシーンで落ちてきたのがアスガルドの者であることも暗示します。そこで舞台は、その物語をしていたアスガルド宮廷の武器庫に写ります。



■ 平等に扱われる兄弟、優しい父ー後の大人になった時の差を劇的に表すための伏線ー


 アスガルドの武器庫で最初に話すのはロキです。ソーとロキはかわるがわる話しており、両者は対等な立場なのが伺えます。むしろロキの方が大人びでしっかりした感じで、自信もありそうです。オーディン2人を特に区別してる様子もなく、二人のうちどちらかが王位につくと示唆しています。シンメトリック2人を左右の手でつないでいるの構図もそれを示しています。王ではありますが、普通の優しい父のようです。 

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 しかし途中でカメラは引きになり、父を追ってかけていく二人に代わって飾られているムジョルニアをクローズアップします。暗がりの中ほのかな灯りに浮かび上がるムジョルニアは、どこか不吉な雰囲気すら漂わせています。ムジョルニアを持てるかどうかが王の資格と連動し、将来兄弟を引き裂くことを暗示しているようです。

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王位継承式典 ー 公的な場での家父長制的序列とソーとロキの立場の変化ー


 次の瞬間写るのは、巨大な王宮の広間です。先ほどの宝物庫での親子の私的な空間ではなく、公の場であることが強調されます。シンメトリックな構図で、左右に群衆、前方に玉座、手前に大人のソーという配置。このシンメトリックな構図はアスガルドの威容と威信を強調するのに好んで使われます。

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 ソーから玉座まで一直線で、遠近法によって大変距離が近く見え、ソーが王座に着くのはあまりにも自明のように演出されています。

 ソーは大歓声を受けて満面の笑みで群衆の間を通ります。武器庫のシーンで映ったムジョルニアは彼の手にあり、得意げに振り回しています。軽口を叩きつつ嬉しげな女性(シフ)、厳粛な面持ちの王妃、が次々に写されていきます。

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 ここですぐにロキが出てこないのは要注意です。観客は、先程あんなに幼いソーと親密そうだったロキはどこへ行ったのか、と不思議に思わせられます。ロキはだいぶしばらく経ってから現れ、存在感が非常に薄いことが示されます。(実はちょっと映ったシフの画面の右端に太ももが映ってるのですが、普通気付きませんし誰のかわかりません)


 そしてオーディンが写ります。今までで最も大きく映しだされたオーディンは、しかし今までの人物たちと異なり、なぜか憂鬱そうな表情です。ソーが映ったあとショットが切り替わるとますます大きなアップになり、作り手がソーを見ているオーディンの表情に注意を向けていることがわかります。彼はソーに対して何か憂いを持っていることが見て取れ、それはのちのソーの王としての資格問題が浮上することを先取りしています。

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 大変巨大な王座へのきざはしの前にソーがひざまづきます。そこには秩序だって人が立っており、その位置関係には序列があることを感じさせます。

 そもそも一般的な国の王座としては少々不思議な感じです。きざはしが巨大すぎ、王妃の座がありません。これはオーディンの権力が突出して絶大で、その他の貴族はもちろん王妃や王子などの王族とも隔絶していること、王のみが一身に権力を握っているという、大変家父長制的な世界であることを示しています。

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 ちなみにこちらは19世紀の王と王妃の戴冠式の絵です。

https://en.wikipedia.org/wiki/Coronation_of_the_Danish_monarch

 アスガルドが家父長制的世界であり、女性の地位が低い(王妃すら臣下と同じエリア)というのは、後のソーがシフに語りかけるシーンに出てくる、女性だからとばかにしてきた連中を〜の下りでもわかります。彼の言葉から、女性戦士はアスガルドで珍しい存在で、侮られるというのがわかるのです。『ソーラグナロク』で出てきた女性戦士たちヴァルキリーがいたことは今作では言及されておらず、少なくともそのような伝統は絶えていたと言えます。


 ソーがウィンクします。ロキにしたのかな、と思いきや、王妃が映って、どうやら母たる王妃に向かってウインクしたことが察せられます。

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 次いでチラリと視線をどこかに向けますが、次に映るのはきざはしに立つウォリアーズスリーです。彼らはにこやかに頷いて見せます。

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 いずれもロキが出てきません。

 これらの眼差しやウィンクは、ラフで人懐っこいソーの性格を示すと同時に、彼の関心が今どこにあるのかを間接的に示しています。ソーがこの喜びの瞬間を分かち合ってるのは母や友人であり、ロキではないのです。

 観客は、ますます幼い時からのソーとロキの間柄の変化を感じざるを得ません。


  オーディンが立ち上がり、ソーに語りかけます。オーディンの息子などの儀礼的な並列の呼びかけの中で、「我が後継者」と言うところがあります。

 そこで素早くカットが切り替わり、金の兜を被った青年がミディアムクローズアップされます。彼は目を閉じて少し顔をそむけ、まるでその言葉を聞きたくないというかのようです。そう、それがロキで、大人のロキがようやく初めて、はっきり映るシーンです。

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 観客はなんとなく彼がロキだなと悟りますが、奇異な印象を受けるのは否めません。少年期はソーと随分仲良さそうだったのに、ソーの関心外なのはなぜか。またロキ自身冷たくよそよそしい雰囲気で、オーディンがソーを「後継者」と呼んだのがなぜそんなに気に入らないのか。いずれにせよ、ソーの関心にしろ、公での立場にしろ、ロキの立場は相対的に低いということ、ロキも何やら不満を持っていることが観客に強く印象づけられます。しかもこのカットでは、彼とインタラクティブな関係にない廷臣たちが背景に映っており、廷臣たちと交歓するソーと対照的です。


 また別のカットでは、斜め上からのアングルで撮られています。チラリと上目遣いで父を伺う感じです。兜に隠れてあまり顔はよく見えず、彼が色々隠し事をしていることと呼応しています。しかも下のきざはしに立っているシフは、明らかにむっつりと疑い深そうにロキを見ています。明るく屈託なく誰からも愛されてるソー、どこか周囲から孤立していて疑わしい眼差しを注がれるロキ、が対比的に描かれています。

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 先程のきざはしを水平のアングルで捉えたカットが写ります。

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 オーディンとソーの繋がり、およびオーディンを頂点とした宮廷の人々の関係が、幾何学的でシンメトリックなラインで視覚化されています。三角形を描くシンメトリーは最も安定した構図であり、金色に輝く玉座や壁面なども相まって、崇高さや永遠性を感じさせます。

 先程も映ったこの階層の図が、よりはっきりした形で映るのは重要で、観客に改めて序列を印象付けます。王妃と王子ロキはオーディンのずっと下にソーの友人たちと混じって並んでおり、ロキに至ってはホーガンより下の階層にいます。ロキが臣下たちから侮られる描写がありますが、そのような地位の低さを予感させます。

 さて、オーディンが王位継承者として認める発言をしようとすると武器庫の異変に気付き、カットが変わります。



幼い時と変化した関係性 ー オーディンと対等に議論するソーと喋れないロキー


 舞台は再び武器庫に移ります。オーディンを挟んだ兄弟のシンメトリックな構図は、以前の幼い時と変わらないように見えます。

 しかし光を背景にした前回と比べると、暗めの色調で不穏な感じです。

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 何より前回とはっきり違うのが、ソーはオーディンと対等に喋り、ロキは全く喋らないという差です。幼い時と一緒の場所、一緒の構図にしたのは、その対比をはっきりさせるためと取れます。


  ソーの存在の大きさは様々な点で強調されています。

 まずソーはオーディンのぼそぼそ声の説明に対して大声で詰問していきはばかりません。もはや父の言葉を素直にきいて喜んでいた子供ではなく、オーディンに対して対等に意見を述べる存在なのです。彼はオーディンを挟んで観客に向かって左側に立っているので左側のカットが多いですが、しゃべりながら度々中央にインしてきており、やはり中央にアップで映るオーディンと対等な印象を与えます。

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 3人一緒のカットも、次に映った時はソーにより大きな空間がさかれ、ロキは横向きでソーを見ており、シンメトリックな構図が崩れているのがわかります。

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 最後の方は左側に映るソーと右側に映るオーディンが交互に映され、二人の対立が明確になります。光を背にして立つオーディンとそうでないソーの対比は、どちらが権威あるかを明確に示しています。

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 時折それぞれの肩越しのカットも。完全にオーディンもソーもお互いのことしか眼中にないといった感じで、二人だけの世界を強調します。このような撮り方は後のソー追放のシーンでも反復されます。

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 対してロキは、二人の口論の間、終始右側に立ち、目線だけ動かして口論の様子を伺うだけで、最後まで発言しません。

 彼が右から中央にインすることもありませんし、アップの大きさも彼らほどではありません。彼の意見は全く求められず、あたかもその場にロキはいないかのような扱いです。彼は父や兄の動向に関心がありながらも、兄のようには扱われず口出しできない状況であるのが如実に表されており、王位継承式典での影の薄さは、立場の弱さは王家の私的な空間でもそうであることがわかるのです。そしておそらくは彼の不満な様子も、このような兄との扱いの差に起因してるのではないかと観客に推測させます。

 この「発言させてもらえないロキ」というモチーフは、この後繰り返し描かれ、彼がアスガルド宮廷でいかに軽んじられているかを描き出しています。

 少年時代の、平等に扱われ屈託なく積極的なロキとはもはや全く変わってしまったのです。

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参考

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初めて発言するロキ ーただしそそのかす弟として


 武器庫から帰って、色々憤懣やる方ないソーがテーブルをひっくり返すカットでこのシーンは始まります。

 怒りながら階段に腰を下ろしたソーの背後からロキが現れ、スッと寄り添って兄を肯定します。これが映画で初めてロキが話すシーンになります。また初めて中央にしっかり映り、フォーカスされているシーンでもあります。

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 兄上が正しい、と言ってますが、どうも兄をそそのかして暴走させようとしてるようです。大人ロキになって初めて述べる言葉が、自分の正直な意見ではなく、兄をおだてて誤った方向に行かせる言葉というのは、ロキの性質にふさわしい描写です。ソーは自分をおだてる言葉にはすんなり乗ってしまい、自分が正しいと思い込んで友人達を巻き込んだヨトゥンヘイムへ向かうことにします。


 このシーンではロキはソーと一緒に並び、喋るので、一見幼い時の対等さを回復したかに見えます。しかしロキの制止を振り切ってどんどん物事を進める様子は、やはり力関係がソーの方が強いことが察せられます。


