Topaztan’s blog

映画やドラマの感想や考察をつづっています

ドラマ『ロキ』とファシズム

 昨年からディズニープラスで配信されているドラマ『ロキ』について以前分析しましたが、このドラマでは大変興味深いことに、「ファシスト」という言葉が登場しました。

  その言葉を発したのは「シルヴィ」という登場人物です。彼女はTVA(時間変異取締局)に、TVAが定めた時間軸を逸脱した罪、そしてTVA職員を襲いTVAを転覆させようとしている罪で追われる身でした。周囲を警戒するシルヴィに対してロキが「疑り深いな」と言った際に、彼女は「あなたを雇った全能のファシストたちからずっと逃げてるんだから当然でしょ」と返しました。

‘It must have started when I spent my entire life running from the omniscient fascists you work for.’

(ちなみに字幕では「あなたを雇った連中に追われ続けているから」となっており、「全能のファシストたち」という表現がすっぽり抜けています)

シルヴィは少女時代に突然訳もわからずTVAに捉えられ、裁判の際に機転を効かせてどうにか逃れますが、それ以降ずっとTVAに追われ続けてきました。その残酷さ、理不尽さをもって、TVAファシストと表現したわけです。

 また彼女はその後、TVA職員自身すら変異体であるということ、黒幕の「タイムキーパー」たちが彼らの記憶を消して、あたかも元からTVA職員であるかのような記憶を植え付けて働かせていたことをロキに明かしました。これらにより、善の側と思われていたTVAが完全に悪どいことをしていること、TVAが説いていることは嘘であることが判明したのです。彼女の「ファシスト」発言にはそのような背景もあったわけで、第3話は、今までの視聴者の見方がことごとくひっくり返る重大な転換点でありました。


 このように重要な局面で用いられた「ファシスト」という言葉ですが、我々の世界でもだいぶ前からよく目にしている言葉です。今年のロシアのウクライナ侵攻でのプロパガンダで用いられたのはもちろん、以前から様々な指導者のファシスト的な側面が指摘されてきたりと、現代人にとっても決して遠い話ではありません。

 では、シルヴィがTVAファシストと呼んだことにどれほどぼ妥当性があるののでしょうか?あるとすればTVAはどのような点がファシスト的であると言えるのか?またそのような組織を、現在このドラマで描く意味合いはどのようなものがあるのかということを、ここで考察していきたいと思います。


  

.歴史的現象としてのファシズムとの比較


下からの運動の欠如とカリスマ指導者の不在


 ファシズムとは、一般的に使われている割にはなかなか定義しづらい言葉です。時代や地域によってファシズム的体制と見做されるものは実態が様々で、また研究者によっても絶えずその定義が議論されているものだからです。しかし大まかな共通認識は存在します。

 たとえば近年刊行された『ファシズムの教室』(田野大輔著、大月書店、2020年)では歴史的現象のファシズムについて以下のように書かれています。「第一次世界大戦世界恐慌による混乱を背景に、ドイツやイタリアなどで台頭した独裁的・全体主義的な政治運動・体制を指し、議会民主主義の否定、偏狭な民族主義や排外主義、暴力による市民的自由の抑圧といった特徴をもつものである」 またより本質的には、ファシズムは強力な指導者のもと、集団行動を展開して人々の抑圧された欲望を解放して外部の敵への攻撃に誘導するというのが根本的な仕組みであるとしています。


 このような説明を見ると、TVAには、実際の歴史的ファシズムに存在するいくつかの要素が決定的に欠けていることに気付きます。

 まず、民衆自身の内的動機からの関与がありません。TVAはその創始者にして支配者たる「あり続ける者」が一般人を魔法で洗脳して作り上げた組織であり、別に「あり続ける者」が彼らの欲望を解放して敵を攻撃させているわけではないのです。また上記の理由から、TVAは歴史的な経緯をなんら背負っておらず、民族主義自体が存在しません。ナショナリズムの高揚や、特定の民族や属性の排除や憎悪もなく、職員はひたすらTVAへの忠誠を誓って、淡々と変異体逮捕の仕事をこなしているだけです。(例えば古典的ファシズムでは反共産主義が主要なスローガンで、現代見受けられるファシズム的運動にも反共の要素がありますが、当然TVAはそのような政治属性の関連はありません

