Topaztan’s blog

映画やドラマの感想や考察をつづっています

光る君へ 第二話感想 〜 親世代と子世代の葛藤

(『意匠図案の栞』6(秋田県内務部、明治36.)国立国会図書館デジタルコレクションより )

 

 第二話も引き続き面白かったです!

 平安時代のイントロダクションも引き続き行いつつ、登場人物のキャラ立てを行っていきそれを今後の展開に結びつけるという、隙のない作り。

 そして今回のテーマは「未熟な子供世代と成熟した親世代の葛藤」だったかと思います。それがどう変化するのか楽しみ。

 一方でどうかなあと思う点も色々。前回に引き続きの点もあれば、今回問題点が浮かび上がったものも。

 以下に述べていきます。

 

 

1.平安時代イントロダクションの続き

◼️国母という概念の登場

 円融天皇の口から「国母」(天皇の母)という言葉が出ました。

 再び愛を受けたい詮子をたしなめ斥けるための冷たい言葉「女としてではなく母として生きよ」の文脈でしたが、後に詮子はその国母としての力を強力に行使していき、それは彰子にも受け継がれます(『小右記』では「国母専朝」と非難まで)。おそらく一般視聴者には馴染みのない、しかし今後の展開の鍵を握る概念をここで出してきたのは上手いなと思いました。

 では、そもそも国母が大きな権力を持つものだという概念は、当時成立していたのでしょうか?詮子以前にも国母として強力な力を持った存在として、たとえば村上天皇の生母の穏子がよく知られています。穏子もまた憲平親王(村上天皇)擁立に大きく関わるなど、皇統や朝廷の人事に深く関わっており、女院の先駆的存在ともみなされています。

「すでに九世紀の検討から高位に登る権能を保持した 皇太后等の地位にある国母が、天皇の政治を実質的に支えて」いたと服藤早苗氏は述べていますが(「産養と王権 : 誕生儀礼皇位継承埼玉学園大学紀要. 人間学部篇、2003)、それを踏まえると円融天皇の言葉はある意味励ましであったとも言えます。

 もっともこの時点では中宮の遵子が皇子を産む可能性もあり、そうなるとどちらの皇子が天皇になるかは未知数で、詮子が国母になれるとは断言できないわけですが…

 

◼️入内すれば娘といえど親の目上の存在になる

 詮子を雲の上の存在になったと言う時姫や、娘と対面しても詮子は畳の上で上座で兼家は臣下的に床に座っているシーンなどで、上記のことが表されていました。また詮子が兼家の意見を聞かず独自の判断を押し通すことも同様です。これは国母となった彰子が父親の言うなりではなく鋭く対立することもあったことの布石のようにも見えます。平安時代を知らなければ、入内しても娘は父親の支配下にあり主体的な判断をしなかったように思われるでしょう。ドラマでどこまで描かれるかわかりませんが、一般的には才気煥発な定子に比べておとなしめで深窓の姫君的なイメージを持たれている彰子が、国母として大きく成長していく姿をぜひとも描いてほしいものだと思います。

 

2.親世代と子世代の対比と葛藤

 

 また今回は世界観の解説以外にも、まひろ・道兼・東宮などの子供世代の未熟さ、父や父的な人物との関係性の微妙さとそれゆえの悲しみが際立つ回でもありました。

 まひろは母を殺された件について、生活の糧を得るために父が下手人を知りながらうやむやにしたことをいまだに恨み、真相究明を求めますが、為時からも、また擬似父的である宣孝からも強くたしなめられます。まひろはそのようなつらい現実から逃れ、自分ではない誰かになれる代筆業に心の慰めと自由さを見出します。しかしそれも父に止められてしまいます。

 道兼は父からの承認を求めてずっと足掻いていましたが、やっと父と2人で遠乗りして親しく語らう時が来た…と思いきや、過去の罪を知っていたと暴露され、天皇に毒をもるという汚れ仕事を否応なしに押し付けられます。

 まひろも道兼も、父との関係が思うようにいかず、父の思惑は自分の思惑と掛け離れたところにあります。まひろが、子を思う親の気持ち歌った歌を読んでもの思いにふける様子を写し出したのは、今回の親子というテーマを強く印象づけるためのものではないでしょうか。ちなみにまひろが読んでいた歌「人の親の心は闇にあらねども 子を思ふ道にまどひぬるかな」は、紫式部の曾祖父である藤原兼輔の歌で、源氏物語でもっとも引用されている歌だそうです。心は闇にあらねども | 小倉山荘(ブランドサイト) | 京都せんべい おかき専門店 長岡京 小倉山荘)

 

 父との関係がギクシャクしているのは詮子もそうです。兼家は詮子と円融天皇の間の皇子を東三条に引き取って人質にするという恐ろしいことを言い出し詮子はギョッとしますが、我が子を守るために、自分の女のプライドの話にして父の提案を退けます(後に天皇の冷たい態度から父の言う通りに親子共に東三条邸に下がりますが)。また東宮は、実父冷泉天皇が亡くなっており、ドラマ内では為時に対して擬似父親のような親近感を持ってる様子が描かれますが、その為時は兼家のスパイとして送り込まれたために辛抱して仕えてるだけであり、本当の心はすれ違っています。どの親子、擬似親子も、うまくいっていません。この親子関係を子世代が超克していくことが、今後のテーマになっていくのでしょうか。

