Topaztan’s blog

映画やドラマの感想や考察をつづっています

屏風・衝立類から読む『鎌倉殿の13人』

 2022年の大河ドラマ『鎌倉殿の13』人では、美術の面でも大変興味深く観ました。衣装や小道具はもちろん、屏風や衝立などの室礼もとても印象的でした。その時代にふさわしい、雰囲気を盛り上げるというだけでなく、それを背負う登場人物の様子の描写にも大いに貢献していると感じられたからです。もちろん様々な制約もあったでしょうし、全てが意図的に配された訳ではないでしょうが、それでも絶妙に合ってるなあと思わされることが多かったです。また逆に「この時代にはないだろう」というのも発見し、それも面白く思いました。以下に詳しく述べていきたいと思います。

 

平安末期〜鎌倉時代の屏風の特徴

 

 初めに、鎌倉殿の時代、平安時代〜鎌倉初期の屏風についてご説明します。

 屏風の歴史は古いのですが、914世紀までの作品で残存している古屏風は極めて少なく、10点ほどしかありません。そして我々が見慣れている屏風類とかなり異なります。

 普通、屏風というと一枚の横長の絵を蛇腹に折り畳んだようなものを思い浮かべると思います。しかし古屏風は縦長の絵を何枚も繋いだもので、それぞれに縁取りがあります。鎌倉殿に出てくる屏風も全てそうです。これは画面が絹地であったことからの制約から来ていますが、後に紙地に移行して紙の蝶番が工夫されたことにより、六扇一括縁取りの屏風が生まれたとのことです(渡邉裕美子『歌が権力の象徴になるとき 屏風歌・障子歌の世界』(角川学芸出版2011))

 

 この頃の屏風について、『鎌倉時代の屏風(<特集>屏風)(家具道具室内史 : 家具道具室内史学会誌. (2) 家具道具室内史学会、2010 )に挙げられているものを若干説明を加えて紹介したいと思います。

https://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_10481178_po_ART0009701116.pdf?contentNo=1&alternativeNo&fbclid=IwAR2aq1RFD92KEJpOCRAs0rVeN8SJVxwbpwohRWrkoVw-bKqaRYyHwVVXJqA

 

・東寺旧蔵山水屏風(11世紀、平安時代) 国宝、京都国立博物館所蔵

 唐代の絵画に倣う擬古的な作風。唐絵屏風と考えられる。

 

e国宝 - 山水屏風

 

・山水屏風(鎌倉時代初期) 国宝、神護寺所蔵

 上記と対照的に、寝殿造の邸宅などを大観的な山水景観の中に散在させる。やまと絵屏風と考えられる 

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E8%AD%B7%E5%AF%BA

(Wikipedia 神護寺の項目より)

 

 

・山水屏風(11世紀) 重文、高野山金剛峯寺所蔵

 山や木々を配し、神泉苑を描いたもの。

 

高野山水屏風(鎌倉時代) 重文、京都国立博物館所蔵

 高野山の山頂伽藍を整然と描いたもの。六曲一双の大きなもので、豊かな自然と人物と共に描かれている。

 

e国宝 - 高野山水屏風

 

・山水屏風(14世紀)重文、醍醐寺所蔵

 やまと絵山水屏風。長閑な景色の中に人物を配する

 京都 醍醐寺 文化財アーカイブス|醍醐寺の国宝・重要文化財

 

 

 これらは鎌倉殿のドラマの屏風を作る上で参考にされたものと思われます。

 

鎌倉殿での屏風・衝立

 

<頼朝>

・公的空間

 頼朝は大人数を謁見する広間では、黄色を基調とし、緑の山と朱塗りの建物を俯瞰的に配した華やかな屏風を用いています。それまで出てきた東国武者の使用してきた屏風にはない華やかさ、大きさで、大倉御所に入った頼朝の権威を強く印象づけます。色紙形も見られ、何らかの歌が書き付けられていると思われます。このような立派な、屏風歌をつけた屏風は相当の権力者でないと発注できないもので、平安時代には天皇や有力貴族しか発注していませんでした(『歌が権力の象徴になるとき 屏風歌・障子歌の世界』より)。まさに美と権力を誇示するためのものだったわけです。