 その忠誠心にも、多くの職員には熱狂的なものは認められません。確かにTVAにはプロパガンダがあり、建物の中央にデカデカと飾られてるのはタイムキーパーたち3人の彫像ですが、彼らは職員に向かって演説したりすることはなく、彼らの姿や声に接することができるのはごく限られた上層部だけです。むしろタイムキーパーに関して一般職員が詮索することは、たとえ好意からにしろ好まれていないようです。そもそも「あり続ける者」が「タイムキーパー(複数)」という偽の存在を創り出して表向きのトップに据えてること自体が、大衆を牽引する、唯一の強力でカリスマ性に満ちた指導者というファシズムステレオタイプからだいぶかけ離れているといえましょう。


 こうしてみると、一見TVAファシズムを結びつけるには証拠不十分なような気もします。民衆の動員がその内的な動機の代わりに魔法による強制的洗脳による偽の記憶植え付けで、記憶が元に戻ると、あるいはそのカラクリが分かると、たちまち組織に反旗を翻すーというのも、いかにも非現実的な展開です(ちなみに超自然的な力での洗脳あっさりした洗脳からの解放 という展開はMCUで繰り返し描かれており、結構どうかなあと思っています)

 ではTVAファシズムの特徴が全くないのかというと、そういうわけではありません。むしろ多くの点でファシズムを想起させる要素があります。それは上で指摘したように、ファシズム体制を生成する人々の内的な動機の面ではなく、既に出来上がったファシズム体制内の人々の状態の描写に、リアルな特徴が見受けられるのです。


■ 『ロキ』におけるファシズム的体制の特徴1〜権威への服従と個人の責任から解放


 『ファシズムの教室』をみますと、ファシズムの人々への影響としては、どんなに暴力的で非倫理的な行為であろうとも、上からの命令であり皆がしているということでその行為に対する責任が個人に問われることがなくなり、陶酔感の中でそれらを堂々と行なってしまえるという状況に陥るということが指摘されています。本書ではそれを「権威への服従がもたらす「責任からの解放」の産物である」(同書66ページ)と述べています。

 これはまさに、TVA職員が変異体を何の疑問もなくサクサクと「逮捕」(その人が生きている世界からの誘拐と拘束)したり「剪定」したりすることに照応します。たとえばメビウスは日頃の言動からして、強権的ではなく、弱者に寄り添う気持ちを持つ人であることがわかる人物ですが(フランスの教会で出会った少年や、ロックスカートで避難している人たちへの優しい対応など)そのメビウスをして、TVAの「逮捕」や「剪定」は仕方ないことだと思わせていたのです。

 第5話で、シルヴィから変異体の人生を奪うTVAの所業を非難されると、メビウスはこう答えます。

「ずっと自分たちは善人だと思いこんでいた」

「目的が手段を正当化すると思っていると、ほとんどなんだってやってしまう」

 これこそ「権威への服従が責任から解放」している思考形態です。構造的に良心の呵責から職員が逃れられるような仕組みになっているので、メビウスさえも「大いなる目的」に仕える喜びを口にし、冷酷な命令も仕方ないこととして遂行していたのです。多くの視聴者は、人情味のあるメビウスに親しみと共感を持って視聴すると思いますが、それだけに彼の発言には衝撃を受けます。


■ 『ロキ』におけるファシズム的体制の特徴2自由主義的諸権利の抑圧


 山口定はファシズムの指標について、一党独裁とそれを可能にするための画一的で全面的な組織化の強行、自由主義的諸権利の全面的抑圧と制度化、新しい秩序と新しい人間の形成に向けての大衆の動員、などを挙げていますが(ファシズム(岩波書店2006年))、とりわけ自由主義的諸権利の全面的抑圧と制度化」はTVAの大きな特徴であるといえます。民主主義下で保証されている様々な権利はことごとく取り上げられ、特に司法が絡むところは完全アウトで不当なものだらけです。