 

3.どうかなあと思った点

◼️いくらなんでも一人で出歩きすぎなまひろ

 第一話では9歳くらいの幼い子供だったまひろですが、第二話では15歳になり妙齢のお姫様に。しかしそれにしては、あまりにも無防備にひとり歩きすぎかと。

 いくら衣をかついでいても目立ちますし、さらわれたり衣服を奪われたりする可能性高すぎです。

 代筆のアルバイトは男としてやってるのですから、いっそ男装して出かけるようにしたら…でもそうしたら三郎と再会するシーンがややこしくなるか。

 また庶民に身をやつしてる設定らしく、市中を歩く時のかつぎが普段着てる袿よりランクが下っぽい麻の着物ですが、両方とも黄色で、色合い的にぱっと見あまり区別がつきません。そこははっきり色を分けるべきだったのではないでしょうか。

 

◼️東宮円融天皇の関係の説明が不親切ー皇統の複雑さを説明しきれてない

 多分、ドラマだけで特に知識のない人は、東宮って円融天皇の息子じゃないの??と疑問に思うと思います。詮子の子がなぜ唯一の円融天皇の子供なのか…?

 そもそも円融天皇の先代の天皇は、円融の兄の冷泉天皇。そして東宮冷泉天皇の息子で、かつ兼家の兄、伊尹の娘が産んだ皇子という立場。なかなか複雑です。兄から弟へという即位の順番、弟の後継に兄の子供が立てられ…などの、父子相続が確立していない時代の皇統の概念も、一般に理解しづらいと思います。

 また先代冷泉天皇には兼家も娘(超子)を入内させており、東宮の異母弟にあたる皇子たち(後に三条天皇になる居貞親王を含む)を産んでいます。兼家は円融天皇の子供の外祖父でもありますが、冷泉天皇の皇子たちの外祖父でもあり、円融系ではなく冷泉系を支持する可能性もあった(倉本一宏『一条天皇』より)わけです。

 そのあたりの入り組んだ関係をもう少し説明してくれるとわかりやすいなあと。

 

◼️唐突な「イエ」概念の登場

 前回の、自分の手を下した道兼のまひろ母殺人事件は視聴者にとって大変衝撃的でしたが、第二回の兼家の説明で、いくら身分が高くても、というか高いからこそ許されない大事件であることが明かされました。

 まひろ母殺人について、当時の「穢れ」概念を理解しない作劇だという批判が第一回で起きました。今回の兼家の解説(?)も、確かに当時の穢れ概念とは違う感じではあります。しかし「あってはならないことであり、揉み消しには相当の代償が必要」ということが、貴族は直接殺人に手を下さない「オキテ」があるのだという言葉でなされたことで、一応現代人にわかりやすく伝わったかと思います。

 自分はむしろ、当時の穢れ概念が正確に描写されなかったことよりも、殺人事件にまつわる話として「家名を汚した」という、中世的なイエ概念を持ち出した言葉にびっくりしました。イエというと、現代人の我々は父から嫡男へと代々相続する中世以降の家を想像してしまいますが、当時はそのような概念が未成立でした。藤原北家、などの「家」という言葉はあるものの、内実はそのような中世以降の家と違っており、古代的なウジ概念で理解する必要があります。なので兼家は急に中世的な発言しだしたなあ…とびっくりしたわけです。

 

◼️ステレオタイプな「陰湿な陰口を言いかわす女性の集団」描写

 

 女房たちが扇の下で、キサキの寵愛をめぐる下世話な噂話をする描写、少し引っかかりを覚えました。

 いやまあそういうことする人も多かったでしょうが、あまりにも従来的なイメージ通りと言いますか。まひろなどとの対比をしたいのでしょうが、給湯室でキャピキャピくだらない噂話するOLのような描写と言いましょうか。紫式部日記でも確かに先輩女房たちに陰口を叩かれて大変ショックを受ける描写がありますが、そのようなことは女房ばかりではなかったはずです。たとえば天皇のキサキへの寵愛をめぐる陰口といえば、『大鏡』で藤原公任が、東三条殿の前を通る時に、立后されていない詮子をさして「この女御は、いつか后にはたちにたまふらむ」と揶揄したと伝えられますし、『宇治拾遺物語』では村上天皇の御代に、重明親王の子息の外見や振る舞いが変わっていたので、「青常の君」と公達が仇名をつけて嘲笑っていたことが伝えられています。

 宮中の陰口描写では、公達の振る舞いは描写せず女の集団は陰湿な陰口が好きというステレオタイプの描写のみをするのは、いささか古いドラマの描写のように感じました。

 

**********

 

 第一話第二話とテンポよく話が進み、これからも期待できそうな感じです。今後も楽しみに観ていこうと思います。

 

 

参考文献

倉本一宏『一条天皇』(吉川弘文館、2003年)

呉座勇一『日本中世への招待』(朝日新聞出版)、2020年)

林保治、増古和子『新編 日本古典文学全集50・宇治拾遺物語』(小学館、1996年)

服藤早苗『藤原彰子』(吉川弘文館、2019年)

 

 

<了>