Topaztan’s blog

映画やドラマの感想や考察をつづっています

「実朝まつり」に行ってきた!

(大聖山金剛寺の実朝像(当記事の写真は筆者撮影))

 2023年11月23日(木)、秦野市で開催された実朝まつりに行ってきました!諸事情あって一部分しか参加できませんでしたが、とても楽しかったです。

1.実朝まつり概要

 

 源実朝を敬い後世に伝えるとともに、源実朝公御首塚がある東地区を盛り上げようと1987年から毎年行われている催し「実朝まつり」。コロナ禍の影響で2019年を最後に中止となっていたが、4年ぶりに復活することになりました。

(出典

11月23日「第36回実朝まつり」@秦野市田原ふるさと公園 – 神奈川・東京多摩のご近所情報 – レアリア)

 

実朝まつり | はだの旬だより-秦野市観光協会

 

・式典=境内で9時20分〜10時

 法要・献茶・献吟など。

・キッチンカー・模擬店=中丸広場で10時〜15時。キッチンカー10台出店。

・展示=源実朝金剛寺所蔵品展示(金剛寺境内阿弥陀堂内・10時〜14時30分)

・催し=野点(境内・10時30分〜14時30分)、西田原太鼓保存会(10時15分〜10時30分・11時55分〜12時10分)、東小学校鼓笛隊演奏(10時30分〜11時)、稚児武者行列(往路・11時〜11時20分)、さんさの会踊り(11時20分〜11時45分)、稚児武者行列(復路・11時45分〜11時55分)、民謡踊り(13時10分〜13時40分)、東田原太鼓蓮(13時40分〜13時55分)、神輿パレード・東太鼓連(13時55分〜14時30分)

・各種ブース=中丸広場で10時から14時30分(交通防犯コーナー・東体育協会コーナー・民生児童委員コーナー・社会を明るくする運動コーナー・1日交番コーナー・秦野市消防団コーナー・郵便局コーナー・福祉施設コーナー・若木保育園コーナー・特産品コーナー・実朝まつり写真展)。

 

アクセス: 小田急線秦野駅から『バス』【秦23】「くず葉台経由藤棚行き」
または【秦26】「くず葉台経由神奈川病院循環秦野駅行き」で約15分、「中庭」下車、それぞれ徒歩約5分ほど

 

2.実朝まつり紀行

 

1)秦野駅から

 小田急線秦野駅着。かなり大きな駅でびっくり。

 南口北口どっちに行けばいいのか分からず、駅員さんにバスの番号を告げて教えてもらいました。

 階段を降りていくと、ちょうどバスがあったので乗り込むと発車。

 しばらくしたら、山の方へ向かう細いくねくね道を行く。ポツポツと「実朝まつり」ののぼりが道端に翻り始め、気分を盛り上げます。(写真ののぼりはお祭り会場近くのもの)

 15分ほどするとバス停「中庭」に到着。バス停から左手すぐが金剛寺、右手に行けば実朝様の首塚のある公園。わかりやすいです。

 

2)大聖山金剛寺〜実朝生前からゆかりのあるところ〜

 

 まず金剛寺にお参り。丘陵のふもとにあるお寺です。割とあたらしめのお堂です。

 

 金剛寺については、 『金剛寺由緒書』や『大聖山金剛禅寺縁起並ニ沿革』、『新編相模国風土記稿』などで詳しく創建のあたりが書かれていますが、微妙に異なっています。

 

 『金剛寺由緒書』

 元々あった寺の建立年は不明。建保年間に、実朝が帰依していた浄妙寺の住職道樹禅師が中興し開祖に。承久元年正月二十七日に実朝が殺され、三浦介常春が首を当寺に持参して道樹禅師が埋葬。実朝の法号にちなんで金剛寺と改める。建長二年に波多野忠経が石造の五輪塔に変える

 

『大聖山金剛禅寺縁起並ニ沿革』

 建保六年一月二十八日、実朝が頼朝の念持仏であり源家守護の地蔵菩薩像を、戦乱の多い鎌倉から遠ざけて安置するためにこの地の大山寺を選び、波多野忠経に運ばせた。大聖山金剛寺と名を改める。承久元年実朝暗殺の後、首を取得した三浦介の武常春がここに首を運んで葬る。三月九日には実朝法華堂の阿弥陀三尊(頼朝が白河で得た)を、特に尊崇していたとのことで政子の命にて移し、入仏供養と転読が行われた。実朝死後32年経った建長二年に波多野忠経が金剛寺塔堂を修復拡大し大伽藍をたて三十三回忌、道樹禅師十三回忌取越を行い、また実朝の木の五輪塔を石の五輪塔に換えたとのこと。

 

(出典 『秦野市史』第1巻 (古代・中世寺社史料) 本編(秦野市、1985年)

 

『新編相模国風土記稿』

 大聖山と号す。承久元年実朝が討たれた時、武常春が首を持参し、退耕行勇を導師として葬り、これをもって行勇を開山とし実朝を開基とする。

 

(出典 間宮士信 等編『新編相模国風土記稿』第3輯 大住・愛甲・高座郡(鳥跡蟹行社,明17-21)

 

 金剛寺という名は、実朝の死後彼の法名にちなんでという説と、実朝生前からそういう名前だったの二種類の説が伝わっています。由緒書や縁起の「道樹禅師」は行勇のことのようです。また縁起書で実朝の法華堂から政子の命で当寺に移された阿弥陀三尊像は、元々頼朝のものでそれが実朝に引き継がれたという書き方ですが、後で述べるように、様式の点から実朝死後の作と現在では推定されています。

 

