Topaztan’s blog

映画やドラマの感想や考察をつづっています

光る君へ 第一話感想 〜 平安時代の社会・経済をわかりやすく描く〜

 面白かったです!!!

 サクサクとスピーディーな展開、一つ一つ意味を持たせたセリフや描写の積み重ねなど、脚本家の手腕の手堅さを味わう45分間でした。皆が言うように、雀の子を犬君が逃がしつるの元ネタ的なのも入っており、源氏物語ファンへの目配せも怠りありません。

 

 そりゃ、おっとそれはどうかなというものもあれこれありました。しかし全体にドラマの叙述にさほど破綻がないために、それらの疑問点を視聴中は強く感じさせないという効果が。そのあたりが上手くないと、そういう細々とした違和感が前面に出てきてしまいますよね。

 

 自分が一番感心したのは、第一回ということで、この世界の仕組みや価値観が矢継ぎ早に紹介されており、イントロダクションとしてかなり優秀だったことです。視聴者の多くが平安時代に詳しくない状態だと思いますが、それでも観ていれば自然にどんな世界か伝わってきたのではないでしょうか。

1.当時の身分社会・貧富の差の視覚化

 

 まず、建物や調度や食べ物で、まひろの家と兼家の家の差を繰り返し描き出してるのが印象的でした。実際は、まあここまで紫式部の実家はボロボロじゃなかったんじゃないの…?とも思いますが、劇的に対比させることで、同じ貴族とはいえど、そして大きくは同じ藤原氏といえど、ここまで差のあるものだということを強調しているのでしょう。貴族ではない道兼の家司の方が、貴族の為時より態度が大きく衣装もちゃんとしていました。

 衣装といえば為時の普段着の衣装が、萎えた、ほとんど色味のない、無地の狩衣であったことも、貧富の差を視覚的に表していました。素材も絹ではなさそうな(麻かな?)。兼家一家はもちろん、正月にやってきた宣孝の衣装が、紋様のある、華やかでパリッといた絹地のものであったのとも対比的でした。官位を得て如才ない宣孝と、除目に何年も外れ、正妻の実家も裕福ではない為時の経済状態がよくわかります。同時に、枕草子で描かれた宣孝の派手好みも示されています。

 

2.経済活動の解説

 大河ドラマでは、登場人物たちの経済活動が一体どうなってるのか、つまり収入はどうやって得ているのか、着るもの食べるものはどうやって調達してるのか…がかよくわからない時があります。というかそういうケースが多いように感じます。しかし本ドラマは、1回目でかなりしっかりそのあたりを解説しているなと思いました。

 

・貴族の場合は正月に決定される除目で官職を得る。官職を得られないと1年間碌が得られず厳しい状態になる。

・正式ルート以外にも上級貴族に取り入ることで正式な官職以外で碌を得る可能性がある。

・基本的に物々交換社会であり貨幣経済ではない。

・貴族の夫の生活の豊かさは妻の実家に依存してる面が大きい。

・正妻は夫の衣装を用意・管理するつとめがある。

 

 それらは、平安時代をかじった人なら、「なーんだそんなこと、知ってるよ」となるかもしれません。しかし平安時代については、「知らない」人が大半ですし、そういう「知らない」人に自然にわかるようになっているのは

 また貴族でも家が貧しくなると下人たちがどんどん去ってしまうというのもリアリティがありました。

 

 あと私自身が興味あるので気になるだけかもしれませんが、「衣服」についてかなり言及されてるなというのが新鮮でした。裁縫については、貴族でも妻が夫の着るものを縫う、という習慣がありましたが、裁縫が不得意で、手伝えるような女房もいない人は外注もありだったようです。『蜻蛉日記』で有名な藤原道隆綱母(兼家の妻のひとり)は裁縫が大変得意だったそうですが、兼家の新しい女から「これ仕立ててください」と生地を送ってこられて怒り心頭…というエピソードがあったりします。まひろの母親も、縫物頑張らなきゃ的なセリフがありましたが、貧乏で無官の為時のために縫う衣装がたくさんあるとも思えず、なにか報酬のモノと引き換えに縫物を請け負っていたものと思われます。源氏物語』でも、紫の上も裁縫が得意であり、また縫物が物語の随所で効果的に用いられていますが、作者の母親が縫物が得意だったという設定はなかなか良いのではないでしょうか。