 

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第12話。“13人衆の文官3人も合流。(左から)大江広元(栗原英雄)中原親能(川島潤哉)二階堂行政(野仲イサオ)(CNHK スポニチ Sponichi Annex 芸能

 

 実はこれ、平清盛が使っている屏風と全く同じなのです。この屏風を頼朝が使い始めたのは清盛が生きてる時で、完全に被っていると言えますね。まあ、このような立派な屏風をドラマで2つも用意するのは難しいので使いまわしたという見方が妥当かもしれませんが(とは言え、鎌倉殿の大河ドラマ館ではドラマで使われたふしのない六曲双の山水屏風が大倉御所の再現として展示されていたこともあるので全く無理とも思えませんが鎌倉殿の13人『大河ドラマ館』がオープン  体感展示や撮影スポットも@鎌倉文華館 鶴岡ミュージアム」神奈川・東京多摩のご近所情報レアリア)、しかし一方で象徴的な読み取り方もできます。

 頼朝が清盛に成り代わって武士のトップに立つことが事前に暗示されてるとも読めますし、頼朝がその意欲を持ってる表れであるともいえましょう。そもそも清盛と頼朝は、昔に言われてたほど対照的ではなく、清盛政権と頼朝政権の間にはかなり連続性があることは夙に指摘されているところであります。ドラマでも頼朝の天皇外戚化への執念や、日宋貿易への意欲が描かれており、両者の類似性が見られます。

 

 ちなみにこの屏風には、もう一つ秘密があります。タイムパラドックスというか、頼朝や清盛が絶対使わなかっただろうと言える要素があるのです。

 私は初めこの屏風を見た時は、建物の感じから京の様子を描いたものかと思っていました。しかし調べてみると、上に挙げた高野山塔頭を描いた高野山水屏風に絵柄がそっくりなのです。両方とも六曲一双であり、ドラマ版はこれを模したものと見て間違い無さそうです。もっとも明確な違いもあって、高野山水屏風の方は二扇ごとに縁取りしていますがドラマ版は一扇ごとの縁取りです。高野山〜のニ扇一括縁取りは制作時期的に過渡期的な手法なのでしょうが、ドラマ版時点ではまだそのようなやり方はなかっただろうということでそうなってるのでしょう。

 で、真ん中あたりにある、裳階の上の白いドーム型や金色の宝輪が特徴的な建物。有名な多宝塔と思われますが、これは「北条政子が夫・源頼朝の逝去に伴い創建した禅定院の規模を拡大し、金剛三昧院と改めたときに造営することになったもの」(高野山金剛三昧院HPより多宝塔 | 金剛三昧院の魅力 | 金剛三昧院)…つまり頼朝の死後の建物なわけです。他にも描かれた景観や絵画の手法から、屏風の制作年代は128188年の間、つまり頼朝死後90年くらい経った頃ではないかと推測されています。

 これがわかると思わず笑ってしまいますが、おそらく時系列の整合性よりも、支配者にふさわしい華やかで荘厳な雰囲気を優先させたのでしょう。それによって私的空間との対比も強調されます。

 

・私的空間

 公的空間の華やかな屏風と打って変わって、あまり華美でない感じの衝立です。くすんだ金色が基調になっているので非常に地味というわけではないですが、岩山のようなものや黒っぽい木が微かに見える程度。緑は全くありません。親族を粛清していく孤独感のようなものすら伺えるようです。後白河院が私的空間でも、煌びやかな金粉を使った華やかな色目の屏風や障子を用いていたのと対照的です。その衝立の前で我が子を抱き上げたりもしますが、暗い顔をすることが多かった晩年でした。

 