 ちなみにこの背後の柱の影から現れるカットは、はじめ足だけしか映らず、大変胡散臭く見えます。また階段が斜めに見えるアングルも多く、不安定で不安な印象を与えます。

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ヨトゥンヘイムへー再び喋らせてもらえないロキー


 ソーの提案で皆でヨトゥンヘイムへ行こうとしますが、門番ヘイムダルに遮られます。

 ここは私が、とちょっと得意げに進み出るロキ。しかし彼は中央付近に立っているにもかかわらず、一番手前に立っている大きなヘイムダルと、ロキの背後に立っている大きめに映る兄ソーの間に挟まれて、2人よりも頼りなく見えます。

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 しかしヘイムダルはロキに取り合わないばかりか、後で「裏切り者がいる」というニュアンスのことを言う時にちらりと視線を動かしてロキを見てるようであり、ロキをヘイムダルが疑っている様子がわかります。

 

 もういい、とソーが引き取ってヘイムダルに話をつけけます。ヘイムダルとソーが画面を大きく占め、ロキは小さく背景に。その顔は驚いたり怒ったり恥ずかしかったりということはなく、またかというような諦念とむっつりした表情が浮かんでます。

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 ロキを除く皆がズンズン進んでいきます。しかもヴォルスタッグは「銀の舌はどうした」と蔑みの言葉をすれ違いざま投げかけていくのです。そしてみんな笑うのです。


 ここからいくつかのことが読み取れます。

 まず構図的に、取り残されたロキの孤独感が伝わってきます。

 そしてそのような蔑みを臣下から投げられても、ソーを含め誰も疑問に思わない状況であり、日常的にこのような扱いを受けてたのではと想像されるわけです。そして実際、ソー追放後の会話で、友人たちがロキを快く思っていなかったことが話されます。

 これまで王家や公の場でのロキの立場の小ささが描かれてきましたが、兄の友人という仲間内でもそうであることが描写されたわけです。


 銀の舌と言われるからには、多少は彼の弁舌が冴えるシーンもあったのでしょう。彼は話すことは得意だとは思われていたようです。しかし結局は本当に認めてはもらっていなかったこと、ソーの態度からして何か重要な交渉ごとには不適格と思われていたらしいことがわかるのです。

 いそいそと名乗り出た得意分野でも認められず発言も遮られるロキのつらさが伝わってきます。


ソー追放 ー三たび喋らせてもらえないロキー

 

 ヨトゥンヘイムで危機になった時、ソー一行はオーディン助けられて一旦アスガルドに戻りますが、このビフレストの門番の部屋で、ソーとオーディンが激しく言い争います。以前の武器庫の言い争いの再来です。


 ここでもまた、ソーとオーディンの対等な論争とロキの疎外の様子が構図上でもはっきり表されます。しかもなんと、オーディンに対して映画内で大人になって初めて口をきこうとした途端、言葉にならない大声で怒鳴りつけられて、黙らされてしまうのです。ちなみに「怒鳴る」という行為の暴力性は日本ではなかなか実感されませんが(どなる男性多いですよね)、欧米では相当に失礼で野蛮な行為です。

 この社会ではロキに対しお前は黙っていろという圧が強いことが、三回の「発言しない、できないロキ」のシーンによって非常に明確にされ、ロキの感じている疎外感や抑圧感を充分に描き出しているのです。

 ちなみにヨトゥンヘイムでも、危機的状況になった時ロキが撤退を進言してもソーはKnow your place、身の程をわきまえろと言って切り捨てます。ソーも、自分をおだてるような言葉なら受け入れても、意に沿わないことを言えばそのように見下した言葉でロキを黙らせます。オーディンもソーも、ロキの発言などまるで尊重していないのです。

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 細かく見ていきましょう。このような左右対象のミディアムアップの構図でソーとオーディンの対等な、緊張した対話が交わされます。

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 時折黙って下に目線をやっているロキが挟まれます。

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 激しくなる口論に、ロキも思い切って発言しかけます。上からのアングルで、ロキが見上げていることを強調し、上下関係を印象づけます。

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 ですがグアー!!というオーディンの一喝で黙らされます。オーディンは今まで右側に映っていましたが、この一瞬だけ左側に映ります。単にソーとロキから見た位置の違いというより、オーディンがソーとロキで対応を変えていることを視覚的に表したものと捉えることができるでしょう。

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 一喝を受けたこの表情。驚きはなく、またかという感じです。ビフレストで黙らされた時の表情と同じです。ちなみに右側の太陽のようなモチーフは、常に太陽のように輝く父や兄の影にいたロキをイメージさせるようです。

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 そして何事もなかったかのように続けられるソーとオーディンの対話。

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 この辺りからミディアムアップでなく交互に顔同士がどアップに。ソーとオーディンが真剣に思い切りぶつかり合うさまが構図でわかります。

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 そして相変わらず蚊帳の外のロキ。この後ソーが地球に吹っ飛ばされます。

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■ 再び武器庫へ ー出自の認識とこれまでの立場の低さがつながり、一本の線にー

 

 ロキは1人武器庫へ。ヨトゥンヘイムの遠征の時に、ヨトゥンに腕を掴まれて大丈夫だった上に、肌の色がヨトゥンと同じになるのに気づいたためです。


 このシーンは大変重要であり、本作のターニングポイントになります。

 冬の小箱を前にしたロキが中央に単独でミディアムアップ。このシーンでは、これまでと違いロキは単独で中央や中央付近にいることが多く、ロキの物語であることが構図的に印象づけられます。

 またこのカットでは武器庫の斜めに傾いた壁の線が、ロキを押し潰さんばかりにぐいぐい迫っていて、ロキの心情を示しています。

 同じ視点からの以前の武器庫のカットと比べると一目瞭然です。

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 小箱を持ち上げたロキにオーディンが、やめよと大きな声をかけ、カメラが移動します。

 背景に映る小さな登場人物は不道徳であることも多いという映画的文法がありますが(:『映画分析入門』マイケル・ライアン メリッサ・レノス著、フィルムアート社、55ページ)後の展開を考えると今回はこれに該当しそうです。

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  光の窓を背景にこちらに背を向けたまま、私は呪われているのですか、と問うロキ。いや、と言われるも畳み掛けて、私は何なのですかと問うのに対して「そなたは私の息子だ」と応じるオーディン。この時のカットの右側はまだほのかに金色の扉が映っていて、まだ王の権威や正しさがうっすらあるのが感じられますが、左側はすでに暗い闇に沈んでいます。

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 振り返ったロキは半分青く、ヨトゥンの姿に。

 このやりとりでは、今までオーディンが担っていた、武器庫の光の窓を背景に中央に立つという構図を、今度はロキが担っています。そしてこれ以降オーディンは一貫して、暗い背景の中、不自然なほど右側に寄って顔だけ出している構図になっています。これは攻守逆転というか、力関係が逆転し、ロキが権威ある側に立ち、オーディンがそうでない立場に立つことを暗示してると共に、オーディン側に何か明るみに出したくない隠し事があるような雰囲気を与えています。

 またこのカットは、この壁面から現れるデストロイヤーもイメージさせ、のちにロキがデストロイヤーを派遣することと繋がります。

  戦場で持ち帰ったのは冬の小箱だけではないでしょうと詰められるオーディンもはや金色の扉も背負わず、ぽっかりした暗い空間の右端に。

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 一旦カメラはオーディンとロキを引きで撮りますが、ここでもオーディンはもはや金色の扉を背負っておらず、奇妙な紋様が描かれた暗い壁がうっそりと右半分を覆い、圧迫感が。

 また階段によって、二人はまだ力関係があることが示されます。しかし式典の時ほどの隔絶感はありません。

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 私を拾ったのには目的purposeがあるでしょう、それは何ですかと問うロキ。(この「オーディンに目的がある」は後にフリッガも繰り返します)

 感情がどんどん昂っていき、Tell me!と叫ぶロキ。しかしオーディンの位置は変わらず、テンションも変わらずです。ソーとオーディンのビフレストの門番小屋での口論で、ソーのヒートアップに対してオーディンもヒートアップしていったさまが、二人の構図の変化で現れていった様子と全く違います。

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オーディンは落ち着き払って、2つの国をお前を通じて統合し平和を築くためだという曖昧な答えを返します。何回聴いても、具体的にどうしたいのかよくわからないセリフです。しかも今ではそれもどうでもいいという。

 それに怒ったロキが、つまり私は、いつかなにかにするためのもう一つのrelic(骨董品、遺物)で、盗まれて保管されていたんだなと。自分が冬の小箱みたいなものだと言っています。確かにオーディンの言葉からはそう受け取れます。

 しかしオーディンは私の言葉を捻じ曲げて受け取ってるといいます。お前は私の息子だ、お前を真実から守るためだったと言うのです。真実!両親が夜子供に語って聞かせるモンスターであるヨトゥンだという真実からかと叫びます。そしてオーディンがなぜソーをひいきしてるかわかったと。そしていくら愛してると主張しようとも、フロストジャイアントを王位につけるつもりはないのだと。


 ロキがモンスターと言い出したあたりから、オーディンは顔を背けて階段に座り込みます。明らかにこの画面からも話題からも逃げたい感じです。

 しかしロキは追求をやめず、階段を登っていきオーディンに対してのしかかるような位置に。

その時ロキもまた闇の中に浮かび上がる形になり、彼も何かダークなものに飲み込まれたことが感じられます。

 ちなみに両親が〜というのは、他ならぬこの武器庫で、ヨトゥンを倒した武勇伝をソーとロキに語って聞かせたオーディンとも重なります。あの仲睦まじく見えた時代から悲劇の種が撒かれていたわけです。

しかしここで思いがけないアクシデントが発生。オーディンがそのまま眠りに入ってしまいます。

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 ロキのアップ。ここまでアップになったことは初めてです。彼はオーディンを追い詰めたことでオーディンに負担をかけたと思ったのか、おろおろして涙ぐみます。瞳にたまった涙がはっきり見えます。

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 ロキの心痛の表情。彼はオーディンの様子に心底心痛めてるのがわかります。先程よりも闇は薄らいでいます。

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 それにしても、このシーンではオーディンはかなり「my son」を連呼しており、言葉上は息子としてロキを愛してるというメッセージを送っています。しかしその一方で、上記に述べたように、オーディンの説明は不誠実ですし、全体に色々はぐらかしているようで、何よりこの面倒な話から逃げたいというニュアンスが伝わってきます。ロキはオーディンから愛してると言われ続けていたようですが、ソーに対するように真正面からロキにぶつかっておらず、構図的にも真正面のカットはありません。またこれらのことに加えて、今までの発言を封じたり、いないかのような扱いを見ると、とてもロキをソーと平等に「愛してる」とは見えません。