・不当な暴力的逮捕と辱め

 まず、逮捕される側が知る由もなく、アクセスしようもない理由によって逮捕されるのが大変不当です。そのやり方も、滑稽に描かれるものの大変一方的で暴力的です。ロキは暴力を振るった訳でもないのに警棒で殴られ、首輪を装着されて無理矢理連行されます。しかも連行先で服を焼かれて裸にされ、強制的に囚人服を着せられます。

・不当な即決裁判

 一応裁判は行われるのですが、その「裁判」には、なんと弁護士がつきません。そしてろくに時間を割かれず、一方的に罪状を突きつけられ、認めるか認めないかを高圧的に迫られ、認めようものなら「リセット」を言い渡されます。これはロキでなく一般人であればその異常性がハッキリしますが、紛れもなく自由や権利が権力によって暴力的に制限される警察国家のやり方です。

・裁判なしの処刑

 そればかりか、「剪定」は裁判という手続きをへないでも行われます。ロキと同時期に逮捕されたモルガン・スタンレーの役員の息子は、単にチケットを持っていないというルール違反をしただけで、問答無用で警棒で「剪定」され存在を消されます。

 そしてTVAの正体に気づいたことがバレた職員メビウスも、やはり問答無用に「剪定」されてしまうのです。


2ファシズムを意識したファンタジーとの比較〜主に『1984』との関連


 では、歴史的ファシズムではなくファシズムに関するフィクションとの比較の視点から見てみましょう。

 『ロキ』の監督ケイト・ヘロン氏は、MCUメイキング番組『マーベル・スタジオ アッセンブル』の「ロキの裏側」「ビッグ・ブラザーがあなたを見ている」という雰囲気を出したかったと、ジョージ・オーウェルの『1984』を意識していることを明かしています。『ロキ』の製作総指揮のステファン・ブルサードは、他にも『あなたの死後にご用心!』(1991) や、『ビートルジュース(1988)、『未来世紀ブラジル(1985) などの映画を手本に巨大組織を描いたとしていますが、特に『未来世紀ブラジル』は「1984年版『1984』」とも言われるほど『1984年』から大きな影響を受けているものです。ヘロン監督は『ロキ』を「SFへの大きなラブレターにしたかった」とインタビューでも語っており、上に挙げた作品以外にも、『時計仕掛けのオレンジ』や『ブレードランナー』など様々な時代のSFをインスピレーションの元としてあげていますが、上記のことからしますと、とりわけ『1984』はかなり大きな影響を与えたと言えそうです。『1984』は、現在では一般的に、ファシズム批判のファンタジー小説と受け止められていることが多い作品で、「ファシスト」であるTVAのインスピレーションとなったのも頷けます。


(出典:

https://virtualgorillaplus.com/drama/loki-1984-sci-fi/


https://nationalpost.com/entertainment/weekend-post/massive-genre-nerd-kate-herron-calls-loki-a-love-letter-to-sci-fi/wcm/d35ab7f2-ac38-4377-a47f-24cf23fd6252/amp/

)

 

 もっともここで注意しておきたいのが、『1984』で描かれる体制がファシズム「のみ」をイメージしている訳ではないということです。『1984』は発表当時はむしろ反共のプロパガンダ扱いされました。オーウェル自身はそれに対して「中央集権経済が陥りやすい誤謬、すでに共産主義ファシズムにおいて部分的に実現した誤謬を暴露しようとしたもの」「全体主義というものは、それに対抗して戦わないでおけば、どこでも勝利を収めることがある、という点を強調したかった」と述べており、一定の思想や党派への批判ではないとしています。

 つまり1984』はファシズムにも当時の共産主義にも共通して見られる、全体主義体制への抗議であったわけです。

 それゆえロキドラマのTVA描写ではファシズム以外の全体主義社会の要素も入っています。TVA美術は映画『1984』や『未来世紀ブラジル』の影響が色濃く見られますが、同時に旧共産圏の美術が意識されていることは、プロダクションデザイナーのカスラ・ファラハニのインタビューからも明らかです。

‘(特にどのようなモダニズム建築やデザインを参考にしたかと訊かれて)So many, everyone from Frank Lloyd Wright to Breuer, to Mies van der Rohe to Paul Rudolph—you have a shot in the John Portman building—to Oscar Niemeyer. And then a lot of Eastern European, Soviet-influenced Modernism played a big part in it as well. ‘

‘I was also looking a lot at Brutalism and the Modernism in former Soviet states, that are heavily influenced by Socialism and Soviet architecture, and where scale is such a big driving force of the design.’


