- 1.「国立国会図書館デジタルコレクション」は素晴らしいぞ
- 2.よく見えない〜善光寺に問い合わせ
- 3.図書館でそれっぽい本を調べてみる
- 4.写真集実物を入手・「みを」をパートナーに解読…そして急展開
- 5.改めてググったら…衝撃の真実
- 6.結論
1.「国立国会図書館デジタルコレクション」は素晴らしいぞ
きっかけは、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の源実朝論ブログを書くために、国会図書館デジタルコレクションを調べてた時のことでした。
このデジタルコレクション、マジで宝の山です!昨年2022年12月にリニューアルされて、全文検索可能なデジタル化資料が5万点から247万点へと激増。特に戦前期の書籍はログインなしで全部閲覧可能なのもたくさん。上記のブログ記事はこれなくしては完成しませんでした。
https://internet.watch.impress.co.jp/docs/yajiuma/1466227.html
それにしても昨年の実朝様にすっかり魅了されて色々調査考察をはじめ、明治以降の実朝の受容を調べたいと思ったその1ヶ月くらい前に、その時期の多くの書籍が全文検索できるシステムができたって、何という素晴らしいタイミング。運命を感じます。みなさんもぜひ、好きな言葉で調べてみてください。時間溶けまくりますぞ。
しまったつい国会図書館デジコレの宣伝に熱がこもりすぎた。で、「実朝」でサーチしてたら、驚くべきものを発見。
なんと、大正5年発行の『善光寺別当大勧進写真帳』なる本に、「右大臣実朝卿消息」という写真が、北条政子の御消息と一緒のページに記載されてるじゃないですか。
さ、実朝様の消息ですとおおおお!????
しかもなげえっっっ!!!
もう早速、フガフガ鼻息荒くダウンロードしました。
さて一体なんて書いてあるのかな…誰宛なのかな…
じっ…
じっ…
うむ。全然わからん。
これは実物を見るしかないのでは…?しかし国会図書館まで出かけるのもなあ…家からめっちゃ遠いんだよ…
でも、ふと冷静になり。
これそもそも、本当に実朝様の真筆なのか?実朝関連の書籍とかで全然触れられてるとこ読んだことないんだよな…もしかして偽書?
という疑いが頭をもたげてきたのです。
試しに「右大臣実朝卿消息」「実朝 善光寺 消息」でググっても全くヒットせず。
手元にある実朝関連書籍や、三大実朝特集雑誌(私が勝手に命名)『鶴岡 臨時増刊源実朝号』(鶴岡八幡宮社務所、1942年)、『太陽(1977年9月号no.173)』(平凡社)『毎日グラフ別冊 鎌倉八百年 八幡宮鎮座と歌人実朝』(毎日新聞社、1992年)などを見ても、全くなし。
ちなみに実朝の自筆書状としてはこちら高野山金剛峯寺所蔵の書状(大田庄に関するもので後鳥羽上皇の側近西園寺公経に送ったもの)が『鶴岡』に載ってました。(同じものが『太陽』にも)
じゃあ一体この善光寺の消息は何なのか…本当に実朝様の消息なのか?今も善光寺にあるのか?そして何が書かれてるんだそもそも…??
というわけで、この謎だらけの消息の正体を探る旅に出たのです。
2.よく見えない〜善光寺に問い合わせ
そこで私は自分が何を知りたいのか一回整理してみました。
①これが実朝の真筆なのか知りたい。
②もし真筆なら、何が書いてあるのか知りたい。
つまり①が真筆でなければ、別に②を知る必要もそんなにないわけで。ということは一旦②を後回しにして、①について調べよう。
①については、どこかに自分がまだ知らないだけで研究が既に行われてるんじゃないかなと考えました。なので Google Scholarでもう一回検索。やっぱりヒットせず。
で、もし善光寺がまだ所蔵してるのであれば(上記大勧進写真帳発行の大正5年以降,、なくなったりどこかに移転したりしていなければ)、善光寺の方である程度把握してるんじゃないかな…と考えました。そもそも展示してるかもしれないし。
ということで、善光寺宝物館HPを閲覧。
「当山は昔より永く別当と大勧進の両職権を持っていたため善光寺に関する貴重な史料や宝物が多数あり、 その数は三千数百点にもおよびます。宝物館には常時150点ほどが展示され時々入れかえてご覧いただいております。」
なるほど、そんなに所蔵してるのか…で、「宝物演出品目録抄」の項目を見てみることに。
・武将関係
能登守平教経指物、武田信玄寄進状、尼将軍政子消息文、武田信玄位牌、上杉謙信位牌
(下線は筆者)
とあり、政子の消息の記述はありました!あの写真の消息かどうかはさておき。でも、実朝のは言及なし。むーん…「抄」に漏れたのか…?