 このように、言葉と態度で矛盾するメッセージを受け取る子供は、ダブルバインド(二重拘束)状態になり、大変不安定な状況に置かれます。どちらを信じて振る舞っても「正しい」状態になりません。実際ロキは自分も発言できると信じてオーディンに何か言いかけましたが、黙らされました。そういう状態の人は周囲に不信感を抱き、うまく人間関係を築くことが難しくなります。ロキが兄の友人メンバーから蔑まれ嫌われているのも、彼自身の性質が合わないというのに加え、のそのような生育環境も関係しているかもしれないと思わせます。ロキは幼少時に平等に扱われた思い出(それこそ平等に王位継承権があると言われた)と現在の境遇に引き裂かれているかもしれません。そして倒れたオーディンを気遣って涙するように、根は家族を愛してしまっているのでしょう…自分が愛されてるかどうかは甚だ不確かながら。



オーディンスリープ ーフリッガの優しさとその限界


 寝室の舟形のベッドで眠るオーディンを挟んだ母子の会話シーンです。

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 このシンメトリックで水平な構図、金色に輝く豪奢な寝台やそれを取り巻く光は玉座を彷彿とさせます。しかしオーディンがそのような玉座のような空間にいるのに対し、フリッガとロキは闇に沈んでいて、寝台にはばまれてお互い遠くにいます。2人がオーディンを介してる存在であること、同時にオーディンによって引き離されてもいる存在であること、お互いの気持ちが実は離れてることを示唆しています。フリッガはロキを思いやる気持ちはありますが、彼の心情は実は理解しきっておらず、基本的にはオーディンの立場です。王位継承式典の序列でも描かれたように、そもそも彼女はオーディンよりもはるかに権威のない存在であり、彼女がどう思おうと、オーディンの決定のは逆らえません。そしてロキもまた内心を吐露していないというよそよそしい関係が構図的に表されているのです。


 二人ははじめオーディンの状態について話し合っていますが、ロキがなぜオーディンが嘘をついていたのか尋ね、先程のオーディンスリープで中断された問題が再び俎上に。

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 フリッガは、先程のオーディンのセリフと同じく、真実からあなたを守るためだったと言います。このセリフのカットでは眠るオーディンがフリッガより前に大きく映っており、それはオーディンの意向であることを暗示します。フリッガは背景におり、彼女はオーディン側にいて彼の意見を代弁しているといえます。

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  ロキが写ってるカットでフリッガは「あなたは私たちの息子、私たちは家族です」という言葉だけ聞こえます。実はこの言葉のカットにはフリッガもオーディンも入ってないことに注意が必要です。

 ロキはまばたきして目を落とすばかり。彼は言葉を受けて少し動揺するも、額面通り受け取ってないようです。


 次いで2回にわたってフリッガがアップになり、私たちは父上が戻る望みを捨ててはなりません、ソーが戻る望みも、と続けます。そこにはオーディンはもはや写っておらず、彼女自身の意思を語っていることがわかります。

 彼女は身を乗り出して、先程よりも熱心に話してるようです。彼女にとって、ロキの出自問題よりも、オーディンが眠りから覚めるかどうか、ソーが帰ってくるかどうかが重要な関心事であることを示唆します。そしてロキにとっても当然そうだろうというニュアンスが「we」という主語で表されています。

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 フリッガは確かにオーディンやソーに比べればロキに優しいのですが、彼のショックの大きさは理解しておらず、おそらく以前オーディンと打ち合わせた内容を繰り返すばかりで、彼女のサポートにも限界があることがわかります。

 また彼女は、オーディンのすることのは必ず目的purpose があると言い、それがソーの帰還につながるというのですが、ロキを拾ったpurposeは宙ぶらりんです。それもまた兄弟の非対称性を感じさせます。


王代理としてのロキ ー不安定で支持されない権力者ー

 

 ウォリアーズスリーとシフが、王代理として王座に君臨するロキと対面するシーンです。

 初めウォリアーズたちが映り、ついで玉座が写りますが、オーディンがいると思った王座にロキがおり驚きます。

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 オーディンがいた時と異なり、全体の色調は暗く、よく見ると構図もシンメトリーではありません。そして衛兵が物々しく立っています。

 注意すべきは、玉座にいたのがロキだと発覚した以降、王座の前に立つロキとウォリアーズたちを写すカットがたびたび挟まれるのですが、常にアングルが斜めに傾いている点です。しかも中央に直立するロキを配することで角度が非常に強調されています。今まで王座を撮る際は水平であったのに比べ、大変異様な雰囲気です。

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 このアングルのカットは明らかにオーディン在位時との対比を強調するもので、オーディンの時の水平のアングルが安定や永遠性、正しさ、崇高さを感じさせたのに対し、ロキを中心に大きく斜めになったアングルは不安定、不正、胡乱さを感じさせます。

 (ちなみに他でもよく斜めのアングルが使われますが、そこではむしろ写っている人物たちの驚きや不安感、あるいは躍動感を演出するものになっています。そういう時はカメラも動的です)


 ウォリアーズたちはロキが王座にいることに不信感や嘲りをあらわにし、怒って立ち上がったシフを宥めてひざまづくも、方便にすぎません。

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 ロキもウォリアーズたちによそよそしく威圧的です。オーディンの時にはいなかった衛兵を近侍させているのも、己の権威に自信がなく武力で臣下からの叛逆に備えようとしているかのようです。



一発逆転を狙うロキ ーオーディンの命を救う演出


 なんとしてもソーの帰還を阻み自分が王座を継ぐことを確定させたいロキは、一方でデストロイヤーをソーの元に送り込むと同時に、一方でフロストジャイアントを宮殿に誘い込み、オーディンを狙わせて危機一髪のところで、グングニルで倒すという演出を行います。


 フロストジャイアントを倒した後の、このグングニルを右手に持った構図はオーディンそっくりで、ロキがオーディンの正当な後継者になれたかのような瞬間です。

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参考

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 フリッガが駆け寄りロキを抱きしめます。ロキは中央に立たずやや左に突っ立っていて、実は見えていませんがオーディンが中央にいる状態です。

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 しかしそこにソーが帰還!

 黄金の壁や扉の華やかな装飾を背に、単独で中央にバンと現れ、アングルも水平であり、視覚的に彼の方に王としての正当性や権威があることを感じさせます。

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 さっきハグしていた母がさっと離れてしまい、呆然と見送るロキ。母のハグも兄に奪われます。

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 眠るオーディンを挟んで兄弟が言い合います。 なぜ自分と友人を殺そうとしたと怒鳴るソーにこれは父上の最後のご命令に従ったのだとうあおぶくロキ。オーディンを背景にしてるのは彼の威信を借りようとしてるのを示すようです。しかしソーは「お前は才能ある嘘つきだ、いつもそうだった」と言い、全く信用しません。

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■ 最後のたたかい ー初めて「対等」になるも最後まで噛み合わないロキとソー、ロキとオーディン


 ビフレストでの最後の戦いが始まります。門番小屋の入り口で、アスガルドの宮殿を背に立つソーと、氷柱の側に立つロキの構図は、それぞれの出身を残酷にも表しています。

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 なんでこんなことしたんだとソーに問われ、父上にふさわしい息子だと証明するためだ「To prove to father that I am the worthy son」と端的に述べるロキ。これほどはっきりとロキの願望を要約した言葉もないでしょう。逆にいうと、worthy son と思われていないことがずっとコンプレックスだったと吐露しているわけです。

 またそのために、オーディンの命を助け、あのrace of monstersを滅ぼしてやるんだと言います。ここでrace、人種という言葉が使われているのは重要です。ロキがヨトゥンヘイム出身であった問題については、現実の人種問題にも投影できることがこのraceという言葉選びから強く示唆されるのです。ロキは今のコミュニティの文化では殺して当然の人種出身であり、それをなんとしても克服する必要があります。

 そうして自分が王座の真実の後継者true heirになると。王位継承式典でオーディンがソーにmy heirと語りかけた時、初めてアップで映って顔を背けていたのと符合します。


 ソーが「You can’t kill an entire race」と言って止めようとすると、ロキはキョトンとした表情に。そしてニヤリと笑って、フロストジャイアントを急に愛するようになったとはどういうことだ、以前は素手で全員殺してやると言ってたのにと嘲笑します。ロキの一連の言葉は、マイノリティが、必要以上にマジョリティの価値観を内面化し、自分の出自属性に対し過剰に攻撃的になることで名誉マジョリティになる思考過程を示しています。

 もっとも確かに、この辺りのソーの心境の変化の理由は充分説明されていません。強いていうなら、オーディンの言うように傲慢な自分が悪かった父上の言うことが正しい、言いつけを守らねば父上はヨトゥンヘイムを討伐することに反対だった、ならばロキがそうするのを阻止せねば という思考回路でしょうか。ロキは「オーディンを殺そうとした」という罪をヨトゥンに着せた(というか仕向けた)ので、前述のオーディンの意向は無効になると考えたようです。

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 左右側の2人の顔の単独のアップが交互に表れ、2人が対等に話していることを印象づけます。考えてみるとこのような構図になったのはこの映画で初めてのことで、武力で争う事態になるまでいかに今までソーとロキが対等でなかったかがわかります。

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 しかし対等な構図にもかかわらず、どこか2人の会話は噛み合っていません。

 それもそのはず、ソーは今回の騒動の引き金になったオーディンとロキの会話を知らず、ロキがフロストジャイアントであったことを知らないのです。ロキはそのあたりのことをソーに説明しないので、ソーが混乱するもの無理ありません。

 ロキは王座の真実の後継者true heirになると言った端から、自分は王位など全然欲しくなかったと言います。一見すると完全に矛盾した言い方です。そのかわり、ソーと対等になりたかっただけだと叫びます。

 これらのことを総合すると、このように言い換えられるかもしれません。自分は特に王位など欲しくはないが、ソーと同じオーディンの後継者heirになりたかったと。つまり彼が最初に述べた「To prove to father that I am the worthy son」と同じなわけです。


 ビフレストの発射台が吹っ飛んでビフレストが破壊され、ソーもロキも落ちかけたところ、目覚めたオーディンが現れて2人を何とか繋ぎ止めます。

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 あなたのため、私たちのためにやりましたと叫ぶロキ。画面中央で必死に訴えます。

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 ロキよりも大きく、中央より少し左寄りでアップで映るオーディン。しかしオーディンはロキに、Noと言います。何に対してのNoなのか(「父上」や「私たち」のためにしたということがNoなのか、やったことそのものがNoなのか。ロキの先程の気持ちは全くオーディンに伝わっていないようです。

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 ロキはもはや中央におらず、画面左端で悲しげにオーディンを見つめるばかり。

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 そしてそのまま落下するロキ。構図的にも、オーディンと対照だったり一致していたりすることなく、最後までどこか噛み合わないままでした。