 

3.娘を入内させることが生命線であった貴族社会

 貴族社会でのしあがるためには天皇に娘を入内させること、その娘が子をなすことが何より大事なのだ、ということも、繰り返し描かれて印象づけられます。兼家はかわいい孫娘を見てもまずその美しさや入内のことを口にしますし、兼道は入内させる娘を得るための結婚を焦ります。

 詮子がその重圧に悩み、父親や兄たちのプレッシャーを疎んじていたのも印象的でした。兄たちと違ってのんびり穏やかで優しい三郎に、お前とだけ内心を打ち明けた話ができる…的なことを語ってて、史実として詮子が道長をかわいがったことへの理由づけとしてこう来たか!!と膝を打ちました。

 詮子が道長贔屓だったことがこの先の歴史を大きく動かすのですから、彼女がなぜそんなに道長が好きだったのか??という疑問に、貴族の権力闘争の背景を交えて早々に答えを出しておくのは正解だなと。ただ後述しますが、道長がそのように穏やかで、怒ることを好まない性格であったという設定は微妙に感じましたが(若い頃から結構乱暴な逸話あり)。それとも彼の性格がどんどんダークに変わっていくという流れなのでしょうか…

 

4.ちはや殺人事件について

 道兼の暴力性、すぐカッとなる瞬間湯沸かし器的性格、家庭内で軽んじられてるコンプレックスからか、自分の威信が傷つけられたかどうかに極度に敏感な性格、世間一般の常識(時姫の言葉に代表される)に逆らう考え方、などの描写が積み重ねられ、最終的に例のまひろの母殺害に結びつきます。なのでドラマの中での整合性という意味では違和感はありませんでした。まあそういうことしかねんヤツやなあ、と。平安貴族が結構暴力的だったこと、目下の者には特に酷かったことを考えると、全くあり得ない話でもないなと。

 

 ですが今後の史料的な色々を考えると(紫式部の娘が道兼の息子と結婚した説あり)、またそもそも、主人公に直接関係ある重要人物同士に殺人という特大フィクションをぶち込むことで生まれる様々なひずみを考えると、いいのかその展開で!??という気持ちもありました。目の前で母親を殺されたという経験をし、しかもそれが自分が仕える相手の親戚だったという因果がもし存在したとして、それが源氏物語にしろ紫式部日記にしろ紫式部集にしろ影を落としてないっていうのはどうかなあ…?とも。

 賛否両論色々あるのはよくわかりました。

 

 彼が返り血を浴びたまま帰宅したことに結構非難が集まったようですが、一応下人に衣装を脱がせて証拠隠蔽図ってますし、顔の血だけでは殺人とまでは断定できないだろう…と道兼は踏んだのかなと思いました。往来ではなくひと目のないところで、下級貴族の妻らしい女を殺したところで、大問題にもなるまいとも思ったのでしょう。

 血という点では、宮中で乱闘事件なんてのもありますし、殴り合ったら拳に血ぐらい着くんじゃないでしょうかね?そういう感じで喧嘩で済ませようとしたのかなとも。

 実際に貴公子が自分で手を下して殺人事件を起こしたら大問題で、そのあたりの「穢」の扱いが気になる人には非常に気になるシーンだったようですが、当時の人もかなり臨機応変というか自分に都合よく「穢」の問題の扱いを変えていたことが記録にありますし、そこまで目くじら立てるほどの描写ではなかったかと思います。「フツーの」貴族が、衆人環視の中で殺人事件を起こして平気であちこちに出入りしているという描写があったら、そりゃおかしいですが、この物語の中の道兼は突出した乱暴者という扱いで、しかも事件の目撃者は、彼の下人と相手の娘と下人のみ。証人としてほぼ価値のない者が少数いたところで、屁でもないのでしょう。

 