(出典:https://www.theartnewspaper.com/2021/07/10/lokis-production-designer-on-the-modernist-inspiration-behind-the-shows-stunning-visuals)

 確かにTVA美術には、そういった国々の建築やプロパガンダ広告を彷彿とさせるデザインが各所に見られます。

こちらはTVAの裁判所の様子。

 そのような旧共産圏のイメージの利用は、それらの国々や思想への批判というよりも、それらの国々とファシズム国家に共通する全体主義的体質を想起させるものとして使われてると考えられます。

 

 それでは具体的に『1984』などの影響を見ていきましょう。


『ロキ』におけるダブルスピークによる思考統制

 『1984』では、言語の管理統制が徹底しており、政府に都合の悪い語彙は意味を変えられたり使うことを禁じられたりします。作中では「ニュースピーク」「ダブルシンク」などの用語が用いられ、幾つもの語彙群に分類されますが、要するに言語を通して人々の意識を操作しようとする意図があります。『ロキ』のTVAでも同様の仕組みが見て取れます。

 TVAでは「変異体」の人生を奪い、現実から消し去る行為は「剪定」や「リセット」と呼ばれますが、これは処刑する罪悪感をかなり薄める効果がある「ダブルスピーク」の例でしょう。確かに神聖時間軸とされた時間軸から枝分かれした時間の流れは木の枝のようであり、無駄に伸びた枝を刈り取るイメージの「剪定」はぴったりな言葉ではあります。しかし植物を刈り取るこの用語は、人生を刈り取るということの意味合いの残酷さを消し去る言葉でもあります。

 もちろんこのニュースピーク/ダブルスピーク自体、現実のファシズム国家や、あるいはなんらかの思考統制をしたい組織が用いる手立てですが、『1984』によってくっきりと言語化され有名になった概念と言えるでしょう。


『ロキ』における情報統制による思考統制

 TVA創出の経緯を描いたプロパガンダアニメを見せられたロキは、疑わしく思ってその裏付け資料を探すために図書館に行きます。たくさんの書物があり、タイプライターを打ってる老女の司書がいたり調べ物をする女性がいたりと、そこは一見普通の図書館のようですが、しかし司書からはロキの求めた情報は極秘情報であると全て突っぱねられて、自分に関係する資料しか見せてもらえませんでした。

 このような情報統制と捏造した歴史の正史化は、『1984』でも描かれていますし、ファシズムファンタジーではしばしばそれが主題になっています。レイ・ブラッドベリ『華氏451度』などはその代表的な例でしょう。

 メビウスがロキにTVAの喧伝することを信じるのかと問われて、ただ目の前のことを受け入れるだけだと答えるシーンがありますが、TVA職員の中ではかなり横紙破りなメビウスでさえそうなのは、当初の洗脳だけでなくてそのような体制の影響もあります。

 情報公開せず権威への疑問を持たせないというのはファシズムに大変親和性の高い精神性です。


ファシズムファンタジーにあって『ロキ』にはないもの〜監視社会の恐怖

 しかしその一方で、ファシズムファンタジーの要素で『ロキ』ではあまりない要素もあります。

 ヘロン氏が挙げている「ビッグブラザーの監視」は、TVAでは全ての時間軸を監視しているタイムキーパー(実は「あり続ける者」)のことでしょうが、『1984』での監視社会とは結構異なるのです。『ロキ』ドラマでは絶えずTVA職員が相互に見張りあう密告社会という感じがなく、人々は割と自由に話しあっています。たとえばロキとメビウスは、TVAについてかなり際どい会話を社員食堂のようなところでしていますが、別に周囲を気にしている様子はなく、TVA内で言動を細かく監視されてる様子はないのです。

 レンスレイヤー判事のみがギリギリそのような監視をしてる様子がありますが、彼女は半ば権力の側で、一般職員とは異なります。また『1984』にあるような拷問による思想矯正みたいなこともなく、ある意味あっさりと「剪定」されてしまいます。