 ソーは終始画面右側に。オーディンとロキの対話が中央〜左側で行われていたのに対し、ソーは蚊帳の外であるのが構図的にわかります。ソーにとっては、このシーンの最後に至るまで、ロキが何に傷つき苦しんでいたかわからぬまま、弟を失いました。

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3.終わりに


 さて、このように構図や色調などを分析することにより、ロキの置かれていた状況が非常に克明になりました。つまり ロキが発言権を持たず、兄よりも低い存在とみなされ、その一方で言葉上は愛や息子呼びなどを受け取っていたというダブルバインド状態が続いていたのです。

 それに加えて、自分が異なるrace、しかも殺すべきraceの出身であった事実が発覚。それが無茶な手段による自己証明と父からの承認を求める気持ちの爆発につながりました。日頃感じていた自身のマイノリティ性が、マイノリティ人種であったことの発覚で一本の線になってしまい、大爆発を起こしたわけです。


 もちろんロキの行動の原因が分かったからといって、彼の行動が全面的に擁護されるわけではありません。そもそも映画としてはオーディンの後ろめたさや秘匿体質を暗に批判する要素はあるものの、基本的にオーディンが正しく、オーディンに反抗する息子たちは罰を受けるという物語構造になっています。家父長制的体質は温存されており、ロキの行為は「間違っている」とされるのです。


 しかしロキの家庭やコミュニティ内での抑圧や見下し、それによる生きづらさは丁寧に描かれており、そのように周囲からまともに取り合って貰えない辛さを感じる人々にとって大変共感をよぶキャラクターになっています。みんな平等に愛してるよなどと言われながら家庭内できょうだい差別をされている子供などにも大変刺さるでしょう。

 そして彼が殺すべきmonsterと認識されてるrace人種出身であることの発覚がトドメをさしますが、これは現実の人種差別問題とつながる問題であり、実際の人種で置き換えてみるとその深刻さがわかります。ある国の指導者の子供が、ジェノサイドも辞さない戦争中の適性民族出身だと判明したら、何がなんでもそのスティグマを払拭すべく奔走するでしょう。元々家族やコミュニティからの疎外を強く感じていたなら尚更で、誰も自分を守ってはくれないと感じ、自暴自棄になる大いに可能性はあります。ヨトゥンの描写は映画では一貫して恐ろしい怪物以外の何者でもなく、感情移入を一切させない「悪」であり、ロキの感じた恐怖もむべなるかなです。

 

 

 以上、アスガルドを中心とした『ソー』分析でした。次回はヨトゥン 出自問題と絡めて『ソーラグナロク(邦題『マイティー・ソー/バトルロイヤル』)(2017)を分析してみたいと思います。




変更履歴

・7/13に画像を3枚追加しました 

・7/13に■ヨトゥンヘイムへ の項目を加筆修正しました。

 「裏切り者がいる」と言う時に

 →後で「裏切り者がいる」というニュアンスのことを言う時に

 蔑みの言葉をすれ違いざま投げかけていくのです。

 → と蔑みの言葉をすれ違いざま投げかけていくのです。そしてみんな笑うのです。

 ■再び武器庫へ の項目を加筆修正しました

 ・「ヨトゥン ヘイムでの回想が入り、戦場でお前を拾った、息子よと言うオーディンに、彼の息子を愛したのですかと問うロキに、小さくイエスと。力なくおぼつかない返答です。

 ここでオーディンから「愛してる」というニュアンスの言葉を一応引き出せてはいるのですが、ロキはまるで納得していませんし、視聴者も疑わしく感じます」→カットしました。

 ・そしてオーディンがなぜソーをひいきしてるかわかったと。

 → そしてオーディンがなぜソーをひいきしてるかわかったと。そしていくら愛してると主張しようとも、フロストジャイアントを王位につけるつもりはないのだと。

・それにしても、このシーンではオーディンはかなり「my son」を連呼しており、愛してるのかという問いにも一応イエスを返してるので、言葉上は息子としてロキを愛してるというメッセージを送っています。しかしその一方で、上記に述べたように、オーディンの説明は不誠実ですし、愛してることを肯定する言葉も力なく、全体に色々はぐらかしているようで、何よりこの面倒な話から逃げたいというニュアンスが伝わってきます。

 → それにしても、このシーンではオーディンはかなり「my son」を連呼しており、言葉上は息子としてロキを愛してるというメッセージを送っています。しかしその一方で、上記に述べたように、オーディンの説明は不誠実ですし、全体に色々はぐらかしているようで、何よりこの面倒な話から逃げたいというニュアンスが伝わってきます。ロキはオーディンから愛してると言われ続けていたようですが、ソーに対するように真正面からロキにぶつかっておらず、構図的にも真正面のカットはありません。

ロキは真の力を覚醒させうるか〜英雄/神の冥界下り物語としての『マイティー・ソー』『ソー・ラグナロク』、及びそのリフレインとしてのドラマ『ロキ』

1.はじめに『ソーラグナロク』と『ロキ』の類似性


 6/9からディズニープラスで配信されたマーベルのドラマ『ロキ』は、世界中で大変注目され、大人気となっています。彼は映画では2018年『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』において、これまでで最大のヴィランであるサノスに殺されて退場してしまいましたが、続く『アベンジャーズ/エンドゲーム』で、2012年にNYを襲撃した際に時空を移動できるインフィニティストーンを手に入れて逃げ出してしまい、本来の時間軸とは別のロキが誕生したことが描写されます。

 ドラマはその続きから始まり、時間警察的な存在TVAに捕まったロキが裁判にかけられたあたりで第一話が終了しました。今後はTVAに協力して壊れた時間軸を修正する任務につくか、存在を消されるかの二択を迫られるという話になるとのことです。またこのドラマでは、ロキが出会ったこともない強大な敵に出会うそうです。


 ドラマは息もつかさぬ意外な展開が続きましたが、ロキがTVAに捕まった際に、ロボットによって、今まで着ていた衣装が焼き捨てられ、全裸になるシーンはかなり衝撃でした。それというのも、今までのMCU映画ではロキは基本的に手や顔以外はほとんど素肌を晒さない、首までぴっちりしたある種禁欲的なデザインの衣装を身につけさせられており、兄のソーが惜しげもなく上半身裸の肉体美を晒しまくり、時にはお尻まで剥き出してしまうのとは極めて対照的でした。


 それが今回ロキは全裸、しかも自分で脱ぐのではなく無理やり脱がされる(レーザー光線でですが)、その上首には拘束のための首輪まで装着されている、という、かなり扇情的なシチュエーションでで裸にされため、トレーラーで発表された段階でファンの間に走った衝撃は相当なものでした。すぐに落下させられて、囚人服に着替えさせられるとはいえ。


 私も多くのファンと同じく大変驚いてしまいましたが、それとは別に、本編を見てひとつ気付いたことがありました。ここは単に「お色気サービス」シーンでもなければ、コミカルなお笑いシーンだけということでもなく、「ロキが今までの自分の身分を強制的に剥奪される」ことを象徴的に示したシーンではないかということです。


 そしてそれは『ソーラグナロク(邦題は『マイティー・ソー バトルロイヤル』。以下『ラグナロク』とする)』で、兄ソーが異星サカールにおいてアスガルドの王子としての身分を主張しても一顧だにされず、ソーが激しく嫌がる「髪切り」の儀式を強制的に行われた上に剣闘士奴隷にされることと大変良く似た構図です。

 そもそも考えてみると、TVAのロキの状況は、それ以外にもラグナロクでのソーがサカールにやってきた時の状況ととてもよく似ています。

 以下に主だった類似点をまとめてみましょう。


1)不本意な形で、今まで暮らしていた世界とは異なる価値観や、時間の流れが異なる世界に落下する(ラグナロクサカール ドラマロキ (以下ロキ): TVA)


2)今まで持っていたパワーを封じられそれを発揮することを奪われてしまう(ラグナロク服従ディスク ロキ首輪)


3)これまでの身分や価値観が顧慮されることなく 王子として遇されず、一介の囚われのびとの身となる


4)録音されたナレーションに従ってオートメーション化された服従システムに取り込まれる


5)辱めを受け、ビジュアル的に地位が転落したことを印象づけられる(ラグナロク : 強制的に断髪される ロキ強制的に裸にされ囚人服を着せられる)


6)自分の力で自由を贖う必要に迫られ、試練を受ける(ラグナロクアリーナで剣闘士奴隷としてチャンピオンと戦う ロキ: TVAに協力させられ、時間軸修正のために働く)


 どうでしょう。私はこれは、かなり意図的に『ラグナロク』に似せた結果なのではないかと考えています。また以上の点はトレーラーや事前の関係者の話で充分読み取れましたが、第一話では更なる類似点が見受けられました。

 たとえば最初に強い女性戦士に倒されて変顔を晒し、そのまま連行されるというのも一緒でしたし、ロキが裁判官の前で、両腕をグッと広げて魔力を放出しようとするも失敗し嘲笑される姿は、ラグナロクでソーがグランドマスターの前で腕をグッと広げて雷を呼ぼうとするが叶わず嘲笑されるというシチュエーションにそっくりでした。また両者とも、人を溶かす棒で有無を言わさず消されてしまう囚人を目撃してパニックを起こします。また両者とも、拘束のコントローラーをすりとって自分の拘束を解きます。

 他にも色々ありますが、これらにより上記の推測がさらに強化される結果となりました。もうこれでもかというくらい似せていると言っても過言ではありません。そしてもしそうならば、『ラグナロク』と『ロキ』は全体として相似の物語構造になるのではないかと推測されるわけです。


 そしてそれは、英雄や神が、冥界などの異界に下り、一旦今までの自己を剥奪されて試練を受け、また元の世界に生還するという、世界各地で見られる伝説の類型を踏まえているのではないかと考えられるというのが、本論の主張です。そして英雄の冥界下りの構造は、そもそもソーシリーズの始まりから基調としてあったもので、ソーの片割れであるロキの物語の基本構造としてリフレインするに大変ふさわしいものであるということも述べます。以下に詳しく見ていきましょう。

 

2.『ソー』の冥界下りをバージョンアップして語り直した『ラグナロク』〜真の力の覚醒と中断された戴冠式の完成


冥界下りとは


 冥界下りの類型について少し触れておきます。

 神話や英雄研究者として有名なJ・キャンベルは『千の顔をもつ英雄』(1949)において、世界の神話物語には共通したパターンがあるとしました。 英雄は日常生活から危険を冒して超自然的な領域に赴き、そこで超人的な力に遭遇し、決定的な勝利を収め、冒険から帰還するというパターンです。これは「分離ーイニシエーション ー再生」から成る通過儀礼を「1.出立・冒険ー2.イニシエーションー3.帰還」という3つのステージの物語の形に変換したものだと、キャンベルは主張しました。この図式はスター・ウォーズはじめ多くのハリウッド映画に応用されています。キャンベルはこの3つのステージをさらに十数段階のステップに細分化しており、映画や物語の制作や分析に大きな影響を与えています。