では、と、直接確認の電話をしてみました。以前、永井路子がどの吾妻鏡を参照していたのか知りたくて古河文学館に確認電話した時に、おそらくデータベースを検索して丁寧に教えていただいたことを思い出しながら…
ところが。
善光寺の場合、担当者不在のためよくわからないとのこと。がっかり。
あとから思えば、ここで担当者(学芸員?)がいらっしゃれば、話は一発で済んだのだと思います。運が悪かったなあ。
3.図書館でそれっぽい本を調べてみる
じゃあいいや、①については、自分で解説が載ってそうな本を探すわ。
ということで、善光寺の宝物の解説書や目録的なものはないか探してみました。善光寺大勧進写真集で検索したら、このような本がヒットしました。
(書影:Amazonより)
これは…なんか期待できそうですぞ…!!
調べたら、所蔵してる図書館は限られてるっぽい。古書で流通してないこともないけどすごい高い。てことはやっぱり多少不便なところでも図書館で借りるしかないか…
ということで、自分ちからやや遠い図書館(でも国会図書館ほどは遠くない)まで頑張っていきました。
そして閲覧…ドキドキ…無駄足でないといいが…
結果は、
ナシ!!!でした。
まあ、その本には宝物全てが載ってるわけでも、全目録があるわけでもなく。当時大事だと思ったものが選ばれてたわけで、実朝消息はその選から漏れてたようです。しょぼん。
序文に、近年まで整理がされてなかったと書いてあったから漏れたのかなあ…
うーむ…こうなったら基本に戻って、①を確認するのを先にしよう。
4.写真集実物を入手・「みを」をパートナーに解読…そして急展開
ということで、研究や解説書を探すのではなく、原文を先に解読してみようとしました。で、古書店で実物を入手!あるところにはあるもんやなあ。
やっと、実朝様(仮)の文章が読める…!
興奮をしずめつつ早速接写してみる。パシャ。
おおおっ、ちゃんと文字が読める!!!読めるぞ!!!!
しかしここで最大の問題、自分は古文書学をやってなくてこういう字を読めないというのが立ち塞がりました。大学んとき古文書学の講義ととっときゃよかったよ…入門書買ったけど、ちょっと読んでから積読山脈に埋もれてるし。
うーむ…どうすりゃいいんだ…
で、思いついたのがくずし字解読の「みを」という、2021年リリースのアプリ。写真に撮るだけでくずし字が読める!と話題になりました。めっちゃ助かる!!!
https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2108/31/news113.html
読み込み開始!
あれ、あんまりわかる言葉にならない…
明度やコントラストなどをあげてみましょう。おっ、今度はいい感じに読み込んでこんでくれた。
それでもあんまり文章になってないな…所々単語はわかるけども。
でもこれ、なんか実朝様っぽくなくね??
「たまふ」とか「ままむすめ」なんて使うかなあ???
物語っぽいよな…継娘って落窪物語かな…
さらに手がかりを探して目を凝らします。…え、もしかして「ははきぎ」「帚木」!?
源氏物語の帚木…ということは継娘は軒端荻か?それなら空蝉というワードもあるか…?
でもアプリでの読み込みでは空蝉という語は検出されず。ということで、原文も目視で見てみます。すると見つかりました!
「うつてみ」→「うつせみ」…「空蝉」やこれ!!ビンゴおおお!!!
そう仮定して他の部分も原文を見てみると、源氏物語「空蝉」に出てくる和歌とおぼしき箇所が見えてきました。
もう確実ですね。いや〜「みを」との共同作業でここまでわかるとは。しかし地の文章を見ると、「空蝉」そのものではなく、その要約というか解説のようです。
実朝様、源氏物語研究してたんか…?
んなわけなかろうと思いつつ、ネクストステージへ。
5.改めてググったら…衝撃の真実
で、「実朝」「源氏物語」でググり直してみました。
そしたら…なんとこの消息ドンピシャの解説文がヒット!!!!