5.超自然の事柄について

 穢だけでなく、吉兆/凶兆など、物事に超自然的な因果関係や意味を見出し重要視する当時の人々の心性は、現代人にはなかなか理解し難い考え方です。だからこそしっかり描写しないといけない、という意見もよくわかります。しかしよく見るとそのようなことについて、実はドラマ内で様々に描かれているのです。

 

 ドラマ冒頭で登場するのが、陰陽寮で天体観測する安倍晴明であるところは意味深です。超自然的なものに対する当時の人の意識を大事にしていますよ、という制作側の宣言とも受け取れます。しかし一方で、観測結果に対し不吉なのではと恐れる部下たちに対して晴明は、「雨だ」と現実的な予言(?)のみ口にします。超自然のことを大事に扱いつつ現実的な判断を下す…という塩梅が、このドラマでのスタンスなのだと示してると思われます。安倍晴明は第一回を通してかなり現れます。その姿は、兼家に色々具体的な策謀を依頼されるという、かなり現実の生臭い権力闘争に関わる姿です。

 詮子入内の日の晴明宅落雷事件についての人々の反応も様々です。不吉な兆しだとする人々、それを祓うためにも何か晴明宅に何か手当した方がいいのではとする人、天変地異でもあるまいに大袈裟な…とする人。ちなみに大袈裟なは兼家ですが、不吉な印などは自分の都合のために無視する兼家の態度は、後年の一条天皇即位式の生首事件を彷彿とさせます。そして円融天皇自身、安倍晴明にこれからも働いてほしいからと手当を出すように指示。不吉さとかなんとかよりも、臣下のモチベーションアップの方に重心を置いた考え方です。兼家と駆け引きをし政治的意欲の強かった円融天皇らしいとも見えます。

 

 

6.個人的に疑問だったり引っかかったりした件

 さて、いろいろ良かった点・納得できた点を書いてきましたが、気になった点も幾つかありました。

河原は死体捨て場ではなかったのか…?デートスポット的に描写されてたが(まあ道端にもあって然るべきだが)

・兼家の肩を時姫が揉んでたけど、按摩や指圧ってその頃あったのだろうか??かなり現代的な感じを受けた。あと男女共に顔を突き合わせての家族団欒シーンも結構現代的というか。全体に現代風ホームドラマの文法にのっとってる感じは受けた。確かに御簾越しにとかしてるとまどろっこしいのはわかるが…

道がせまっっ!!小路でも12m、大路は24mなので、洛内だとしたら狭すぎる感じ。

 まひろの家の近くは郊外だとして、平安京の紹介画面ではCGで広い道を示して欲しかったなあ

道長のキャラを暴力が嫌いな平和な性格にしてるけど、23歳にしてすでに下級貴族を拉致し脅す事件起こしてるし、他にも色々暴力的なことをやらかしてることが小右記に載ってるのに、どう整合性をつけるのか!?一条天皇にすら色々嫌がらせしてるし、道長が争いを好まない平和な性格というのは…?

 道長が散楽を楽しむシーンは、少右記に記載されている、長和二年の六月の暴行事件、すなわち祇園御霊会の行列に参加していた散楽人たちが、左大臣藤原道長の指示を受けた従者たちから衣裳が破損してしまうほどの暴行を受ける事件と対比させる伏線かもしれない。あんなに穏やかで庶民の娯楽や風刺を楽しんでいた道長がこんなになってしまって…という。

・名前に馴染みがない人が多いと思うのだが、名前表記をもう少し付けて欲しかった。

 たとえば「詮子」が円融天皇に入内したことを知ってる人も「あきこ」と言われると??な人が多いと思う。そのあたり、鎌倉殿ではわざとらしいくらい画面を止めて名前を出してたけど、それくらいしないと混乱する人出てくるのでは。

衣装がカビ臭くなるレベルの湿気を防げない家で、書物は一体どうなってたのか…!!巻物とかが無造作にふきさらしの建物に置かれててヒヤヒヤした。

 

 などなど。

 

 でも総じて、馴染みのない時代をわかってもらおう、親しみを持ってもらおうという努力が感じられたし、権力闘争もしっかり描きそうなので、今後の展開がとても楽しみです。

 

<了>