 さてその「超自然的な領域」における冒険では、英雄は闇や魔の領域に突入するステップがあります。これは英雄自身の消滅の危機さえ伴うもので、しばしば神話では冥界などの、神や英雄さえも圧倒的に不利にする世界であることがあります。生者の世界と冥界はあべこべの世界として描かれることが多く、そこでは生者の世界の理屈は通用せず、力ある存在である神や英雄もそのパワーを剥奪されて無力になり、場合によっては擬似的な死すら迎えます。(これは「イニシエーション」でよく見られるもので、成年になるためにしばしば子供は一旦死を迎えるように演出されたり、実際に死の危険に瀕するような儀式を受けたりします)。しかし英雄はそこでの試練をのりこえて勝利し、再び生者の世界に、宝(奪われた宝の奪還のケースもある)を携えて帰還します。その宝は、共同体にも恵みをもたらすものであり、共同体における新たな自己、新しく生まれ変わった自己ももたらされるとも言えるでしょう。ちなみにキャンベルに先行する学者らによって、「死んで冥界に赴きまた再生する神」の物語が世界的に存在することは再三指摘されてきました。有名な話ではイナンナの冥界下り、ペルセポネの冥界下り、アエネイアスの地獄極楽巡りなどがすぐに想起されるでしょう。日本ですと、イザナギノミコトの冥界下り、大国主命根の国での冒険などが想起されます。


英雄の冥界下りが基調モチーフとしてあるソーシリーズ


 ソーシリーズにおいては、そのような「冥界下り」という構造が常に意識されていたように思われます。特にシリーズ始まりの物語である『ソー』では、比較的単純なストーリーラインのために、それが明瞭に現れていました。

 ソーは父オーディンによってアスガルドの王に相応しくない者として全ての力を剥奪され、地球に文字通り「落とされ」、そこでの経験を通して王に相応しい自己犠牲の精神を身につけ、一旦仮死状態になるも、オーディンの赦しを得て元々の力を取り戻し、ムジョルニアを手に入れ再びアスガルドに戻ります。この筋書きは、まさしく一旦死んで蘇る神の死と再生の冥界下り物語と言えますし、下降上昇のビジュアルもそれを補強します。


 そして『ラグナロク』は、その意味で『ソー』と一緒の構造であることが見て取れます。ラグナロクでもソーはサカールに「落とされ」、その異界で全ての力を封じられ剥奪された状態になり、そこでの経験を通して再び力を取り戻し、アスガルドに帰還するからです。というよりも、ラグナロクが完全に『ソー』の「語り直し」であることはまず間違いありません。そして私が見るに、ソーと相似の物語構造にしたのは、単なる1作目へのオマージュやましてや焼き直しではないと思っています。そこで触れられていたテーマに対するアンサー、中途半端になっていた物語を完遂させた姿にバージョンアップしたもの、を示したものと考えられるのです。


 『ラグナロク』は非常にコミカルでポップな感じであり、ケネス・ブラナーが演出しシェイクスピア劇のような重々しさすらあった『ソー』と対照的で、ソーシリーズの雰囲気や伝統をぶち壊しにしたと批判されることもあります。しかし実は大変『ソー』を大切にした作品であり、ある意味非常に古典的な英雄譚であると言えると思います。思えば最初の方でムスペルヘイムで竜退治をするソーを描いたことは、これから古典的な英雄譚が描かれることを予感させるものだったのかもしれません。


不充分な、あるいはあえて完遂されなかった冥界下り物語『ソー』


 『ソー』における「冥界下り物語」は、先に述べたように構造としては典型的でしたが、個々の要素を見ると実は不十分な面がありました。

 たとえば「力の剥奪」です。ムジョルニアを持ち上げる力も、アスガルドの衣装も奪われ地球に落ちたとき、病院で少し拘束されたとはいえ、ソーはすぐに解放されます。そして彼は地球人の青年の服を着こなした魅力的な姿で描かれます。立ち居振る舞いや語彙がふるめかしいのでそれが地球人を困惑させるものとしてコミカルに描写されますが、一方でそれは彼が地球においても王子であり続ける証でもあります。高貴な佇まいや態度に、地球人ジェーンも戸惑いながらも感服し愛を感じてしまいます。また北欧神話としてのアスガルドの知識は地球でも存在するということも示されます。ですから彼は地球で「辱め」を少し受けるとはいえ、彼はある程度自由に動けますし、彼の根本的な優位性はゆるぎません。地球は魔の世界でも圧倒的に不利な世界でもないのです。そもそも地球はアスガルドの支配領域ですしね。


 「宝を携えての帰還」「新たな自己の獲得」という点ではどうでしょう。

 ロキによって派遣されたデストロイヤーに単身立ち向かい、自分の命も顧みずデストロイヤー越しにロキを説得しようとし友を助ける行為がオーディンの心を動かして、ムジョルニアを持つ者の器であると承認され、たちまち衣装も力も元のものを取り戻し、アスガルドに帰りました。確かに「宝を携えての帰還」です。

 しかし「新たな自己」という点ではなかなか微妙です。まず、彼は確かに「謙虚になった」「すぐにパワーを振りかざして相手を服従させようとしなくなった」わけですが、なぜそこに至る心境になったかは曖昧です。ソーは力ずくでヨトゥンヘイムを服従させようとする短絡的で非政治的な頭の持ち主であり、父オーディンに歯向かう頑固者ですが、そのような点が、地球での出会いや地球ならでは出来事によって直接的に改められたとは見えません(せいぜいセルヴィグとのバーでの語らいが少し影響したと言える程度です)。むしろ直接の理由は、どんなに頑張ってもムジョルニアを持てなかったこと、そしてソーのせいでオーディンが死にソーが追放されたというロキの嘘を信じこんだために見えます。言い換えれば、己の無力を実感し、しでかしたことの重大さに気づいたことがショックだったから、否応なしに謙虚になったというのが真相に見えるのです。


 そして何より「父からの承認」で「元の自分の力を取り戻す」という構図がどうも引っかかります。単に「父親の定めた枠内に収まり素直になっただけの子供」という立場にも見えてしまいます。

 しかも、王位継承の式典(戴冠式ではなく王位継承者と認める儀式?)は、結局ソーがまだ自分は王になる資格はないということを最後に告げたので、中断されたままです。

 また彼はムジョルニアという「宝の獲得」を行いましたが、それによって弟ロキを宇宙空間に失うという大きな喪失体験もします。ロキは単なる倒すべき憎い敵ではなく、ソーにとっては直前まで普通の家族でしたし、獲得のもたらした喜びが彼の喪失によってある程度相殺されてしまっているのは否めません。ロキの裏切りや悪の行為の裏には、正しい側とされるオーディンやソーの日頃の態度や、そもそも出生の秘密を隠していたアスガルド王家の問題もあるので、単純に敵をやっつけてよかったねとならず、ほろ苦い後味を残します。

 

 これらは、シリーズものとして続けるために、あえてそうした部分もありますが、それゆえに英雄譚としての物語構造が完結しないもどかしさがあります。


「剥奪」も「獲得」も徹底していた『ラグナロク』〜 中断された王位継承の完成


 翻って『ラグナロク』を見てみますと、「元々の力の剥奪」「辱め」「存在の危機」というところからして、ラグナロクの方が遥かに徹底しているのがわかります。

 サカールでソーは謎の連中に捕まって拘束されますが、すぐに解放されるどころかそのまま支配者グランドマスターの剣闘士奴隷にされてしまいます。ソーは自分のちからを封じられ、アスガルドの名前を出しても、グランドマスターは「アス()バーグ?」と冗談で返して、まともに取り合ってもらえません。アスガルドという権威がここまで無視され尊重されない状況というのも、ソーシリーズでは初めてでしょう。しかも逆らえば首に装着された「服従ディスク」を発動して昏倒させられ、酷い場合は「処刑棒」で溶かして殺されてしまいます。まさしく魔の領域であり、神といえども消滅の危機の連続と言えるでしょう。


 「元々持っていた力の剥奪」としては、偉大なオーディンの後ろ盾が彼の死によってなくなってしまったことも大きい。しかもオーディンの長子だと思い込んでいたのが、実は姉がいて幽閉されていたという驚愕の事実が発覚。これまで信じていた「因って立つところの真実」の瓦解であり、これも力の剥奪につながります。


 そのように「剥奪」が徹底していた一方、「宝や新たな自己の獲得」も、よりくっきりとした形を取っていました。

 力を取り戻すプロセスは『ソー』の時より明確で、成長のきっかけが何なのか視聴者にも明らかにされています。最初はハルクとの戦い。そこで絶体絶命になり瀕死になった時、一瞬今までにない、ムジョルニア抜きの雷神の力を発揮しかけます。どうもソーには、自力で雷を呼べそうだということが暗示されますが、ここでは一旦頓挫します。しかし彼は、そのようにムジョルニアもなく取り立てパワーがあると自覚してもない時に、ヘイムダルの力を借りて民の窮状を知って、何がなんでも自分が助けなければならないと悟ります。かっと見開いた彼の瞳がヘイムダルと同じ金色になるシーンは思わずゾクゾクしました。まさに神話的な物語に相応しいシーンです。

 彼はそのために、今までいがみ合っていたハルクやヴァルキリーも頑張って説得します。その説得ぶりは不器用ながら、今までのソーだったらあり得ない知略や気遣いの表現などを駆使しており、まさに「新しい自己」を感じさせるものでした。『ソー』でウォリアーズスリーやシフなどの元々の仲間が、説得の必要なくすんなり協力してくれたのとは鋭い対比をなします。


 そして弟ロキへの態度や扱いも明らかに変化しています。突き放しつつも、自分と異なるロキの本性を認めるに至ります(それまでのソーはどちらかというと、ロキに対して自他の境界線が曖昧だったように見えました)。弟に騙されることもありません。『ソー』ではシールドの囚われの身なってる時に現れた弟の言葉を信じ込みますが、サカールでは剣闘士部屋に囚われてる時に現れた弟の言葉は全く信じませんし、『ソー』で騙された分身の術にももう騙されることもありません。これらもまた『ソー』との意識的な対比でしょう。

 最後のきっかけが、ヘラとの戦いで絶体絶命になる時です。その時確かに幻の父に背中を押されましたが、しかし彼の能力は父から承認され与えられたものでなく、彼自身がもともと持っていたものを「覚醒」させたものであるのが重要です。「覚醒」シーンが、父から言葉をかけられる幻を見る前のハルク戦ですでに少し起こっていたのは象徴的です。彼は内面的にも外面的にも、一旦死んで自ら生まれ変わった雷神ソーとして、大いに活躍するわけです。