滝澤 貞夫「善光寺の『紙本墨書源氏物語事書』の紹介と考察」(『中古文学 vol.40』(1987年11月))
https://www.jstage.jst.go.jp/article/chukobungaku/40/0/40_54/_pdf/-char/ja
まず正式名称からして全然違った。そりゃあ「実朝」「消息」でヒットしないわけだ。
滝澤氏がこれを書くにあたっての背景を読むと、昭和61年11月18日大勧進で開催された茶道関係者の秘宝展で公開されたのを見たのがきっかけとのこと。これは鎌倉時代初期書写であることが確実な上、紫式部石山参籍伝説を記す現存最古の資料であること、『源氏大鏡』 へと発展して行く前段階の貴重な姿を示していることなど、貴重な史料であるにも関わらず、国文学界にほとんどその存在が知られていなかったらしい。そこで滝澤氏は改めて本文書を調査し、この考察を書いたとのこと。
で、滝澤氏によって判明したことが以下の通り(抜粋)
・紙本墨書源氏物語事書とは、所蔵者が仮に命名した書名であ って、本書のどこにも記されているものではない
・大勧進に、いつ どのようにして伝来したのか、その事情も、全く不明
・筆者について
本書末尾に「右此抜書 富士山之麓蓮台法師 露のやとりして 物の噂せし 次而仏前数巻の諸経 手にとりみるに つれづれのあまり むらさきか心をもちて いま又経裏をひるかへし 雨一(焼孔)一かこち 枕をそはたて 筆毛にまかせ かたはしおもひ出し 無覚束も記之 名は鎌倉辺の主とも云つへし 後見には見しる者もあるへし いつれも反古にもせよかし
□永元年梅月日実朝抛筆」とある
ではこの「実朝」とは誰か?
→高野山の実朝書状と筆跡が異なる・本人の言葉としては不自然な文言であることから、源実朝本人の筆ではない。同名の人物か、源実朝の名を使った偽書であるか。
あっ
やっぱり、実朝様のじゃない!!!
なるほど…なるほど…
でも、色々事情がわかってよかった。
ちなみに国立国会図書館デジタルコレクションで調べると官報 1934年(昭和9年)1月30日に国宝指定とありました。国宝?となりましたが、これは旧国宝(1897-1949)の国宝であって、その間に国宝指定になったものは1950年の文化財保護法で一旦全て重要文化財になり、それから改めて国宝がその中から選定されたそうです。その旧国宝指定の官報掲載時に、既に右大臣実朝卿御消息ではなく紙本墨書源氏物語事書の名前になっていました。大正5年から昭和9年の間に調査が行われたのでしょうか。でもまだ「実朝ノ奥書アリ」都あるので源実朝の筆と思われていたようです。
そしてこの正式文書名でググると、長野市文化財データベース デジタル図鑑がヒット。現在本文書についてわかっていることが記載されていました。(これ、検索窓に「源実朝」と入れても出てこないので注意です。「実朝」じゃないと出てこない。)そしてこちらでは、制作年代が滝澤氏が想定した建永or文永元年ではなく、貞永or文永元年になってました。
6.結論
私が国会図書館デジタルコレクションで見つけた、大正5年に発行された『善光寺別当大勧進写真帳』掲載の「右大臣実朝卿消息」の正体がわかりました。
<紙本墨書源氏物語事書>
・昭和9年重要文化財指定
・所在: 長野善光寺
・制作年代: 鎌倉時代(貞永元年(1232)か文永元年(1264))
・天養2年(1145)に書写された維摩経の裏に書かれているもので、紙数18枚の巻物になっている。巻末には「富士山麓に露の宿りをしてものの噂をしたついでに、仏前の経巻の裏に書きつけた」という意味のことが記してあり、最後に「□永元年梅月日実朝抛筆」とある。
・その「実朝」だが、奥書の中に「名は鎌倉辺の主とも云うべし」とあるが源実朝とは別人。
・源氏物語の由来、巻数、作者、内裏(だいり)の名称などの解説、巻頭の桐壺以下3巻のあらすじと、その巻名の出所などの説明が書いてある
・「事書」が大勧進に伝来した事情は不明
詳細検索 | 長野市文化財データベース 頭で感じる文化財 デジタル図鑑(頭感)
いや〜ここまで辿り着くのに結構時間かかりました。というか、善光寺の学芸員さんと電話がつながったら多分もっと早く解決していたと思います。
でもそうならなかったおかげで、謎の文書を解読する面白さを知り、そこから思いもかけない真実に辿り着くことができて、楽しい周り道でした。
他にも「伝 源実朝筆」的なのはちょいちょいあるので、その真実を探す旅を、時間ができたらしていきたいと思います。
<了>