Topaztan’s blog

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建築を探偵する楽しみ〜『ミステリな建築 建築なミステリ』レビュー

 篠田真由美『ミステリな建築 建築なミステリ』(エクスナレッジ、2024)を読んだ。

 日本の近代建築や、ミステリに出てくる建築を論じるものだ。とても楽しく読みながら、私の脳裏に流れていたのは、

 

 ボ、ボ、ボクらは少年探偵団…

 

 の歌だった。江戸川乱歩の少年探偵団シリーズのこと?さにあらず…というか直接そうではない。「建築探偵」こと、藤森照信さんの著作『建築探偵の冒険 東京篇』(筑摩書房、1989)に書かれていた一節だ。

 『建築探偵の冒険』では、「建築」を探偵する楽しみが充分に語られている。自分の目でじっくり建築物を観察し、様式でも材質でもなんでも、とにかく何か発見し、それについて考えるーつまり読者に、目玉で建築とがっぷり四つに組んで勝負することが提案されているのだ。その流れで上記の歌が書かれていたのだが、本書はまさしくその呼びかけへのアンサーの一つのように思われる。

 本書には藤森さんの著作に横溢する、近代建築って楽しい!!という気持ちと同じ風が吹き渡っている。そもそも日本の近代建築は、西洋の歴史的建築のように分厚い研究の蓄積があるわけではなく、また残されている資料も少ない。しかし開国で一気に流入してきた、従来の日本建築とは全く異質な理論や意匠は、日本の建築に非常に面白い化学反応をおこし、だからこそ現代人が「探偵」する余地・余白をもたらした。その重要な紹介者のひとりは、間違いなく藤森さんだと私は思う。実際に本書では、『日本の近代建築 』((上下巻)(岩波書店)や週刊朝日で連載されていた『建築探偵』シリーズなどが少し紹介されているが、筆者さんは私と同じく、きっと藤森さんの著作のファンに違いない、と勝手に睨んでいる。筆者さんが「建築探偵」なる称号の大学教授を主人公にした作品を書いてらっしゃるのも、何だかその符号を感じるのだ。

 

 『ミステリな建築〜』は、対象の建築についてわかっていることを「解説」しているのではない。どこに謎があるかを探し出し、その謎を解くための様々な情報や、それに基づく推理を述べるのが主眼だ。たとえば、築地ホテル館にはなぜレセプションや食堂らしきところが見取図にないのか。鹿鳴館を謎の意匠で飾ったコンドルさんの真意は?筆者は様々な資料を駆使し、残っている建築があれば足を運んで、鋭い考察を展開する。実在の建築だけではなく、ミステリの中の建築も後半は「謎解き」するので、その「推理」の難しさは格段に増すが、そこは作家ならではの感性がさらに冴え渡る。

 

 それらには明確な答えが出される訳ではない。名探偵たる「全てお見通し」の筆者が解説し、「犯人」という真相がついに明かされて、スカッとする、わけではない。むしろ残された手がかりを元に、じっくりあるいは大胆に推理していくという、そのもどかしいような過程を読者も一緒にたどる楽しみこそが、本書のキモだ。いわば、読者は最後に食堂に集められた関係者一同ではなく、名探偵が情報を集め試行錯誤する様子をかたわらで目撃する、助手のような立場に近い。助手は名探偵のそばでその手腕に感心したり、時にはそれに刺激されて自分もできるんではないかと、拙いながらも自身の推理を展開してみたりする。だから本書を読んだ後は、読者はよし、自分もひとつ近代建築の謎解きをしてみるか!という気概が充満してしまう。実際私は、本書の読後に築地ホテル館について、国会図書館デジタルコレクションで夢中になって調べまくってしまった。

 

 もちろん本書の「謎解き」や解説自体も大変面白い。たとえばクリスティーの『ねじれた家』について視覚化され、作中の描写の意図するところがよりくっきり浮かび上がるように解説されてるのは、とてもありがたかった。クリスティーと建築といえば、『スリーピング・マーダー』のように家の記憶が大きなヒントになる作品もあるし、『復讐の女神』はお屋敷巡りツアーで話が展開する。自分もいつか独自の視点でそれらの建築を読み込んでみたいと思った。

 また私は中学生くらいの頃ミステリ好きだったのだが、結局イギリスの一部の作家を主に読んだにすぎず、作者が解説してくれるヴァン・ダインディクスン・カーなどの古典について新鮮になるほど〜と色々と勉強させてもらった。日本の作家も然り。建築だけでなく探偵もの自体への理解も深まる寸法だ。

 

 ほら、読み終わると、あなたも目に見えないB.D.バッヂが燦然と胸に輝いてるのを感じるはずだ。

 

 ボ、ボ、ボクらは建築探偵団…

 

<了>