 それと同時に、『ソー』で取りこぼした宝も得ました。「王位」と「弟」です。

 ソーは式典が中断されて以来、王たる者とは何かという問いを一作目から問い続け逡巡していたわけですが、父のいないアスガルドの危機で、それは「民を守ること」であるという、シンプルでありながら大変重要な答えを自然に会得しました。同様にアスガルドの危機を迎えながらも、アスガルド人が最後の1人になっても戦うと言ったダークワールドのオーディンはえらい違いです(それだけに、ソーの見た幻のオーディンが、アスガルドは場所でなくて人だと言ったのには大変違和感がありました。ダークワールドのオーディンの発想はその逆だからです)。民の集う広間で威厳を持って静かに質素な王座に就くソーは、黄金の宮廷で無邪気にムジョルニアを振り回していた王子の中断された儀式をやっと完結させるものでありました。

 また『ソー』では失ったムジョルニアを取り戻すものの同時に弟を失ったの対し、『ラグナロク』ではムジョルニアを取り戻せないものの、失った弟が自ら還ってくるという、対比構造があります。この対比により、ソーにとって本質的に大事なものは、ムジョルニアという父の権威ではなく自分の潜在的なパワーであり、また弟であったことが証明されました。長い長い回り道でしたね。

 英雄は長い旅路を経て、失うべきものを失い、得るべきものを得たという、見事な英雄譚の完成がここにあります。


.では『ロキ』は?〜『ラグナロク』よりもさらに「死後の世界」をイメージさせる世界観〜イニシエーションを経た覚醒の時は来るか


 さて、そのような英雄譚として完成を迎えた『ラグナロク』を大変意識しているらしきドラマ『ロキ』の、『ラグナロク』との類似点をもう一度振り返ってみましょう。


1)不本意な形で、今まで暮らしていた世界とは異なる価値観や、時間の流れが異なる世界に落下する

2)今まで持っていたパワーを封じられそれを発揮することを奪われてしまう

3)これまでの身分や価値観が顧慮されることなく 王子として遇されず、一介の囚われのびとの身となる

4)録音されたナレーションに従ってオートメーション化された服従システムに取り込まれる

5)辱めを受け、ビジュアル的に地位が転落したことを印象づけられる

6)自分の力で自由を贖う必要に迫られ、試練を受ける


 1)5)までは、全て『ラグナロク』の冥界下りにおける「力の剥奪」に呼応しているのがわかります。TVAはサカールと同様、魔の領域であり、現世のロキが知っていた世界や共同体の常識が全く通じないところで、自らよりも遥かに強大な力に従うしかありません。ロキを含めた全宇宙が血眼になって探し求めていたインフィニティ・ストーンが、なんのパワーも発揮できずガラクタ扱いというのは、価値の逆転現象として象徴的です。  

 そして『ロキ』はラグナロクよりもさらに露骨に容赦なく、ロキが現世で持っていたものを剥奪していきます。

 たとえば5)ですが、髪切りよりも全裸にされる方が遥かに辱め度合いは高いですし、持てるものを全て奪う感も強い。ロキは「アスガルドのレザーだ」と強調しており、それを奪われるというのは端的にアスガルドの王子というアイデンティティが失われることを視覚的に示してると思われます。

  私はこれを見て真っ先に「イナンナの冥界下り」を想起しました。シュメールの女神イナンナは、身につけていた飾りであり神力であるものを、冥界への7つの門を潜るたびに1つづつ剥ぎ取られていき、最後には裸になってしまうのです。この全裸にさせられるということだけでなく、何段階もの階層を経て冥界を下っていくのも、TVAで描かれてますね。ロキはいくつもの扉を潜って(あるいは落とされて)、持っていたものを奪われながら裁判所に向います。テッセラクト、衣装、王子として特別扱いされる権利魂があるかどうか判別される機械は、明らかに「門」ですし。

 TVAの「冥界性」と言えるものは、その他の点でもサカール以上であるといえます。もうひとつには連れてこられた者の「平等性」があります。サカールでソーが戦闘能力を評価され高値をつけられたような差別化すら行われない、徹底した「平等な」扱いを受けます。ロキがその消滅を目にして驚いた地球人のボンボンはモルガン・スタンレーの役員の息子らしいですが、彼が特別扱いを主張しても聞き入れられません。これは死の前では全ての生き物が平等であることを印象づけられます。

 極め付けがロキが裁判にかけられるシーンです。

 一般的な裁判と違い、弁護人もおらず、高圧的な裁判官が有罪か無罪かをほぼ一方的に、現世の行状をもとに言い渡されます(しかもその基準はよくわからない)。これは世界的なトポスとして見られる「死後裁判」を彷彿とさせます。先程引用したイナンナも、全裸で到着した冥界で裁判にかけられ、死刑になって冥界の女王によって殺されます。ロキもまた、現世の衣装を剥ぎ取られて裁判にかけられ、「リセット」判決を受けるのです。

 またTVAは大変お役所的な、システム重視なイメージで描かれています。これは私見ですが、死後の世界がしばしば役所的な手続きを経るイメージで語られがちなのとも関係してるかもしれません。2020年に公開されたピクサーの『ソウル(邦題『ソウルフル・ワールド』)』では、死後の世界の魂たちについて描かれていますが、そこでもオートメーション化されたシステムの中に、死者の魂が事務的に放り込まれ、様々にテストを受けさせられたりして振り分けられていきます。

 そして一旦TVAに捕獲されたら「元のタイムラインに戻れない」不可逆性も、死そのものです。


 現世の「ロキ」はこのように、様々な意味で一旦死を迎える、ということが、『ラグナロク』の引用とその増幅によって、強く印象づけられるのです。

 

 ではその次に来るのは何でしょうか。

 6)はまさしくイニシエーションそのものであり、『ラグナロク 』でソーが経た瀕死状態からの再生と「覚醒」が待っていることが予想されます。考えてみるとロキは「悪戯の神」として描かれていますが、それが物語に大きく作用するところは今まで描かれませんでした。また魔術師としての彼もあまり描かれていません。ある意味ロキは空っぽです。彼は第一話で、しきりに自分は王になるのだと主張しましたが、TVAの職員メビウスによって、何者にもなれない、周囲を刺激したり傷つけたりするしかできない存在でしかないと言われましたが、確かに彼はソーのサイドキックでしかない人生でした。

 その何者にもなれないロキが、ソーラグナロクで示したような劇的な本性の覚醒を行うとしたら、大変胸熱です。第一話で「私の物語だ」「いやあなたの物語ではない」というやりとりを、ロキとTVAの裁判官がしていますが、もしかしたら彼は自ら物語を生み出す神として覚醒するのでしょうかソーが自ら雷を生み出す神として覚醒したように。


 そしてロキは「Homeに帰りたい」と繰り返し言っていますが、そのHomeは、『ラグナロク』でも重要な意味を持ちます。ソーはサカールから故郷アスガルドに戻っても、ヘラを倒すためにアスガルドを焼き払い崩壊させてしまうことになります。しかしアスガルド人がいるところがHomeであるとされ、そこにソーが戻って、民を載せた移民船の中で戴冠します。ロキもまた、元のタイムラインに戻れなくても彼がHomeと感じられるどこかに行けるのかもしれません。「覚えておけ、ここがHomeだ」と言ったオーディンの姿が第一話で出てきたのはそのHome獲得の予兆であると思いたいものです。

 考えてみると、勝利と獲得を続けてきたソーに比べて、ロキは喪失の連続でした。アスガルド人として、家族の一員としての立場を奪われ、ソーに敗れ、帰る場所を失って宇宙を彷徨いサノスの手先になってまた敗れメビウス言うように負け続きの人生です。EGで分岐しない正史ロキは、ダークワールドでの共闘やかりそめの王座などを経て、ラグナロクでようやく民と兄のそばを「戻るべき故郷」に定めたわけで、やっと立つべき場所を獲得したわけですが、ドラマのロキは失ってばかりのままです。

 そのドラマロキが、ソーの英雄としてのアイデンティティ確立物語であった『ラグナロク』をリフレインし、みずからも新たな自己をと故郷を獲得するとするならば、一つの救いであると言えるでしょう。たとえ戦いで負け続けの人生で、元の故郷の誰も自分の活躍を知らず、彼らに認められなくても、立派に素晴らしい宝を得たと言えるのではないでしょうか。なんなら、結局は元々の共同体での承認を得ることに落ち着いた正史ロキよりも、より広がりのあるアイデンティティを得られるかもしれません。(6/15 18:50追記 そしてソーが結果的にサカールに革命を起こすことに加担してサカールを転覆させたように、ロキもTVAを転覆させることになるかもしれませんね。TVAは結構独裁的で胡散臭い機関に見えますから、その可能性も充分ありそうです)

 そうなれば、多くの人間負け続けで表舞台に立つことのない人生を生きる人間にとって、大きな励ましになると思うのです。ロキは正史の中でも、様々な意味で周縁的な存在であり、マイノリティであって、現実のマイノリティに大きな共感をよんできました。本ドラマもそうなることを願って、第二話以降も楽しんでいこうと思います。

コズミックキューブは名剣「ノートゥング」か〜『キャプテン・アメリカ ザ・ファーストアベンジャー』とオペラの関係

 皆さんこんにちは、トパーズ2号です。

 先日『キャプテン・アメリカ ザ・ファーストアベンジャー』(2011年公開)を改めて観ました。

 実は私、本作は随分前にとびとびに観ただけだったので内容をあまり覚えておらず、色々新鮮な気持ちで鑑賞できました。とりわけ、アメリカのヒーローの物語でありながら、なかなかに北欧神話テイストの強い映画であったことに驚きました。まあ元々、本作でMCUにおいて初めてコズミックキューブ(テッセラクト)、すなわちオーディンの秘宝でとてつもないパワーを秘めた石が登場し、それを血清を打って超人と化したナチスのシュミット(レッド・スカル)が地球の保管場所から奪い、地球を支配する武器として利用しようと企むという話なので、当然といえば当然なのですが。それにしても記憶にある以上に北欧神話のモチーフが現れ、なんだか『マイティー・ソー』(2011)より北欧神話ぽいなあとすら思いました。


 私がこの映画で一番驚きまた嬉しかったのは、ワーグナーの楽劇が使われていたことです(出典: https://m.imdb.com/title/tt0458339/soundtrack) 。楽劇『ニーベルングの指環』、つまり、ウォータン(北欧神話ではオーディン)の物語である楽劇の音楽が印象的に使用されており、オーディンの秘宝をめぐる映画の音楽としてまことにふさわしいと思えました。本作以上にオーディンが関わる『マイティー・ソー』では、音楽的にもプロット的にも『指環』の影がほとんどなく(視覚的には『指環』舞台的な雰囲気がかなりあったと思いましたが)ワーグナーファンの私は少々がっかりしてただけに、嬉しいサプライズでした。