・亀の前との部屋

 亀の前を囲っていた部屋には、上記の屏風類とはまた雰囲気の違う屏風が使われています。和歌を配した色紙形が印象的に、また装飾的に散りばめられており、京文化を示唆しています。亀の前は政子に対して和泉式部の和歌を引用してみせ、暗にそのような和歌の教養が頼朝との間を取り持ったことを示しますが、屏風歌が貼られた屏風もそれを示していると言えましょう。

 

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第12話。亀(江口のりこ)と源頼朝(大泉洋)(CNHK スポニチSponichi Annex 芸能

 

<頼家>

・公的空間

 頼朝時代のあの高野山水屏風風な屏風を引き継ぎ、父の影を強く感じさせます。父の影を背負い、父と比べられるプレッシャーをこの屏風もまた表してると言えます。

 

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第27話。“13人衆を「端から信じてはおらぬ」と言い放つ源頼家(金子大地)(CNHK スポニチ Sponichi Annex 芸能

 

 

・私的空間

 私的空間では頼朝の屏風は使わず、鮮やかな空色の海に千鳥が飛ぶ屏風。頼家の御家人や父のプレッシャーからの自由を求める気持ちが具現化したかのようです。この空間で自分が選んだ若手を集めて語りかけているのも象徴的です。鮮やかな色目は、頼家の着物ともマッチしていますね。(実は大姫の入内のあたりでも少しこの屏風が出ていますが、大姫の華やかな袿に目が引かれてそれほど目立ちません)

 

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第27話。御所・頼家の居室。若手御家人を集め、三善康信(小林隆・手前から2人目)を講師に、政について学ぶ源頼家(金子大地・奥)(CNHK スポニチ Sponichi Annex 芸能

 

<実朝>

・公的空間

 実朝に代替わりすると、もはや頼朝のあの屏風を使っておらず、新しい屏風を使い出しています。よく観察せずともパッと見でかなり色調の違う屏風であることから、二代目の頼家と違い、頼朝の影から脱した段階になったことを視覚的に示していると言えます。建物はあまりなく、緑の多い自然の中に僅かな人間がいる作風は、彼の和歌の作風を先取りしているようです。モデルとなった屏風はちょっと見当たりませんでしたが、強いていうなら醍醐寺の山水屏風が雰囲気が似ていますね。

 

画像・写真 | 【鎌倉殿の13人】源実朝(峯岸煌桜)が新たな鎌倉殿となる 32回「災いの種」あらすじ 2枚目 | ORICON NEWS

 

・私的空間

 屏風は使われておらず、衝立になっています。大和絵と和歌三首が配され、より実朝らしい感じです。屏風歌を記した色紙形も大きく、和歌も全文書いており(おそらく)、頼朝の装飾的な屏風歌と違う感じを与えます。頼朝は和歌をはじめとした京の文化に精通している様子が随所に描写され、それが坂東の女性たちを大いに魅了したことがわかりますが、あくまでも和歌はツールの一つ。実朝の場合ガチで好きであることが、この屏風に配する様子の違いで示されているとも言えます。

 

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」。源実朝(柿澤勇人)(CNHK スポニチ Sponichi Annex 芸能

 

 他にも全体に、置いてあるものなどがかなり実朝独自色を出しており、メモリアルブック(NHK2022大河ドラマ「鎌倉殿の13人」メモリアルブック』東京ニュース通信社2022)の美術の解説ページにある「頼朝を引き継いだ頼家に対し実朝の居室は個性をしっかり主張」(同書208ページ)という解説も首肯できます。

 

 ちなみに吾妻鏡では、和田合戦で焼失した大倉御所が再建されて移り住んだ際に、新御所に用いられる障子絵の風情が実朝の意に合わないため、その点について識者に聴くためにわざわざ使者を上洛させたそうです(太田静六『寝殿造の研究』吉川弘文館1987733ページ)。実朝が京文化はもちろん、室礼にもとても関心があったことが伺える面白いエピソードですね。こちらに見える障子絵も実朝が指示したものかもと思うと楽しいです。

 