 それは歴史的ファシズムとの比較の項で述べた、「下からのファシズム」がないということとも相俟って、ファシズム体制描写としてはかなり「甘い」印象です。


3.『ロキ』におけるファシズム描写の意義


視聴者への意義〜描かれる「民衆」

誰でも取り込まれるファシズム組織の恐ろしさ/民衆の責任と残酷さの透明化


 メビウスに代表されるような、賢く良心的な人間でも、ファシズム体制に取り込まれれば当たり前のようにその体制に沿った行動をしてしまうつまり誰でもファシストになりうるということを描き出したのは、本作においてかなりメッセージ性が高いと感じます。メビウスは記憶を操作されたとはいえ自主的に思考することのできる存在です。そのメビウスをして、特に疑いを抱かせずTVAに奉仕させ続けたのは、上記のようなダブルスピークや情報統制などの仕組みの賜物でしょう。官僚的なシステムの一員になってしまえば、個人の資質だけではなかなか抗えなくなってしまうファシズムの怖さが表れています。

 実は視聴者もまた、そのような「取り込まれる民衆」側になる仕掛けがあります。ドラマの作りとして、我々視聴者がTVAファシズム体制であると観取しにくいカラクリが施してあり、よほどファシズムに敏感でなければ、シルヴィが第3話で「ファシスト」と呼ぶまで気づけないように誘導しているのです。

 そのカラクリを見てみましょう。まず、TVAに逮捕される人々がいかにも「悪」の側に見えるというのがあります。ロキが一方的に断罪されて逮捕され、強制的に連行されて裁判にかけられるという流れを視聴者は目撃するわけですが、しかしこのロキがヴィランであるという先入観念を持っていると、TVAが「正しい」側であるようにミスリードされてしまいます。彼が捕らわれたり裁かれたりするのは「正しいこと」なのだと。TVAの裁判官がアベンジャーズのしたことは「正しい」と言うために、ますますその印象が強められます。

 またメビウスをはじめ、職員が概ね善良そうであるという点が挙げられるでしょう。ハンターB-15すら、職務熱心なだけで根は真面目ないい人そうだという印象を持ってしまいます。

 TVA職員を変異体を洗脳して作り上げた、ということは確かに第3話で初めて明らかになる話で、それはそれで酷い話なのですが、第12話で描かれた描写だけでも、本当は既に充分「酷い」と気づくべきだったのです。シルヴィがその変異体の洗脳の話を持ち出す前にTVAをファシストと呼んだのは誠に正しいわけです。「目的が手段を正当化すると思っていると、ほとんどなんだってやってしまう」というメビウスの台詞は、上記の明らかに問題なTVAの行動も「正しい」と感じてきてしまった視聴者にも刺さる言葉でしょう。現実社会でも、我々はしばしば、ある組織が行う首を傾げるような問題行動を見聞きしても「権威ある正しい組織がやってることは正しいのだ」と思い込んでしまいがちです。


 一方で、上で述べたように、『ロキ』には現実のファシズム国家に存在する「下からのファシズム」が全くないこと、またファシズムファンタジーで描かれるような、民衆同士が監視し合い密告し合う社会ではないことなどから、民衆の責任や残酷さというものがかなり透明化されてしまっているという問題があります。これは現実へのアクチュアルな影響という意味ではかなりパンチが弱いと言えるでしょう。民衆の加害性に触れているとはいえ、結局のところ責任は指導者にあり、民衆は巻き込まれただけの被害者なのだという「民衆無罪」的な考えが見え隠れしてしまいます。

 それは「剪定」の示すところも関係してると思います。第4話の最後あたりまでは「剪定」は肉体の完全消滅のように描かれ、かなり残酷な感じでしたが、第5話では剪定されれば異世界に飛ばされ、そこで雲のような怪物アライオスに飲み込まれて初めて本当に消滅してしまうという手順を踏んでることが明らかになりました。アライオスからは逃げ続けることもできるようで、確かに大変な状況ではありますが、剪定イコール惨殺ではないのです(そもそもそのようなまだるっこしい仕組みをが創られた意味あいがよくわかりませんが)TVA職員の「剪定」の残酷さがグッと薄められた設定でした。