 で、確か初見でも、「わ、指環だ!!」と思ったものですが、その時は「ナチだからワーグナー出したんだな」程度の認識しかありませんでした。でも今回改めて見直してみて、これは思った以上によく考え抜かれたチョイスなのではと考えるようになりました。

 ナチスがらみ&オーディンがらみでワーグナーを出すなら、もっと分かりやすくてポピュラーな部分を出してもよかったはずです。たとえば『地獄の黙示録』で有名になった「ワルキューレの騎行」とか。これなら、そんなにクラシックに詳しくなくてもピンとくる人は多いでしょう。何よりシュミットが各都市の攻撃に使う重要な戦闘機が「ワルキューレ」ですし。

 

 しかし今回選ばれた曲は、確かに指環第二夜『ワルキューレ』から主に取られてましたが、かなりマニアックな部分でした。ワーグナー好きならば、あああの歌か、となりますが、普通は気付きにくい。

 しかしあえてそこを選んだところに、何やら隠された意図を感じます。そして実際よく注意を払ってみると、その部分にはシュミットとコズミックキューブの出自や成り行きと、かなりシンクロするものが見てとれるのです。

 以下にそれを見ていきましょう。



◼️音楽が示唆する現在と未来〜名剣ノートゥングとしてのコズミックキューブとジークムントに擬せられるシュミット


「ヴェーーールゼ!!ヴェーーーーーーールゼ!!!」

 ゾラ博士がシュミットのいる部屋に入ってくると、こう大音量で歌うオペラ歌手の声がレコードから響き渡っていています。シュミットは画家に自画像を描かせている最中で、シュミット自身はシルエットしか見えません。その絵具は真っ赤な色。つまり、あとで判明する、超人になった代償であり証でもある「レッドスカル」としての姿を描かせていたのです。シュミットは博士に絵の感想を求め、傑作です!とお世辞を言わせてます。この空間では、シュミットのナチでのオフィシャルな立場というより、彼の超人として肥大した自我がいっぱいに広がってると思って良さそうです。


 さて、この歌は何かといいますと、ワーグナーの楽劇『ニーベルングの指環』第二夜『ワルキューレ』第一幕第三場に出てくる歌です。ヴェルゼとは北欧神話の主神ウォータン(オーディン)の変名で、歌っているのはその息子ジークムント。ジークムントはウォータンが正妻とは別の人間の女性に生ませた息子なのですが、ウォータンとは生き別れて地上を彷徨っています。だからここは息子が「父よ!父よ!」と、まぶたの父ウォータンに呼びかけているシーンというわけです。


 ちょっと長いですが、この歌の背景をもっと詳しくご説明しましょう。


 ジークムントは先にも述べたようにウォータンの息子ですが、父が神とは知らず、その名前もヴェルゼだと思っています。幼い頃に敵に襲撃されて、母を失い父と妹と離れ離れになり、ひとりで各地を放浪しています。そして傷ついて倒れ、ある館で介抱されるのですが、その館の主人フンディングはジークムントの敵側の人間と判明。一晩泊めてはくれるものの、夜明けには決闘することになります。丸腰のジークムントはひとり夜中に父に呼びかけて、むかし危難の時に得ると父が約束してくれた剣は一体どこにあるかと叫ぶのです。


‘Wälse! Wälse

Wo ist dein Schwert?

Das starke Schwert,

das im Sturm ich schwänge,

bricht mir hervor aus der Brust,

was wütend das Herz noch hegt?’

ヴェルゼ!ヴェルゼ!

どこにあなたの剣はあるのです?

強き剣、

嵐の中で私が振るう剣、

その剣は、私の胸から現れないのか? 

この荒れ狂う怒りが剣にならないのか? 


 すると館の主人の妻が現れ、居間の中央にそびえるトネリコの樹に突き刺さった剣を指し示します。ジークムントはそれこそが父が約束した剣であることを悟り、今まで誰にも抜けなかったというその剣を引き抜いてノートゥングと命名。そしてその主人の妻も、実は生き別れた妹だったとわかり、二人で手を取り合って館を抜け出します。


 この、誰にも抜けない剣を引き抜き英雄の証を立てるというのは、アーサー王エクスカリバーなどでも有名なモチーフですね。で、ここで注目すべきはその剣が「ウォータン(オーディン)のものである神威あるすごい武器」であり、それが「トネリコの樹に刺さっていた」という点です。


 これ、ファースト・アベンジャーでコズミックキューブ、すなわち「オーディンのものであるすごいパワーの石(武器)」が「ユグドラシルの樹(の彫刻)に刺さっていた」ということと見事に呼応すると思うのです。


 キューブが隠されているのは、保管場所である教会の壁に彫られた樹の彫刻。その樹がユグドラシル北欧神話世界樹であることは、シュミットの口から印象的に明かされます。「ユグドラシル!」と勿体ぶった口調で言った彼は、ユグドラシルについてちょっとウンチクを傾けたあと、その根本にいた蛇の目をポチッと押して、キューブの入ってるらしき箱を引き出します。

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 方や『ワルキューレ』では、剣がが刺さっていたのはトネリコの樹ですが、『ニーベルングの指環』においてはユグドラシルもまたトネリコであるとされています(ユグドラシルトネリコというのは伝統的にそうみなされており、『指環』に限った話ではありません)。ある意味ジークムントは象徴的なユグドラシルから剣を引き抜いたとも言えます。もうシュミットとジークムントの相似性は明らかですね。

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(出典:Wikipedia

https://en.wikipedia.org/wiki/Die_Walk%C3%BCre)


 つまり、シュミットがユグドラシルからキューブを引き抜いた行為は、ジークムントの行為と同一のものであると、この曲の使用は暗示していると言えるわけです。


 さらにその線をおしすすめると、ノートゥングがウォータンからジークムントに約束されていたように、キューブはオーディンからシュミットに約束された、英雄の証たるものであるということにもなります。シュミットは単なる強奪者ではなく、正当な持ち主というわけです。実際はそんなことはないんですけれども、あの曲の使用はシュミットをキューブの正当な持ち主であると歌い上げてるとも読めます。

 シュミットは実際、自分がいかに超人になるにふさわしいか、何回も力説します。自分は普通の人間ではないと。そして完全なる超人にしてくれなかったアースキン博士を恨み、完全な超人キャプテン・アメリカに対してはほとんど個人的な憎しみとすら言えるような感情を抱きます。


 ですからシュミットがジークムントのこの歌を流していたということは、彼が意識的にしろ無意識的にしろ、自分をジークムントになぞらえ、自分の正当性を強く主張しているシーンと読み取れるわけです。

 

 なお、シュミットが「博士に認められなかった」ことに対して、あたかも父からの承認を得られなかった子供のような反発を感じていることは、ヴェルゼ〜の歌に続いて「父が約束した一振りの剣」という歌が博士の写真が映るシーンで流れてることでも明らかだと思います。


 これ、本当はヴェルゼ〜の直前の歌詞なので、順番が逆なのです。それでもあえてそこで流したのは、やはり意図的なものを感じます。血清を作った博士はいわば超人としてのシュミットの父とも言える存在であり、Vater()という言葉を博士の写真にかぶせたことはそれを強く感じさせます。シュミットはウォータンがジークムントに危難を救う剣を約束したような、彼を英雄と認める証を博士から欲しかったのかもしれないですね。

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(こちらは劇中で歌っていたジョン・ヴィッカーズと同じ指揮者カラヤンが共演した「父が約束してくれた一振りの剣」です。ヴェルゼ…ももちろん含みます。劇中と歌詞の順番が違ってるのがわかると思います)

https://youtu.be/fGOttAqWJwA


 しかしこのウォータンが息子のために用意した剣、選ばれし英雄の証は、その歌に続く物語を知ってる者にはかなり不吉な存在でもあります。

 ジークムントは、妻を奪って逃げ去った彼にカンカンになって追ってきたフンディングと決闘するわけですが、そのノートゥングで戦う際、なんと他ならぬウォータンにより粉砕され、ジークムントは殺されてしまうのです。その事情はここでは置いておきますが、とにかく「神から与えられ、選ばれし者のみが手にする武器で敵をやっつけると思われてたのに、結局役に立たず持ち主が倒される」という、かなり不吉な剣というわけです。

 

 なので、この曲について知ってる人は、シュミットはこのキューブを神から与えられた武器のように思ってるんだな…でも結局このキューブ使いこなせずに倒されちゃうんだな、ということが、なんとなく予見できてしまうのです。ひとつの音楽の使用で、現在の状況と未来の予言(予感)を同時にしてしまうという素晴らしいシーンと言えるでしょう。


 この「最後には倒されてしまう」ということは、続いて『神々の黄昏』での「葬送行進曲」の出だしが使われてることでも、重ねて暗示されてると思います。

 この葬送行進曲で悼まれるのは、ジークムントではなくその息子ジークフリートです。ジークフリートは、父が残したその名剣の破片を使って、新しく鋳造した二代目ノートゥングをふるって戦い、勝利を収めていきます。しかし彼も結局、指環の呪いから逃れることができず、ノートゥングをふるう暇もなく背後から槍で突かれて死んでしまいます。親子二代にわたって、「神の剣を手に入れたのに倒されてしまう」。神器コズミックキューブが持ち主を破滅させることを、こうして念入りに意識させていると言えましょう。

 

 またこれは意図したかどうかよくわからないのですが、奇しくも「ラグナロク(神々の黄昏ニーベルングの指環』第四夜と同じですね)」という題名のマイティー・ソーの3作目でも、やはりコズミックキューブがでてきますが、続くインフィニティ・ウォーではそれを所持していたために持ち主であるロキが死ぬという展開に。コズミックキューブは人間の英雄のみならず神さえも破滅させるわけですね。


 ちなみにシュミットとジークムントの相似性は、実は神威ある武器云々だけにとどまらないものがあると私は見ています。

 ジークムントは確かに神の子で英雄ですが、世間の価値観と合わず、どこへ行っても迫害されてきたと述べており、アウトローです。

 そしてシュミットも、ナチの中で浮いた存在であることが、他のナチ将校との会話から窺い知れます。彼の研究は将校たちからバカにされ、ヒトラーもあまり買ってはいないようです。彼もまたナチの中のアウトローであり、周囲の価値観とのズレに苦しみ戦っているわけです。


 ジークムントとはそのように色々共通点のあるシュミットですが、一点かなり違うところがあります。ジークムントは、フンディングの妻に不本意ながらなっている女性ジークリンデと愛し合い、それが生き別れの妹と判明するというドラマチックな恋愛展開があり、それが彼の悲劇のきっかけともなっているのですが、シュミットには女性の影は皆無です。そして映画では、ジークリンデについて歌った部分は巧妙に省かれています。父が約束した一振りの剣〜と、ヴェルゼ〜の間に、ein Weib sah ich, wonnig und hehr: から始まるかなり長いジークリンデに関する歌詞があるのですが、映画内ではサクッと切り取られています。

 この部分の切り取りにも、シュミットとジークムントの対比を完全なものにしようとする製作側の意図のようなものを感じてしまいます。

 


◼️では、キャプテン・アメリカは?