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第41話。鎌倉殿の証しの髑髏に誓う源実朝(柿澤勇人)(CNHK スポニチ Sponichi Annex 芸能

 

九条兼実

 34回で失脚した九条兼実慈円と面会するシーンでは、おそらく京の神社に雪が降り積もってる屏風絵が使われています。これは彼が冬の時代を迎えてることを感じさせます。時刻は夕方で、夕陽の物悲しい橙色に照らされており、そこでも彼が斜陽であることを示しています。

 

北条時政

 時政の背後には初期から一貫して、木の板に山野が描かれた野趣ある衝立があります。ひときわ高い山は、もしかしたら富士山かもしれませんが、シルエットが無骨な感じでかなり異なるので、蓬莱山のようにも見えますし、視聴者にはちょっとよくわからない感じです(美術の人の講演会の話では富士山だったそうです)。オフィシャルな場では屏風も背にしていますが、私的空間では伊豆にいた頃と同じものが。立場や衣装は変われども本質的に変わらない時政を表してるようです。

 

北条義時

 義時は最終章になってから真っ黒な富士山を描いた衝立を背にするようになります。富士は言わずと知れた日本一の山で、北条がてっぺんを取ったことを視覚化しているようです。また彼の衣装も真っ黒でそれに合わせた色彩でもあり、彼の「ダーク化」も感じられます。

 ただメモリアルブックでは「黒義時になった義時のバックに置かれた銀色の富士山。父親と一緒にいたいという義時の本音を、美術サイドで示したものだ」(同書206ページ)だと解説があり、美術としては義時と義政の親子の絆の表現としたかったようでした。私としては、まず富士山がテレビ画面ではどう見ても銀色ぽく見えないこと、義政と富士山を同一視するような見方はドラマでは出てこなかったこと、義政の背後の屏風の高い山があまり富士山らしくなかったことなどから、そのようなメッセージを視聴者が受け取るのは難しいと感じましたが、如何でしょうか。

 

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第43話。源実朝の後継者問題に北条義時(小栗旬・中央)はCNHK スポニチ Sponichi Annex 芸能

 

北条政子

 政子の居室については、メモリアルブックでは「頼朝がいた頃は華やかだった政子の居室は、出家後は質素に。本が増えているのも特徴だ」(同書208ページ)とありますが、室礼的に見るとそんなに大きな変化はあるように見えません。向かって右側に飾られていた着物類や鏡が撤去されていること、書籍が増えていることくらいで、視野のメインに入ってくる屏風は頼朝時代そのままです。

几帳も同じく飾られています。

 

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第27話。政子(小池栄子)は出家し「尼御台」に(CNHK スポニチSponichi Annex 芸能

 

 この変化の少なさはむしろ、政子が頼朝の死後も彼を忘れず偲んでいるさまを表してるという見方もできると思います。そもそも歴史上の政子は頼朝の妻としての立場で「後家の力」を発揮した人物であり、頼朝時代との連続性が視覚的に示されるのは適切なやり方のように思われます(ドラマ脚本上ではさほど後家の力は描かれていなかったように見えますが)。頼朝時代から使っていた屏風があまり華美でなく出家後に使っても違和感ないものであったのも、両方に使用できた理由かもしれません。

 また、これは尼御台所になってからかどうかはちょっとわかりませんが、政子の居室の室礼で気付くのは、障子に大きな橋が描かれているところです。常に様々な立場の人の橋渡しをしている政子らしい絵柄といえます。

 

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 以上、主要登場人物の室礼について述べてみました。他にも大庭景親の武張った屏風や朝廷方の華やかな障子絵など見どころが多かったです。

 映像作品は脚本だけでなく、演出や美術の表現するものに負うところが多いのはいつも感じますが、鎌倉殿は本当にそれを感じました。そして視聴者は、それらが表現するものを総合的に感じ取り、ひとつの物語として受け止めているわけです。ドラマは映画などに比べて脚本ばかりが注目されがちですが、そのあたりをもっと意識して観るとより楽しみが広がるように思います。