 また小野寺八千枝『槐門遺芳』(飯尾謙蔵,昭13)によれば、金剛寺は長らく荒廃していたのを、大正8年の実朝公七百年歳の折に村民有志で奉斎会を起こし修繕→大正12年関東大震災で倒壊してまた再建 という経緯を辿ったそうです。(もっとも明治初期には仮の小学校として数百人の児童を本堂に収容していたと言います) 秦野市史 第4巻 (近代史料 1)(秦野市、1985年)

 

 本堂では本尊と、実朝様好きには有名な!!あの実朝様の木造が鎮座していました。

 思ったよりずっとこぢんまりして、かわいらしい。そして彩色は失われていますが、キリリとして高貴な青年といった感じが伝わってきます。

 上の方にはお釈迦様が。

 

 お坊さんに伺ったところ、お釈迦様は室町時代くらいの作で、もともとあった仏像は江戸に遷され、それは空襲で焼けてしまったとのこと。その時は詳しく伺えなかったのですが、先に挙げた『縁起書』を見ると、江戸のお寺は恵日山金剛寺のようです。創建から130年ほどたったとき(筆者註 応歴年間とあるが暦応の間違いか)、江戸下野入道心佛が江戸小日向郷金杉村(現文京区)へ地蔵尊などを伴って移して金剛寺と名付けたとのこと。文京区は昭和19〜20年の大空襲で区内の大半が焼失しており、空襲で焼けてしまったというお話と合致します。元の地蔵尊を見てみたかったなあ。

 

 掛軸が展示してある部屋に行きました。

昔の境内地図などがありました。鎌倉右大臣の歌の掛軸も。

 一旦外にでて阿弥陀堂に。

 「実朝念持仏」との由緒が伝承される木造阿弥陀三尊立像が公開。

 中尊の阿弥陀如来立像は、鎌倉時代中期の阿弥陀如来立像の形式に倣った室町時代後期から江戸時代初頭の作とみられ、ある時点で補われたものと推定。両脇侍の観音・勢至菩薩立像は、鎌倉幕府三代将軍源実朝の没後間もない頃に御家人波多野氏らを中心に供養のために造立されたものと推定されています。2022年に市の重要文化財に指定されています。

(出典:秦野市HP

https://www.city.hadano.kanagawa.jp/www/contents/1662439356690/index.html)

 

 由緒書や縁起書では、頼朝が尊崇していたのを実朝が引き継いで念持仏とした、という記述でしたが、秦野市HPでは実朝様没後まもなく制作されたとされていますね。

 こちらも調べてみましたが、菩薩像の特徴が承久三年以降の快慶作品に見られる特徴や快慶工房の次世代の行快から採用される形式が見られたりするなどするという指摘があり(大澤慶子「鎌倉・教恩寺阿弥陀三尊像と快慶」成城美学美術史, 118-96, 2010) 、それらの特徴から実朝死後の作と推定されたものと思われます。

 

 両脇侍の観音・勢至菩薩立像は、たおやかな雰囲気で体をゆるくひねった姿。衣のドレープも動的でいきいきしており、優雅です。

 

 御堂には実朝の木造五輪塔(実物は鎌倉国宝館)の復元物や、廃仏毀釈を逃れるために金剛寺に遷された仏像も公開されていました。

 

3)首塚

 

 金剛寺を出て、道路を挟んで向こう側の小道を進み、畑の中を通り過ぎると…

 実朝様の首塚のある公園へ。

 やっとお会いできました!!!

 「武常晴は三浦氏が公暁を討ち取るために差し向けた家臣の中の一人で、公暁との戦いの中、偶然に実朝の御首を手に入れました。その後、何らかの理由により首を主人である三浦氏のところへ持ち帰らず、当時三浦氏と仲の悪かった波多野氏を頼り埋葬したと伝えられています。

 その後、波多野忠綱が実朝の厚い帰依を受けていた僧、退耕行勇を招いて御首塚の近くに金剛寺を建て供養しました。その際、木造であった御首塚五輪塔を石造に代えたと云われています。なお、首塚を飾っていたと伝えられる五輪木塔は、現在、鎌倉国宝館に収蔵されています。」

(秦野市HPより)

 

源実朝公御首塚 | 秦野市役所

 

 実朝まつりということで、たくさんお供えがあります。さっきまで紅白の幕がありました。おめでたい感じ。

 

 先に引用した『槐門遺芳』,(昭13.)によれば、当時は畑の中の杜の中にあり、あたりは暗く、側には楠、苔むしていたそうです。今の明るさとはだいぶ違いそうですね。

 

 公園内には、植物にちなんだ実朝様の歌がたくさん。

 

園内のパネルを見ますと、実朝公八百回忌の際に作った植物園とのことです。

  

 また首塚のそばには、2000年の発掘調査で波多野氏に関わると見られる鎌倉時代の城主の館跡が発見されたそうです。

 発掘詳細や首塚との位置関係はこちらのリンクが詳しいです。

https://www.city.hadano.kanagawa.jp/www/contents/1001000002351/simple/2014akitokubetsuten.pdf

 

 高台になっているところで出店やキッチンカーがぐるりと並んでいて、そこで実朝まんじゅうを売ってました…が!売り切れ!!残念!!!

 市民の踊りがあったり、金魚掬いやりんご飴などがあったりして、近隣の方がたくさん集まっていて、地元で愛されてるお祭りという感じでした。

 

 公園内にある農産物直売センターへ。そこで念願の実朝漬と、秦野市産の青パパイヤを使った福神漬を購入。実朝漬はピリ辛福神漬はさっぱりしてて、両方ともとても美味しかった!!

 今回は家の事情で午後少ししか参加できなかったけども、次は全部参加したいです。

 

<了>