 破滅しなかった英雄成功したジークフリートとしてのキャップ



 さてここまで考察していくと、「ではキャプテン・アメリカは『指環』で何に相当するのか?」という問いもたててみたくなります。


 指環音楽に関しては、これ以外のシーンでは使われないので、無理にキャップもその解釈に入れ込まなくていいかもしれません。しかし指環音楽が使われたのがキューブとシュミットの関係を示すシーンであり、キューブがノートゥングになぞらえうる存在となれば、そのキューブに関わるキャップもまたその解釈の流れに沿って分析してみるのも悪くない試みかと思います。


 映画の筋をもう一度振り返ってみましょう。


 オーディンが地上に残したすごいパワーがあるコズミックキューブを、地球を支配するためにシュミットが奪う純真無垢な戦士であるキャプテン・アメリカがそれを阻止しようとするシュミットがコズミックキューブを手にして消滅するコズミックキューブがキャプテン・アメリカもろとも海底に沈む

 

 キューブ=ノートゥングを中心に見ていきますと、キューブの所有は紆余曲折を経てシュミットからキャップに移行し、キャップはいわばシュミットの後継者となることがわかります。しかしキャップはそれを用いることなく、自らの身体と共に水底に沈めます。


 つまり、この映画は支配の力の源たるモノ(キューブ)の所有をめぐる物語であり、最終的にそれがヒーローとともに水底に沈められる話であるとまとめることができます。


 このあらすじとニーベルングの指環を比較してみると、似たようなストーリーラインが実は指環の中にもあることに気づきます。そう、ニーベルングの指環そのものと、ジークフリートです。

 ラインの黄金から鍛えた世界を支配する力の指環は、悪辣なアルベリヒウォータン巨人ファフナー と持ち主を変えていき、最終的に英雄ジークフリートに所持されます。しかしジークフリートは殺され、彼の遺体と共に指環は焼かれます。それを氾濫してきたライン川が飲み込み、指環は再びラインの水底に沈むのです。

 こうしてみると、キャップはジークフリート、キューブはニーベルングの指環であるとも読み解くことができるでしょう。


 キャップの特質も、考えてみるとジークフリートに大変近しいものがあります。キャップの大きな特徴である、血清によって増強された逞しい肉体を持つ金髪碧眼の白人の青年像は、ナチスが礼賛したアーリア人の理想像たるジークフリートに重なります。また恐れを知らず、純潔である点(彼が女性との付き合いが慣れておらずぎこちないことは繰り返し描写されます)も、ジークフリート的な要素と言えます(むしろジークフリートを通り越してパルジファル的とも)

 キャップはしかしジークフリートとは決定的に異なる点もあります。まず、ジークフリートのように憧れの女性と結ばれたり、ギービヒ家の宮廷に出入りして世俗化したりしません。憧れの女性ペギー(ペギーもジークフリートの恋の相手ブリュンヒルデと同じく女戦士ですね)とも、ついに結ばれることなく、また世俗の権威にも取り込まれません。そしてジークフリートは指環を手放すことを頑として拒むのですが、キャップは自らの意思でキューブを手放します。そして彼はジークフリートのように死ぬことなく、水底から救い出されて蘇るのです。

 キャップはいわば裏返しのジークフリート、こうあるべきだったジークフリートと言えそうです。(ニーベルングの指環ジークフリートは結構ひどい男です) 。キューブをノートゥングに見立てる場合でも、シュミット=ジークムントからの後継者ということで、やはりキャップはジークフリートの立場であると言えそうです。


 ナチスドイツのアイコンたるジークフリート的な特徴と映画内での位置付けを持った青年が、同時にいわば善のジークフリートとしてナチスドイツ(に所属していたヴィラン)を打ち破るという筋書きは、大変アイロニーに満ちていると思われます。



 

 このように『キャプテン・アメリカ ザ・ファースト・アベンジャー』は、短いながらも『ニーベルングの指環』の曲を駆使して様々な読み方を提供するという、なかなか素晴らしい映画と音楽のコラボレーションだったと思います。

 その後のMCUではワーグナーの曲は使ってないようで残念ですが、またドラマや映画で使われる機会があるといいなあと思います。


 

 

 

 

あれっ、ずいぶん狭くね? 〜『アベンジャーズ』(2012年)でのロキの攻撃範囲〜

 こんにちは、トパーズ2号です。

 こちらでは私が観た映画の感想や気づきを簡単に綴っていきたいと思います。MCUのファンでもありますので、それらへの感想が多くなるかもしれませんが、よろしくお願いいたします。


 第一回目の今回は、『アベンジャーズ 』(2012年)で描かれたロキのニューヨーク侵攻についての考察をしていきます。

 ロキは『マイティ・ソー 』一作目(2011年)から出演しているるヴィランですが、近年は押しも押されもせぬマーベルの人気キャラになりました。ソーを憎んでるかと思いきや、結局兄上大好きやんけということがシリーズ追うごとにはっきりとし、公式が連発している「宇宙一の裏切り王子」というキャッチフレーズすら、恐ろしさよりかわいさを醸し出すまでに。そして来年はとうとう単独主演ドラマ『ロキ』まで控えてますね。


 しかしそのロキも、『アベンジャーズ』(2012年)ではかなりヴィランっぽい活動をしています。S.H. I.E.L.D.の本拠地、シュツットガルト、NYCと地球各地で大暴れし、特にNYCではチタウリ軍を引き込んで街を破壊しまくりました。NYC侵攻はその後も長い影を落としており、MCUの様々な映画やドラマでその影響が描かれています。


 で、本題ですが…皆さん、あの映画を観て、一見NYC全体が攻撃されてたように感じませんでしたでしょうか?私は少なくともそう感じました。NYC全体が脅威にさらされた、非常に大きな軍事侵攻のように見えたのです。そして実際、そのように演出されていたと思います。

 でも地図上で確認しますと、画面上に出てきた限り、メインに攻撃されたところはごく一部で、しかも重要施設は攻撃されていない様子。ロキの侵攻、過大評価されてない?といつも思います。『スパイダーマン: ホームカミング』(2017年)では、チタウリの被害がNY州の広範囲に渡ってたように述べられてましたが、正直『アベンジャーズ』だけ観たのではそうは見えません。

 で、そのことはヴィランとしてはいささか間抜けでは?とも。だってロキはどこを攻撃するというビジョンがなかったということになってしまいますから。もっと施設の重要さを勘案し、かつ機動力を広範囲に広げて戦略的に動いていれば、地球の被害は遥かに甚大になったでしょう。それくらいの戦略は一国の王子としては当然思いつくはずです。ロキがそうしなかった原因として考えられるものとしては、

1) 地球人を見くびりまくってて、広く攻撃しなくてもちょっと脅かせば屈服すると考えてたから

2) ロキはチタウリに洗脳されていたので頭があんまり働いてなかったから

3) セルヴィグが自分について言っていたように、洗脳されてても良心はどこかに残っていたから

 などがあるかと思います。まあダークワールドでもあんまり反省してない様子だったので良心云々は怪しいですが、1)、2)あたりが妥当かなと勝手に思ってます。


 ではどれくらい狭いか具体的に見てみましょう。『アベンジャーズ』の描写を見る限り、マンハッタンのミッドタウンイーストという地区が主な攻撃対象だったようです。せいぜい広く見積もって、ミッドタウン全域くらい。実際、地球人が核兵器を使って敵を一掃しようとする際「ミッドタウンが吹っ飛んでしまうぞ」と懸念するセリフもあります(核兵器使ったらミッドタウンどころか確実にマンハッタン全域汚染されると思うんですが。アメリカ人はどうも核兵器を甘く見過ぎです)。このセリフからも、チタウリの攻撃がミッドタウン中心だったことが伺えます。

 で、ミッドタウンてどれくらいかっていうと、かなり小さい。ミッドタウンイーストとなればもっと。マンハッタンはだいたい東京の山手線内くらいの面積なんですが、そのさらに一部なので、23区のうちの1区くらいの感じ。

画像1

マップ出典;https://www.nyctourist.com/map1.htm


 ちいさっ

 そして主戦場は、さらにその中のグランドセントラル駅というターミナル駅周辺。それはチタウリを呼び込むゲートのありかであるスタークタワーがこの駅の裏側にあるという設定なので、しょうがないといえばしょうがないですが。

 アベンジャーズがアッセンブルしてるシーンはだいたいこの駅の前の道路、パーク街です。この駅は彫刻がてっぺんにあったりしてフォトジェニックなので、確かに集合場所としてはさまになるといえます。巨大な戦艦リヴァイアサンもよくこの通りを進んでいます。でもね、パーク街って特に何があるってわけでもないんです。それにパーク街でも数ブロック以内で話が進んでいる。

 グーグルマップで確認してみましょう。下の写真2枚目までが主戦場のマップ写真で、緑色の屋根のところがグランドセントラル駅です。3枚目はアベンジャーズ 映画のシーン。特徴的なビルからどこかが特定できました。

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 お判り頂けましたでしょうか。どう見ても狭すぎる。なんでグランドセントラルの南がわ数ブロックだけ攻撃しまくるのか。だってもう一足東に足を伸ばせば

 >>>>国連本部<<<<

 があるんですよ。なのにまるで攻撃してる様子がない。そこ攻撃すれば一発で地球人全体に大きな恐怖を与えられるというのに。

 チタウリ のバイク?が数機、川方面にも向かってるぽいシーンありましたが、攻撃の描写はされず。そもそもその手前にクライスラービルがあって、そこで避雷針代わりになって雷落としまくってたソーがいたので、その数機はやられた可能性高いです。


 と、謎だらけの、そしてスケールが大きいんだか小さいんだかわからないロキのNY攻撃。別にスケールが小さければ罪が軽いとかいうわけでは決してないのですが、いささかあの攻撃が買いかぶられてるな…と思うわけです。ロキ主演のドラマでそこら辺の真相が出てくると嬉しいなあとも思いますが。

 そして改めて声を大にして言いたい。

 ロキ、NYCそんなに大規模に攻撃してないよ!

 って。