ロキというキャラクターへの意義〜「ファシスト」という言葉で明確にされたロキのヴィラン


 ロキ自身がファシズム思想に親和性ある発言を『アベンジャーズ』でしていたこと、『ロキ』ドラマではその思想から脱却できたことを以前のレビューで述べさせていただきました。


https://topaztan.hatenablog.com/entry/2021/07/21/174711


 ロキはエーリヒ・フロムの『自由からの逃走』めいたことを言い、自由への渇望は人間を惑わすもので、人間は実は服従したがっているのだと説きます。そして暗に自分が支配することで、人々から自由を取り上げ、そのかわり自分が最良の選択をしてやると言います。『アベンジャーズ インフィニティ・ウォー』で死ぬまで、映画正史でのロキはその考えをあらためた形跡はありませんた。それがロキドラマで自分の考えが具現化したようなTVAのあり方を目の当たりにし、よくないことであったと認識するのです。

 ロキがファシズム的な考えを持っていたことは、しかし『アベンジャーズ 』をサラリと見ただけでは実はよくわかりません。シュツットガルトでの彼の演説と老人のやりとりは、注意深い視聴者でないと意味がわからないし、重要だともわからない描写です。

 ロキドラマでは、改めてその部分にフォーカスし、ロキの思想のあり方を印象づけていました。そしてそのロキに、大義のために他人の人生をコントロールするTVAを「乗っ取る」と考えさせて、TVAとロキが似たもの同士であることを示しました。その上でシルヴィとの出会いによりTVAの真の姿を知り、悪として認識し破壊するようにするのです。

 シルヴィの言葉「ファシスト」という言葉はロキの思想の問題点を明確にし、現実世界のイシューと接続させる効果があるといえましょう。

 

 

終わりにーーTVAは本当に「ひどい組織」として描かれているか?楽しく消費されるファシズム表象


 さて、多少パンチが弱いとはいえ、そのように誰もがファシズムに取り込まれることへの警鐘や、ファシズム的思想を持った者がそこら脱却できるストーリーが語られたという点で見るべきものがある本作ですが、しかし本当に「反ファシズム」ファンタジーと言えるのか?という疑問が実はあります。私は作品自体というよりむしろそのマーケティングで不安を覚えるのです。

 たとえばミス・ミニッツというTVAマスコットが商品化されており、人気のキャラであるとMCU側も言っています。

(ドラマ中のミス・ミニッツとぬいぐるみになったミス・ミニッツ)

 しかしそれは、TVAファシズム組織であると製作側が認識してるならかなり奇妙なことです。変な話、ファシズム国家のシンボルである鉤十字が商品化されてるようなもので、大変不謹慎な話です。そもそもTVAの美術自体が、何か素敵なものとして作られているのは否めません。

 作品自体でも「あり続ける者」が「悪」であるということがあまり強調されず、曖昧にされているのもその印象を強めます。すごい悪の親玉がいると思って本拠地に乗り込んだら、そいつは割といいヤツそうで、彼なりに理屈があったという、ドラマ上のどんでん返し的な効果を狙った作劇なのでしょうが、ファシズム組織としてTVAを描写した意義を著しく薄めてしまっています。先に述べた「民衆の責任、残酷さの透明化」といい、せっかくファシズムという重いテーマを持ち込んだのに充分活かしきれていない印象です。


 さて、もうすでにロキドラマはシーズン2の撮影が始まっているようで、そこでは相変わらずTVAで働いているロキと盟友メビウスや、シルヴィの姿が目撃されています。シーズン2では、上記の問題がなにがしか解決されていることを望みます。



参考文献


・田野大輔『ファシズムの教室:なぜ集団は暴走するのか』大月書店、2020年

・山口定『ファシズム岩波書店2006年

・川端康夫『ジョージ・オーウェル 「人間らしさ」への讃歌』岩波書店2020年


その他混同されがちなファシズム全体主義について理解が深まった本として

・牧野雅彦『精読 アレント 「全体主義の起源」』講談社2015年

・エンツォ・トラヴェルソポピュリズムファシズム: 21世紀の全体主義のゆくえ』湯川順夫訳、作品社、2021年